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山形県天童市・移住者インタビュー/半澤祐介さん「人やまちに寄り添った建築士でありたい」

インタビュー

2023.03.28

山形県天童市の大工工務店で働く半澤祐介さんは、新潟と東京での生活を経て2021年にUターンしました。学生時代に建築の道へ進むことを志して以来、15年以上にわたり建築業に携わってきた半澤さん。移住のきっかけとともに、建築という仕事の魅力やまちづくりとの密接な関係性、これから取り組んでいきたいことなど、お話をうかがいました。

山形県天童市・移住者インタビュー/半澤祐介さん「人やまちに寄り添った建築士でありたい」
山形市出身で市内の高校を卒業後、新潟の大学で建築を学ぶ。大学院修了後は東京の組織設計事務所に勤務し、その後帰郷し〈丸櫻建成〉へ入社。一級建築士の資格を持ち、同社では主管を務める。

東京での暮らしには
何の不満もなかったけれど

天童市で江戸時代から代々続く、〈丸櫻建成〉の建築士として活躍する半澤さん。山形市内の高校を卒業したあとに新潟大学へ進学し、そこで建築を学びました。大学院修了後は、東京の組織設計事務所〈日建設計〉に就職。東京タワー、東京ドーム、東京スカイツリーといった多くの人が一度は耳にしたことがあるような施設を手がけている会社でもあります。13年間勤務したのち、2021年に山形県へUターンし、現在は天童市内で奥さまとふたりのお子さんとの家族4人暮らし。山形市にあるご実家は天童市からも近く、住まいと職場とご実家とが行き来しやすい環境になりました。東京での生活に不満があったわけではないけれど、遅かれ早かれ地元には戻るつもりだったといいます。

「Uターンするにあたり、ネガティブな理由はまったくなかったんです。東京に住んでいたときは、仕事の環境や人間関係にも恵まれていましたし、子どもがいることで家族ぐるみのお付き合いをさせてもらっていた方々もいました。ただ、10年後や20年後のことを考えたときに、自分たちが同じ場所に住んでいるというのがイメージできなかったんです。東京で就職はしたものの、いつかは山形に戻るんだろうなと漠然と思っていました。とはいえ家族の生活もあるので、自分ひとりで簡単に決められることではありません。だとすると、戻るタイミングはいつが良いんだろう?というのはずっと考えていました」

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勤務先である〈丸櫻建成〉は、創業150年以上の歴史ある大工工務店。2019年に完成した新社屋は、建物の正面と背中、言い換えると表と裏の境界線がないつくりになっている。コンセプトは「背中がない社屋」。
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天童にきたばかりのころは、倉津川沿いにとても惹かれたと話す半澤さん。こちらでは、まちの中心に温泉施設があるという環境から、ふらっと温泉に行く機会も増えたそう。

移住の決め手は同級生との縁と
お子さんの進学のタイミング

移住の決め手になったことはふたつあります。ひとつには、現在同じ会社に勤める櫻井佑さんの存在。櫻井さん自身も東京で働いたあとに帰郷し、半澤さんよりひと足先に、家業である〈丸櫻建成〉の仕事に携わっていました。

「とにかく熱量がすごい人なんです(笑)。彼は大学時代の同級生なんですけど、その頃から変わらないですね。お互いそれぞれに就職したあとも、帰ってくるつもりなら一緒にやろうと声をかけてくれたり、なにかと自分のことを気にかけてくれたりしていました。天童市を選んだのも彼の存在が大きかったです」

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大学・大学院時代の同級生であり、同じ職場で働く櫻井佑さん。天童市出身。(半澤さん提供)

もうひとつの理由は、ふたりのお子さんが中学校と小学校にそれぞれ進学するタイミングだったことから。天童市では移住支援金のほか、小中学校の新入生への入学応援金(一人あたり10万円)が支給される制度などもあり、そういった支援が見える形で存在しているのも後押しになったと話します。

「ただ、やっぱり一番は、家族の理解があったからこそ決断できたと思っています。僕の個人的な強い思いで移住することになったわけなので。家族が山形を好きだったのはありがたいことでしたが、妻や子どもたちからしてみれば、慣れ親しんだ場所や友だちとも離ればなれになってしまうじゃないですか。それなのに、一度も反対されたり否定されたりはしなかったんですよね。コロナ禍の移住だったこともあり、なかなか思うようにいかなかったりすることもあったけれど、家族たちには本当に感謝しています」

天童で暮らすようになって約2年。芋煮会をしたり、近所の人からおすそ分けとはいえないぐらいの量の旬のくだものや野菜をどっさりもらったりすると、「ああ、帰ってきたんだな」と実感するそうです。

「春になると、田んぼに水を張るじゃないですか。水鏡になってすごくきれいだったので、車を停めて思わず写真を撮るんですけど、会社の大工さんに写真を見てもらうと、『何で田んぼなんて撮ってるの?』という反応で(笑)。当然といえば当然ですよね。僕もあらためて気づいたことでもありますし。だから、これもひとつの天童の魅力なんだろうとは思います」

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木製の看板に記された〈丸櫻建成〉コーポレートロゴ。社名のとおり、丸く収める「丸」と「桜」の花びらを組み合わせた、紋のような風格が感じられるデザイン。

建築の道を志すきっかけとなった
大工さんの記憶と「雁木づくり」

半澤さんがはじめて建築の仕事にふれたのは、小学生だったころに遡ります。当時はまだ、建築士や設計士という職業こそ知らなかったものの、屋根に登って作業している大工さんの姿は目に焼き付いていたのでした。

「小学校低学年のときに実家の増改築をしたんですが、両親がいうには、僕はずっと工事現場に張り付いて見ていたみたいで。自分自身の記憶でも、学校から帰るといつも大工さんが作業していたのを覚えています。それから、祖父が建築関係の仕事をしていて、家には図面が置いてあるような環境だったので、幼いころになんらかの影響は受けていたのかもしれません」

高校で進路を決める時期になり、将来ものをつくるなら何をつくりたいか?と考えたときに、一番最初にイメージとして浮かんだのが建築でした。そこから今の仕事に進む大きなきっかけとなったのが、大学3年生のときに行われた「雁木(がんぎ)づくり」の特別講義。雁木(がんき)とは、雪の多い地域に見られる民家の軒から差し出された雪よけの屋根を指すのだそうです。

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大学3年生の特別講義で取り組んだ「雁木(がんぎ)」づくり。中央の新しい木材の部分が建替えた雁木。(半澤さん撮影)

「なかなか本格的な授業で、コンペで選ばれたグループが実際の土地に雁木を建てるというものでした。地域の人とかかわりながら、自分たちで設計して建てるところまで一貫して経験させてもらったおかげで、僕自身も建築の道に進もうという気持ちが強くなりました。住まい手さんや近隣住民の方からご意見をいただいたり、一緒にワークショップを行ったりしていくうちに、新潟のまちに活気が生まれていった感覚もあって。これはまちづくりなんだ、ということもはっきりとわかってきたんです」

まちづくりを考えるうえで、対象としての「もの」があると取り組みやすい。しかしながら、そこに使い手である「人」が根付かないと、瞬間的な賑わいだけで一過性のものとして終わってしまう。やはり真ん中にくるのは、その地域に住む人たち。

「継続性が生まれることが重要な気がします。まちづくりのはじめの一歩は、まちに眠る手がかりや地域に根ざしたキーマンを見つけることなのかもしれません」

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「工務店の場合、あらかじめ決まっているデザインをベースにつくることが多いんですけど、弊社ではデザインや設計の提案まで行なっていることや、自社所属の大工さんがいるということも特徴的だと思います」
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かすかに残る木のにおいと、こんもりと積もったおがくず。さまざまな角材や板があちこちに置いてある。 敷地内にある加工場は、大工さんが材料を切ったりする場所。

家づくりからひろがっていく
「建築×まちづくり」とこれから

前職では、海外の大規模施設の意匠設計なども手がけていた半澤さん。そこでは建物というよりも、ひとつのまちを作るような感覚で、日本では想像できないぐらいのスピード感とスケールの違いを目の当たりにしました。現在の仕事は住宅設計がメインですが、大型施設の設計を行うときの発想や視点を家づくりに落とし込んで提案するなど、前職での経験が活かされる場面も多くあります。

「持ち主さんが存在する個人のお宅と、不特定多数の人が利用して管理されている施設とでは、建物に対する考え方から設計のアプローチの仕方まで全然違います。僕は建築業に携わってから15年ほど実務をやっているので、設計者としてのキャリアはそれなりに長いかもしれませんが、住宅設計者として学ぶことはまだまだたくさんあります」

丸櫻建成の建築事例を見ると、一軒一軒それぞれの家に個性があり、住む人の数だけ住まいのかたちが存在するのだということが感じられます。

「同じような型を設計するのではなくて、その人に合ったものを提供したいというのがあるんですよね。自分たちのスタイルにこだわるというより、どんなふうにすれば寄り添った建築になるかっていうところを重視しています。お客さまのご要望に応えることができるのも、技術者である大工さんと設計者が同じ会社にいて、密なコミュニケーションを取れる環境だからこそ、実現できているんじゃないかと思っています」

そしてこの春、新たな展開が。大学時代に半澤さんや櫻井さんと一緒によく遊んでいたうちのひとりの同級生がUターンし、なんと丸櫻建成に入社するのだそうです。

「大学生のころに櫻井くんが “いつか3人で一緒にやろう” と話していたのが実現するなんて、なんだか嘘みたいな話ですけど、まさかそのタイミングがやってくるとは。
建築って、まちの風景をつくる仕事でもあると思うので、点でつくるだけではなく面でつくることの重要性も感じるんですよ。そういう意味では自分も含めて、同じ地域で暮らす人同士がいろいろな視点を持ち寄りながら連携して、まちの特徴や魅力を見つけられていくと良いのかなと思っています。これからこのまちでどんなことができるのか、まずは楽しみながらやっていきたいですね」

山形県天童市・移住者インタビュー/半澤祐介さん「人やまちに寄り添った建築士でありたい」
大工さんの仕事を肌で感じられる環境で働いていると、幼いころに大工さんが作業する様子を現場に張り付いて見ていたときの記憶を思い出すことがあるという。

INFORMATION
丸櫻建成
山形県天童市大字蔵増476-1
023-654-5285
https://www.marusakura.jp/

写真:布施果歩(STROBELIGHT
文:井上春香