わたしの山形日記/帰りたくなる場所「馬見ヶ崎川」
連載
やまがたにUターンして暮らす筆者が、なにげない日々のなかで見つけたこの街の魅力について綴る連載日記です。
山形市内を流れる馬見ヶ崎川。わたしの生まれ育った地域は馬見ヶ崎川に近く、幼いころから川原の風景は身近なものでした。通っていた小学校の目の前に河川敷が広がっており、マラソン大会や芋煮会など、学校行事も多く開かれました。休みの日に母とピクニックをしたり、堤防の縁に座りながら父と話したりと、記憶の端々に川原の風景が登場します。
大人になってからは、何気ない日常の中で、「あ、今日川原に行こう」と思い立つことが増えました。風が気持ちよい日、山並みが美しい日、すこし疲れたなと思った日。行くきっかけはさまざまですが、馬見ヶ崎川はいつもやさしく迎えてくれます。今回は、日常生活で発見した、四季折々の風景をご紹介します。
陽ざしが暖かくなってくる春。長い冬が終わり、自然と川原へ足を運びたくなる季節です。足下を見るとネコヤナギがふわふわと揺れ、遠くを見れば残雪の月山と葉山を望むことができます。
また、山形市では冬の間、河川敷の一部が排雪場として使われています。「排雪場」というのはいわゆる雪捨て場のことで、市内各地から集められた雪が、トラックにのせられてやってくるのです。積雪の多い年は重機で積み上げられた巨大な雪山が出現し、その姿は圧巻です。暖かくなってくると、雪解け水が川へ流れ込んでいく様子を見ることができます。山形市民でもあまり馴染みのない光景、散歩しているとこんな発見もあっておもしろいです。
もう少し暖かくなると、川沿いの桜並木が一斉に花を咲かせます。見頃の時期は、県内外からの車で大渋滞。山形の一つの名所となっています。
夏は上流の水辺が気持ちよく、水遊びをしている光景もよく見かけます。馬見ヶ崎川は人工河川であるため、整備された浅く平らな場所が点在しています。近くでバーベキューをしたりテントを張ってくつろいだりと、場所によって思い思いの楽しみ方ができるのも魅力のひとつ。
夏の暑さが和らいでくると、いよいよ芋煮会シーズンの到来です。芋煮というのは里芋をつかった郷土料理のこと。山形市をはじめとした内陸地方はしょうゆ味で、牛肉を使うのが定番。これが海側の地方に行くと、みそ味・豚肉に変わったりします。昔は「芋煮といえばこうだ!」という芋煮論争なるものがありましたが、今はそれぞれの美味しさを楽しむ文化があるように思います。
論争が起こるほど愛されている芋煮。内陸地方では川原などで芋煮会をするのが定番です。この季節、馬見ヶ崎川の河川敷は芋煮会を開く人でいっぱい。火災防止や芝が傷まないようにと、コンクリートの芋煮スペースが設置されている場所もあります。トイレも水道もゴミ捨て場も近くにあり、山形の人が、いかに芋煮会を大事にしているかがわかります。
小学校時代、毎年秋には全校生徒による芋煮会がありました。1〜6年生がひとつの班になり、川原の石でかまどを組むところからスタート。火を起こし、芋煮をつくり、みんなでつつきます。「〆」にはうどんやお餅を入れたりと、班それぞれのアレンジがありました。これが6年間続くわけですから、いわゆる芋煮の英才教育です。どうりで山形の人は、上手下手は置いておいて、何となくでも芋煮が作れるわけです。
(芋煮会の体験談はこちらから→ 中島彩さん「はじめての『芋煮会』」)
芋煮会シーズンが過ぎるとあっという間に紅葉も終わり、長い冬がはじまります。とはいっても近年は暖かい日も増え、あまり雪が降らない年も。大雪には参ったなと思いますが、まったく降らないのもさみしいものです。個人的に冬は川原には下りませんが、よく晴れた日は、真っ白に染まった河川敷がキラキラとまぶしく、雪と青空の美しいコントラストに思わず見入ってしまいます。
四季折々の表情を見せてくれる馬見ヶ崎川。足もとをたどれば小さな発見があり、遠くを眺めれば悠々とした山並みに癒され、なんとも奥行きのある風景だなと思います。
10代から30代、進学や就職で山形を離れる機会がありました。遠くの地でも、行き詰まったときはきまって水辺に行きたくなります。おそらくそれは、馬見ヶ崎川が「ほっとできる場所」としていつも心の中にあって、似た安心感を求めているからでしょう。
どんなときも傍にいて、抱きしめてくれるような包容力のある馬見ヶ崎川の風景。普段は当たり前に感じていても、ふとしたときに近くに行きたくなったり触れたくなったり…。郷土の風景というのは、わたしにとって家族のようなものなのかもしれません。