わたしたちは、何を「みて」いるのか。/山形ビエンナーレ2022体験記「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」
イベントレポート
2022年9月3日から9月25日まで、「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2022」が開催されました。山形市内のQ1や文翔館などを中心に、7つのプロジェクに紐づいた、さまざまな展示プログラムが行われました。「まちのおくゆき」プロジェクトの「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」に参加してきましたので、今回はその模様をリポートしてみたいと思います。
異なる感覚を持つ人同士が
同じものを「みる」ということ
目の見える人と見えない人が一緒に美術鑑賞をするというのは、いったいどういうことなんだろう?ワークショップに参加する前は、そんな疑問を抱いていました。そもそも私の場合、美術鑑賞は一人で行うことが多いため、対話をしながら作品を鑑賞するのも初めての経験。参加してみると、皆さんそれぞれに自分とは異なる視点を持っていて、話を聞けば聞くほど作品への理解や関心が深まりました。ミクロな視点にマクロな視点。想像に妄想。さまざまな人の「目」と「みる」という行為があり、みようとすることで「みえてくる」のだな、とも思いました。
「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」は、「まちのおくゆき」というプロジェクトのなかのプログラムのひとつ。山形県郷土館〈文翔館〉で行われる「現代山形考 藻が湖伝説」の展示作品について、目の見える人と見えない人、見えにくい人がさまざまな見方を持ち寄り、それぞれの「みる」経験を語り合うというものです。今回ナビゲーターを務めるのは、全国の美術館や学校で、目の見える人・見えない人が言葉を介して「みること」を考える鑑賞プログラムを企画運営している団体、〈視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ〉の林建太さんと井戸本将義さん。
「私は視覚障害がありまして、目の前で手を動かすと手が動いているのがわかるぐらいの見え方、ということになります。なのでアート鑑賞の方は、皆さんと対話をしながら楽しむということで参加させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」(ナビゲーター 井戸本さん)
9月4日(日)、午前の回の参加者は8名。目の見える方もいれば見えない方もいて、学芸員、保育士、中学校の美術教師、児童養護施設職員などと職業や年齢もさまざま。友人に誘われて参加したという大学生や、宮城からきたという人もいらっしゃいました。
見えること・見えないこと・わからないこと
「沈黙」もひとつの情報である
鑑賞前のオリエンテーションでは、ワークショップの目的やどのように行うかなどの説明があり、そこで気付かせてもらったこともたくさんありました。せっかくなので、その内容を紹介したいと思います。
「やることはすごくシンプルで、作品を囲んでみんなで話すっていうことを何回か繰り返すというものです。目的としては、いろいろな見え方の人がいるなかで、それぞれのバラバラの見え方を皆さんで持ち寄って、自分自身で「みる」という経験を立ち上げるということがあります。つまり、目の見えるに目の見えない人を合わせようとするのではなくて、かといって、見えない人に見える人が無理やり寄り添うということでもないんですね。見える人には見える人なりの美術へのアプローチの仕方、見えない人には見えない人なりのアプローチの仕方で、“みること”を立ち上げられたら良いかなと思っています。
そのために何をするかというと、皆さんには『見えること・見えないこと・わからないこと』。この3つを言葉にしていただきたいと思っています。
『見えること』は、色や形などの共有しやすい言葉。たとえば『四角』という言葉は、多くの人が4つの角があるものをイメージできると思うんですね。次に、『見えないこと』。これは印象や記憶であったり、何かを見たり聞いたりしたときに自分が抱くことや、目の前には描かれていないけれど思うことなどを指します。そのため、より主観的な言葉が含まれてくると思いますし、みんなで集まってわざわざ話すことの意味はこのあたりにあると思っています。“こんなこと思っているのは自分だけかも?” みたいなことこそ、ぜひ言葉にしていただきたいと思います。
最後に、『わからないこと』。普段私たちが見たり聞いたりしているものって、見えることと見えないことの二つに綺麗に分けられるものではなくて、よくわからないモヤモヤすることもたくさんあると思うんです。ただ人と話すときに、わからないことや言葉にできないことは無いことにされがちです。今日はそれを無いことにせずに、何らかの形で表現してみていただければ。場合によっては『黙る』でも良いと思うんですね。全員が黙ってしまったとしても、目の前によっぽど言葉にできないものがあるんだなという臨場感にもなりますし、沈黙も大事なひとつの情報だと思うので」(ナビゲーター 林さん)
「語りのモード」について
まっすぐモードとぶらぶらモード
「長くなってしまうのですが、もう少し説明を続けさせてください。もうひとつ、私たちが大事にしていることがあります。複数の人と一緒に話すときって、さまざまな『語りのモード』があると思うんですよね。今日のワークショップでは、『まっすぐモード』と『ぶらぶらモード』を大事にしながら進めていきたいと思っています。
『まっすぐモード』とは、何かに導くためのガイド的なもので、目的が明確な語りであるということ。ゴールに向かって計画的に進んでいく場合が多く、学校の授業や会社の会議とかもこれに近いかもしれません。対して『ぶらぶらモード』は、目的があいまいな語りを指しています。これはみんな同じような関係性で、雑談をするとか独り言なんかもそうです。
いろいろとお話しましたが、今日の鑑賞の場ではどんなことを話していただいても良いので、何でも自由に話していきましょう。発言の多さが重要なわけでもないですし、内容の良い悪いもありません。それに無理して話さなくて良い場でもあります」(ナビゲーター 林さん)
わからない、黙る、といったあいまいなものまで受け容れようとする姿勢は、複数の人同士の語りの場において、とても大事なことだなと思いました。オリエンテーションと参加者同士の自己紹介を終えたところで、会場に移動。いよいよ美術鑑賞ワークショップのスタートです。まずは絵画作品から。
参加者のみなさん:
「藁がいっぱいある風景」
「お米の収穫のシーンですかね」
「黄色や茶色が作品の大部分を占めていて鮮やか」
「服装が着物や野良着だから、けっこう昔な気がする」
「輪郭線がすごく目立つ」
「絵のサイズ感は70cmぐらいかな」
「絵のタッチは小学生ぐらいの子が描いたような素朴な感じ」
「紙は色褪せていて、端っこは古地図みたいになってる」
「紙自体に皺が入っている」
林さん:
「描かれている作品についての話と、素材である紙の話が出てきました。井戸本さんは今のお話を聞いてどんな印象を受けましたか?」
井戸本さん:
「収穫というキーワードが出てきたのもそうなんですけど、楽しそうというか、ポジティブな印象を受ける絵なんだなっていうのは感じました」
林さん:
「ありがとうございます。こんな感じでやっていきます。今はわりと『見えること』が多かったんですけど、『見えないこと』も聞かせていただければと思います。続きをどうぞ」
参加者のみなさん:
「このお米はどうやって食べようかな、と考えながら作業してそう」
「朝は寒かったんだけど、昼になって温かくなって服を脱いで楽しそうに作業している」
林さん:
「なるほど。ありがとうございます。この作品は『長瀞想画』という水彩画で、昭和初期に長瀞小学校から始まった美術教育の一環なのだそうです。当時は美術といえば技術的なことが重視されていたんですが、これはそうじゃなくて、自分の経験とか思い出とか想像とか、身近な生活の中からモチーフを持ってきて、小学生に描いてもらったものの一部になります。だからさっき出た“小学生っぽい”という感想は、まさにその通りですね」
お互いの言葉を持ち寄りながら
みようとすることで「みえてくる」
続いて、立体作品の鑑賞。まずは目の見える人が作品について語り、その言葉から感じたことを見えない人が語ります。さて、みなさんの言葉からどんな作品がみえてくるでしょうか。
参加者のみなさん:
「真ん中に大きな熊がいて、手を広げています。おそらくツキノワグマ」
「下の方には人間がいます」
「木でできていて、たんすが積み重なっています」
「ものすごく迫力があってスケールが大きい作品」
「いろんなものがつながって、ひとつになっています。そこには動物や人間がいて、なんというか神話のような。さらに、それらの関係性を超えるような物質感と存在感があって、迫ってくるような作品」
「みなさんのお話だと、熊が手を広げていてそこに人がいる。たんすがあるっていうのは、いったいどんなシチュエーションなんだろう?ちょっと混乱しています(笑)。さらにそれが神話みたいっていうので、すごく不思議な感じがするんですよね」
林さん:
「そうですよね。伝えるのが難しい作品なんですけど、そうとしかいいようがない光景があるんですよね。では、この溝をどなたか埋めてくれませんか(笑)」
参加者のみなさん:
「作品のベースが家具。たんすでできています。その表面に、熊がいるんです。それは貼り付けられていて、木とかダンボールですかね。あとはなんだろうな……うーん、流木?そういうもので表現された大きなツキノワグマが、両手をワァッて広げています。その下の方には、同じような素材で作られた人がいたり、子どもの長靴や帽子があったりします。ええと、すみません。ますますわからなくなっちゃいましたよね(笑)」
「木の根っこみたいなものがバァーッて伸びています。下の方には木でできた人が逆さまにぶら下がっていたり倒れていたり。なんかちょっと怖い感じ」
「熊の体の真ん中、心臓のあたりに小さな穴が開いていて、その部分だけ硬そうな素材でグシャってなってる」
「こっちには銃で撃とうとしているような人もいる」
「なかなかこれは整理するのが難しいですね。でも見えるみなさんは、“怖い”っていう印象は持たれていますよね。作品にはどんなタイトルが付けられているんだろう」
林さん:
「じゃあタイトルだけお伝えしましょう。『関山トンネル』です」
参加者:
「ああ〜。ますます怖くなってきた(笑)」
井戸本さん:
「タイトルを聞いて怖くなったのはどうしてですか?」
参加者:
「関山トンネルって、宮城と山形を行き来するところで、暗くて長くて結構危険なところって聞いたことがあるもので。自分の場合はイメージだけなんですけど」
3つ目の展示は文化財を見ることができるとともに、修復師の方との意見交流する場でもありました。この風神像は廃村集落のお堂からレスキューしてきたもの。作品についての対話や議論は「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」といって、現代アートの技術的な作法の中でも確立されているそうです。
地域での管理が困難になった場合に、文化財を存続させるのか、終わらせるのか?といった質問が修復師の井戸さんから投げかけられると、参加者のみなさんからは残したいという意見は多いものの、そうなると維持費がかかることや、地方の場合は人口減少の問題で管理ができなくなっているという現状があり、すぐに答えを出せるものではありませんでした。当たり障りなく「難しい問題」といってしまいがちだけれど、関心を持ち続けるということも、ひとつの関わり方のような気がします。
美術鑑賞ワークショップはここまで。最後に、参加者それぞれが感想を述べ合いました。
参加者の皆さん:
「普段は見えているんだけど、みえていないこともたくさんあるのだと気付かされました」
「難解な作品を見ると、すぐにキャプションに答えを求めてしまいがちなのですが、今日は最後までみなさんと話をしながら感想を持ち寄って、考えながらみることができました」
「自分が感じていなかったことでも、皆さんの意見を聞くことによって感じられました。アートの楽しみ方ってこういうのもあるんだ、楽しいなと思いました」
「みなさん一人ひとり作品の見方やとらえ方が違うので、私はその意見を聞きながら頭の中でパズルを組み合わせるようにして、作品のイメージを作り上げていくのがすごく有意義でした。想像したり、たまには妄想したり、最後には暴走したり(笑)。とても楽しいアート鑑賞だったなあと思います」
9月17日(土)には、アフターセッションとしてYouTubeでのライブ配信「“みること”が立ち上がる場とは〜視覚障害者とつくる美術鑑賞の現場から〜」(手話通訳付き)が行われました。個人的には、異なる身体感覚を持つ人同士がどちらかに寄り添い過ぎると、お互いに窮屈になる場合もある、という話が印象に残っています。凝り固まった自分の価値観や考え方をアップデートさせたいとも思いました。興味がある人はぜひ、アーカイブをごらんになってみてください。
〈参考〉
「現代山形考〜藻が湖伝説〜」 https://biennale.tuad.ac.jp/project/yamagatako
「現代山形考〜長瀞想画と東北画〜」 https://biennale.tuad.ac.jp/program/606
青野文昭『関山トンネル』 https://yamagatako.jp/mogaumi/01/aono.html
INFORMATION
やまがたビエンナーレ2022 「まちのおくゆき」プロジェクト「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」
プログラム詳細はこちら
「“みること”が立ち上がる場とは〜視覚障害者とつくる美術鑑賞の現場から〜」(手話通訳付き) https://www.youtube.com/watch?v=dH_1Ffi4hwg
PROFILE
視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ(ワークショップ企画・運営)
2012年より活動開始。スタッフは12名(視覚障害者7名、晴眼者5名)。全国の美術館やオンラインで目の見える人、見えない人が言葉を介して「みること」を考える鑑賞プログラムを企画運営している。「みる経験」を誰もが気軽に安全に語り合える場づくりを目指している。
https://ja-jp.facebook.com/kanshows/
写真:伊藤美香子
文:井上春香