【三重県菰野町】 世界に誇る伝統工芸「組子」の技を次代へ 指勘建具工芸
インタビュー
釘や接着剤を使わず、細かい木片を組み合わせて緻密で繊細な模様を生み出す「組子」をご存知ですか?歴史は古く、室町時代の書院造りから広がったといわれる日本の伝統技術です。この技を次世代へ継承しようと、新しい取り組みに力を注ぐ指勘建具工芸の三代目、黒田裕次さんを訪ねました。
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初代が始めた指物の技術を守り続けて90年
名古屋から車でおよそ1時間。自然豊かな三重県菰野町小島地区にある「指勘建具工芸」は、黒田さんのお祖父さんにあたる黒田勘兵衛さんが昭和7年に創業し、今年で90年を迎えました。
「祖父が愛知県の弥富で修行をし、雪見障子などの高度な指物の技術を身につけ、地元の菰野に戻って『指勘建具店』として建具屋を始めました。当時の菰野には雪見障子を嵌めるような家は少なかったようで、ご近所の建具の修理に応じたり、お客さんからの依頼で箱ものを作ったりしながら、農業や養蚕との兼業で暮らしを立てていたそうです。」
そんな「指勘」の地道な仕事ぶりと確かな技術はやがて地元でも評判に。しかし時代の移り変わりや住宅事情の変化とともに、時間と手間とコストのかかる建具の需要は減少の一途を辿っていくのです。
「父と僕の代になってますます状況は厳しくなり、一時は建具屋をやめてしまおうかというところまできたことがありました。80年近く続いた指勘の歴史をここで途絶えさせてしまうのかと悩んだ結果、続けていくには思い切って新しい方向に舵を切らなければいけないと思いました。瀬戸際に立ってこれからのことを考えて、指勘の看板として大きく打ち出していこうと考えたのが組子です。」
組み込む作業はすべて手作業で行われ、中には何万個もの部品を用いる大きな作品もあるという組子。想像するだけでも気の遠くなるような作業を要し、優れた職人技によって伝承されてきた伝統技術でありながら、コストや時間がかかりすぎるために、今の時代にはそぐわないものになりつつあったのです。
その上、住宅の好みも多様化し組子の技を生かせる場は減っていくばかり。身に着くまでに5年、10年という年月がかかるという組子の技術を、これからの時代にどう広めていくかが大きな課題に。それでも黒田さんは、二代目の父、之男さんが考案した独自の意匠の他にない魅力と、〝現代の名工〟にも選ばれたその腕には絶対の自信があった、と胸を張ります。
組子の可能性を信じて取り組んだ新しい試み
「組子は技術だけでなく意匠という部分でも個性を出せます。そこに可能性があるし、これまで父が培ってきた技術もあります。その強みを生かすため、まずはホームページでうちの組子のイメージを全面に見せるようにして、屋号も『指勘建具工芸』と改め、オーダーメイドにも応じられることを売りにしました。さらに、これまでやったことのなかった工場見学と体験ワークショップを定期的にやってみようと思ったんです。」
組子は昔から玄関や客間などに用いる建具の一部に施される飾りのようなもので、いわば指物職人の技を贅沢に生かした〝遊び〟の部分。とはいえ熟練の技術と高度なセンスを要するため、職人の技と個性がもっとも光る大事な見せ場でもあったのです。
「玄関の上がり端に建具屋がオリジナルの組子を嵌めさせてもらうと、それを見たお客さんが興味を持ってくれて、どこの建具屋さん?あんなのをうちにも嵌めてくれやん?と、またうちへ注文を出してくれる。組子はそういう宣伝媒体としての役目も果たしてくれるものなんです。」
職人一筋の父の思いと親子で乗り越えた葛藤
組子の魅力や価値を広く知ってもらうために、黒田さんはまず、できるだけ多くの人の目に触れることが大事だと考え、製作現場を見せるアイデアなどを父に提案。ところが…
「工場見学にはなかなか快い返事がもらえませんでした(笑)。というのも、父たちの世代の職人さんというのは、基本的に自分の技を人に見せることに非常に抵抗があるんです。大切な技を簡単に盗まれたくないその気持ちはよくわかります。しかし父には、職人として技術に自信があれば、ある程度までは見せてもいいんじゃないかと伝えました。まず人に見てもらわなければ、そもそも組子というものがどんなふうに作られ、どれほどの価値があるものなのかを理解してもらえませんから。」
意見がぶつかることもあったという二人でしたが、指勘が誇る歴史と技を次代に繋ぎたいという共通の想いは強く、親子で何度も意見を交わし合い、やがて父も納得。新たな試みとして定期的に工場見学とワークショップをスタートさせました。
「ワークショップの一番の目的は、多くの人に伝統技術に触れてもらうこと。コースターのような小物を実際に作ってもらい、それをお土産に持ち帰っていただくことで組子を身近に感じてもらえればと思っています。」
世界からも注目される組子の魅力
「ネットショップも開設しました。すると、お歳暮やお世話になった方へのお礼にコースターの5個セットはありますか?みたいな問い合わせも来るようになったんですよ。まったく知らない方や遠方の方から注文をいただたり、そこから新しいお付き合いが生まれることもあります。地元で建具屋をやっていたこれまでにはなかったことですね。」
そして2016年に三重県で開催された伊勢志摩サミットでは、参加国の代表たちへの贈答品に指勘の組子をあしらった文箱が採用され、組子は世界からも注目されるようになったのです。
「うちらのような仕事は昔からずっと影の仕事でしたから、父にとっても、そういう形で注目してもらえたり、評価していただけることが嬉しいようです。いまは僕が三代目を継いでいますが、手が足りない時にはまだまだ父にも現役の職人として手を動かしてもらっています。本当はいつまでも父を頼るのではなく、次の世代の職人を育ててく方に力を入れたいんですけど…」
伝統技術の将来を支えるのは若い世代の地元愛
情報があふれる現代において、選ぶ側の好みはますます多様に。そのなかで常に選択肢の一つであり続けることが大事、と話す黒田さん。昔ながらの技の価値を正しく知ってもらうため、誇りと実績をしっかり発信していくことが重要だと考えているそうです。菰野町で開催されるイベント「こもガク(※)」にも参加するなど、地元の活動にも積極的に関わっていくように。
※こもガク=菰野で活動する作り手らが先生や出展者となり、体験などを通じて菰野のことを知ってもらうために楽しみながら学ぶイベント。次回は10月29、30日に開催。イベント詳細はコチラ。
「地元の子供たちにも、生まれ育ったまちのことをちゃんと伝えていきたいんです。僕自身がそうであったように、いつかは他所へ出ていくとしても地元のことを知っていて出ていくのと知らずに行くのとでは大きく違います。それを知っていれば、他でいろんな経験をしても、もしかしたらまた戻って地元に貢献しようと思う時がくるかもしれないですから。」
誇りと伝統が息づく組子の技術を次世代へ継承するため、黒田さんの挑戦はこれからも続きます。