【鹿児島県薩摩川内市】素直なままに、道を切り拓く / フリーランス 早水奈緒さん
インタビュー
鹿児島県薩摩川内市を中心にフリーランスとしてSNS運用サポートや記事制作等をされている早水奈緒さん。そんな早水さんから現在のお仕事に至った経緯等を伺いました。
自分の気持ちに素直になる
幼少期は神奈川県で生まれ育った早水さんは
大人しい性格で幼稚園に入園する際は、親御さんと離れるのが寂しく泣いてしまったといいます。
そんな早水さんが夢中になったことはダンス。
大人になった今でも続けており、ダンスをきっかけに活動的になっていったそうです。
しかし、10歳になると鹿児島県阿久根市の学校へ突然転校することになります。
「両親から急に言われてショックを隠しきれませんでした。高学年に修学旅行等の楽しいイベントが待っていたのですから。」
「転校してからは大人しい性格に戻ってしまって…。都会から転校してきた私を珍しがって、校長室に学校中の児童がやってきました。最初は人見知りで周りに中々溶け込めなかったです。」
その後、阿久根のダンスチームに入る等して少しずつ友達が増えていった早水さん。
中学校では美術部へ入部するのですが、3年生になると、まさかの野球部へ入部する選択をしました。
「野球のルールもわからないし、プレイしたこともありませんでした。でも、グランドを走り回っているキラキラした部員の姿を見ていたら、私も野球をしたいと思ったんです。」
「その時の選択が鹿児島へ引っ越してきてから「早水奈緒はこういう人間だ」と一番意思表示できたかなと思います。それまでは、どこか遠慮してしまうというか、周りの目を気にして行動できなかったんです。」
「野球部に入り、あまりにも下手くそだったので、センスがないことに気づいてきました。だから、スコアブックをつけたり、バットを拭いたりして、新しい自分の役割を見つけていったんです。」
「最後の試合では大事な場面で失敗してしまい、悔しくて大泣きしてしまいました。それだけ一生懸命野球ができていたんだと思います。」
中学校の野球部を引退後は、文化祭で劇の主役級の役を演じる等、どんどん活動的になっていきました。
私にもできることはある
高校では野球部のマネージャーとして入部。
常にチームメイトのプレイや表情等に目を配り
何かあれば声かけをしたり、お守りを作ったりしてサポートに専念していたといいます。
「中学校時代、野球部を通して「私にもできることがある」と気づけたことが大きかったです。そして、何より、マネージャーが向いているなと思いました。」
「サポートすることが楽しかったんです。全然苦じゃないというか…。今振り返ると一つ一つの作業にすごい想いをもって臨めていたなと思います。」
さらに練習時における球場のアナウンスも担当。
最初は機械の扱いを間違えたりして悔しい思いをしたそうです。
「YOUTUBE等でウグイス嬢のナレーションをたくさん聞いて、それを参考にたくさん練習しました。」
「高校3年生になると、監督に褒めてもらうくらい上達しました。そこから何となくですが、声のお仕事もいいなと思うようになったんです。」
高校卒業後は、県内の大学に進学するも2年生で中退してしまいます。
アルバイトや勉強、インターンシップ等、やりたいことが多く、それらをうまくコントロールができなかったと当時のことを反省する早水さん。
その後はFMや飲食店でアルバイトをしつつ
食品会社の広報としてSNSの発信等に従事しました。
「今でもですが「お客さんが喜んでくれるにはどうしたらよいか?」を常に意識しています。私なりに考え、上司に提案して、それをもとに写真や文章の編集をしていきました。」
「半年間だけですが広報のお仕事をさせてもらって、お客さんに伝える文章を書くことが好きだなと思いました。その後、アルバイトをしていたFMに就職し、ラジオや広報のお仕事をするようになりました。」
「ある時、家族でご飯を食べにいったのですが、父から嬉しい言葉があったんです。「奈緒は昔からデザインや文章を書くのが上手だったよね」「だから自信をもちなさい」って。だからこそFMの仕事に前向きに臨めたんだと思います。」
少しずつ、好きな気持ちに気づいていく
FMに入ってからは、早水さんなりに情報収集をし、取材先を探してから、取材へ出向いていたといいます。
初めての取材は雑貨屋さん。
どのような時間だったのでしょうか。
「インスタグラムで素敵な雑貨屋さんを見つけて、ダイレクトメッセージで「取材させてください」と連絡したんです。とても緊張して、声が震えてしまったのを鮮明に覚えています。」
「取材では4時間もインタビューしてしまって…。今思えば、迷惑な人ですよね。でも、その時は「聞けるところまで聞いちゃおう」と思ってしまって。」
「完成した記事を見て雑貨屋さんはすごい喜んでくれました。その時のメッセージのやり取りはスクショして今でも残しています。」
「そこから取材に行くハードルは下がっていきました。取材先の方が「どういう人なのか?」を意識しながら、メモをたくさん書いてまとめていました。」
昨年9月からは『ナオとマリカのA Cup of Radio』を生放送で、毎週1時間ずつ担当されています。
パートナーでもあるマリカさんとはFMのナレーション『イワシとわたし』を通して知り合い、仲良くなっていったそうです。
「マリカさんとは年齢が近くて、出会ってすぐに意気投合しました。次第に、ご飯に行ったり、お互いの家に泊まりに行ったりするようになって。」
「ラジオは今でも毎回緊張します。その度に「難しいな」「しっかり毎回準備しないと」と痛感しちゃうんです。」
「ラジオを通して、私は自分の話をするよりも、人の話を聞くことが得意なんだなと思いました。ゲストさんが来た時は「あ、時間が足りない」と感じるくらい掘り下げられるようになって、少し自信がつきました。」
「ナレーションは物語の主人公の気持ちになりきって、想いを込めながら、声を表現しています。」
全て繋がっている
今年の7月からはフリーランスとしてSNS運用サポートや記事執筆等のお仕事をされています。
例えば、いちき串木野市の『Fukiagehama Field Hotel』。
こちらではインスタグラムの広報担当として。
『FMさつませんだい』では薩摩川内市周辺の人たちにインタビューと記事作成担当として、随時発信されており、
早水さんの発信を通してまちの新しい魅力に気づく人も多いといいます。
「私は今までのことが全て繋がっているという感覚があって。野球部のマネージャーにしても、会社の広報にしても、サポートする面では一緒だと思っています。」
「もちろん、大変なこともたくさんあります。でも、サポートすることに対しては全然ネガティブじゃなくて、楽しいですし、誰かの役に立てて嬉しいです。」
最後に今後の展望について伺いました。
「伝えたいことがあるのに、それを中々言葉にできない人たちも多いと思うんです。だから、そのような人たちのために、想いを聞いて、文章にして、代わりに発信するサポートをしたいと思っています。」
「まだまだ私は実力も経験も足りません。写真や文章を通して魅力的に伝える方法をもっともっといっぱい探していきたい。」
「そういうお仕事を基盤にしていきたいんですが、将来的には阿久根でパン屋さんをやりたいんです。夢が大きすぎて、実現できるのかと突っ込まれるかもしれませんが…。」
「神奈川から引っ越してきた時は鹿児島が大嫌いでした。ずっと「神奈川に帰りたい」と思ってました。でも、今は真逆で、鹿児島が自分に合っていると思うようになったんです。」
「ありがたいことに、阿久根や薩摩川内を含めた北薩エリアには距離感が近い素敵な生き方や働き方をしている人たちが多いです。そういった繋がりを大事にしたいですし、まだまだ知らない鹿児島の素敵な人たちがいらっしゃると思います。そんな人たちの背中を追いながら想いを実現できるように日々精進していきたいです。」
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備考 |
・SNS運用、記事作成等のご相談、ご依頼は早水さんのインスタグラムから。
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