山形移住者インタビュー/ニコル食堂 菊池未左央さん
インタビュー
#山形移住者インタビュー のシリーズ。今回のゲストは「ニコル食堂」の菊池未左央さんです。
菊池さんの移住のきっかけは震災でした。2011年5月に福島県から自主避難し、気づけば山形歴は11年。カフェ開業を志して山形の地で起業し、ご自身や社会の状況に合わせて臨機応変に業態を変えながらビジネスを続け、現在は「ニコル食堂」としてお弁当事業を営んでいます。2児の母として子育てしながらビジネスに挑んできたパワフルな女性です。今回はそんな菊池さんの事業家の側面にスポットを当ててお話をうかがいました。
子育てもキャリアも諦めたくない
2011年2月に長男が生まれて、翌月に震災が起きました。夫の会社からの配慮で山形支店に配属されることになり、山形に移り住んできました。
学生のときから栄養学を学び、社会人になってからも飲食業界一筋です。移住後しばらくは市内の大手チェーン飲食店でパートをしていました。だけど子育てとの両立が難しく、「子育てをしながら、自分の人生も諦めない方法を模索してみたい!」と、次第に起業への気持ちが固まってきました。私と同じように葛藤しているお母さんは一定数いるはずで、子育て中のお母さんが働きやすい環境をつくれたらという思いもありました。
予算は100万円。キッチンカーで起業
山形へ来て2年が経った頃、子育てもあるので自由に動けるようにキッチンカーからスタートしました。
だけど当時は数店の老舗があるくらいで、市内はおろか県内でもキッチンカーの文化がほとんどなく、出店できる場所もわからない状態でした。事業計画書をつくって銀行に行っても「前例が少ないので融資ができない」と言われてしまって。途方にくれたときに北関東にあるキッチンカー開業支援の会社を見つけました。
自分に合った事業規模として、まずはクレープ屋から始めることにしました。予算は100万円。まずは中古車を買い、キッチンカーに改装するために何度も保健所に通って改修していきました。そうして開業支援の会社に出店場所を斡旋していただき、販売をスタートすることができました。
少しづつ忙しくなり、その後十日町に小さなテナントを借りて仕込み場を兼ねたお店を設けることができたのですが、次男の出産の直前にお店を休業し、キッチンカーも手放すことになりました。出産後、次は生パスタとコーヒーのお店として再スタートしましたが、夫が単身赴任で福島に戻ったのでワンオペ育児との両立が難しく、またお店をたたむことになりました。こんな頃は出店、閉店をくりかえしていました。
アジア屋台から、実店舗へ
2016年には2児の子育てと仕事の両立のために、家の前にコンテナを建て「ニコル食堂」として再始動しました。テイクアウト専門のアジアン屋台にしつつ、キッチンカーでの移動販売と併用のスタイル。少しずつ定着してきたので、店内で食べてもらえるように実店舗を探し始めました。
その頃からヴィーガン(※)の勉強も始めました。きっかけは次男のアレルギー体質です。保育園のおやつタイムを見ていたら、次男を含めたアレルギー持ちの子たちだけが別テーブルで食べていました。最近は卵、乳、小麦など子どもたちのアレルギーが増えています。「アレルギー対応の食べ物であれば、みんなで楽しく同じテーブルを囲めるのに。おいしければヴィーガンとか関係なく、誰でも食べてくれるはず」。そんな思いで、コンテナを菓子製造所に登録してヴィーガンおやつの製造もスタートしました。
2018年10月、いい物件との出会いがあり、山形市江俣に店舗型の「ニコル食堂」をオープンすることができました。ヴィーガン料理をベースに、マクロビオティック(※)の考え方を合わせたカフェです。念願の店舗で意気込んでいたのですが、2年も経たないうちにコロナが始まりました。
※ヴィーガンは卵や乳製品を含む、動物性食品を含まない菜食主義のこと。
※マクロビオティックとは玄米などの穀物を中心に、旬の野菜、海藻、豆などを環境に合わせバランス良く食べる食事法のこと。
見通しが立たずどうしようかと思っていましたが、学校からお弁当の注文をいただいたりとギリギリ持ち堪えることができました。店舗を持ってキッチンカーをやめてからも、お弁当のテイクアウトを続けていたことが功を奏して、事業の支えになってくれたんです。
2022年9月「ニコル食堂」再オープン!
とはいえ、その店舗は維持できず、規模を縮小して近くの空き物件に移転することにしました。それがいまのこの場所です。ここを仕込み場所としてお弁当事業をやっています。メニューはベジかノンベジが選べるようになっていて、メニューによりますが、豆、ごま、海藻類、野菜、魚、キノコ類、芋などいろんな食材をバランスよく取り入れています。
少し単価が高めですが、健康志向の方、セミナーや会議などの昼食にご注文いただいたり、おもてなし用にご利用いただくことも多いです。食事の準備が困難な方に向けて個人宅にも配達しています。少しづつ状況が安定してきたので、2022年秋からは予約制でイートインを再開することにしました。
こうやって振り返るといろんな事業形態を渡り歩いてきましたね。自分としては、PDCA(Plan[計画]Do[実行]Check[評価]Action[改善])を高速で回しているという感覚で、ちょっと急いで進めている気もしますが(笑)。変化しながらも飲食業を10年続けて、ようやく身を結んできた感覚があります。
山形市で起業するということ
他のまちと比較はできませんが、山形市は起業しやすいまちだなと思います。実店舗を持つときには「創業ゼミ」という市の支援プログラムにお世話になり、無料で面談を受けながら事業計画を構築していき、融資もスムーズに受けることができました。ほかにも商工会が頻繁にセミナーを開催していたり、税務や法務などの専門家に無料で相談できたり、「Y-biz(山形市売上増進支援センター)」にお世話になることもありました。
私の場合は銀行の担当の方が親身になってサポートしてくださり、こうした行政関係のサービスをまとめて紹介していただきました。銀行選びもかなり大切だと思います。
起業というと時間もお金も費やさなきゃいけないとか、ハードルが高いイメージがあると思います。だけど、メルカリで一品売ってみることも起業の第一歩だし、料理が得意なら料理代行で数千円を稼ぐところから始めるのでもいいと思うんです。
起業の種は身近に転がっているはずなので、できるだけ早くアクションを起こすことが大切だと思います。行政による起業支援サービスもありますし、小さな一歩さえ踏み出してしまえば、あとは進むだけ。最初に大きな投資さえしなければリスクはないですよ。うまくいかなかったらどこかに勤めたり、別のチャレンジをすればいいだけですからね。
いつか、みはらしの丘で子ども食堂を
最終的には、自宅のある「みはらしの丘」で子ども食堂をやりたいと思っています。みはらしの丘は新興住宅地で若いファミリーが多く住んでいます。子どもの同級生の様子を見ていると共働き家庭が多く、家で長時間1人で過ごしていたり、夕食はインスタントを食べている子もいます。最近は学校の授業に集中できなかったり、夢を持てない子が増えていると言われていますが、そこには食が関係していると思っているんです。
実は自分にも反省点があり、数年前、私が忙しすぎてご飯をしっかりつくってあげられなかったことが原因で上の子がアトピーを悪化させてしまいました。いまは回復していますが、後悔が残っています。
親が忙しいのはしょうがないことです。だから自分の知識と反省を生かして、子どもたちの食環境をサポートできる場所をつくれたらと思っているんです。
子ども食堂にはいろんなスタイルがありますが、私が目指すのは、料理を一緒につくって学べたり、みんなでつくってみんなで「いただきます」と言えるような場所。手づくりのぬくもりを感じたり、子どもたちが自立することの手助けができたらいいなと思っています。
子ども食堂を慈善事業として続けるためには安定した収益が必要で、いまはこの店舗のみですが、市内の南のエリアにもうひとつ拠点をつくりたいと考えているところです。子ども食堂という目標がいまの事業を育てていく原動力になっています。夢の実現に向けて、少しづつ挑戦を続けていきたいと思います。
取材・文:中島彩
撮影:伊藤美香子