【愛知県一宮市】世界が認める織物産地の魅力を発信 「尾州のカレント」
お店の情報
「尾州(びしゅう)」と呼ばれる愛知県尾張西部から岐阜県西濃地域一帯。木曽川流域の豊かな自然環境に恵まれたこの地は、戦後、日本一を誇る繊維の産地として隆盛を極めました。熟練した職人の手によって生み出される尾州産の服地。その優れた品質と技術が世界的なハイブランドや名立たるデザイナーたちから高く評価され続ける一方、時代が移り変わるにつれ安価な外国産のものが大量に輸入されるようになり、産地の状況は年々厳しくなっていきました。そんな現状を憂い、自分たちの力で再び盛り上げようと立ち上がった若手たちがいます。
織物産地の象徴「のこぎり屋根」の工場へ
取材のため訪れた木玉毛織株式会社は、尾州の中心・一宮市で明治28年に創業した歴史ある繊維会社。築60年を超える工場の一角に、尾州産の生地を使ったオリジナルブランドのアイテムを販売するショップ「新見本工場」があります。
お話をうかがった彦坂雄大さんは、服地や洋服を販売する会社(大鹿株式会社・一宮市)に勤めながら、同じ志を持つ仲間たちとともに、会社や業種の枠を超えた「尾州のカレント」というサークルを結成し、代表を務めています。
「尾州」の名前さえ知らなかった
セレクトショップ店員時代
「大学生の頃からとにかく洋服が好きで、就職活動にお金をかけるぐらいなら洋服代にまわしたいと言って、親にも呆れられたほどです」と笑う彦坂さん。服の魅力にはまり夢中になった自らの学生時代を振り返りながらインタビューに答えてくれました。
大学生のときにアルバイトをしていたセレクトショップに卒業後、そのまま就職。27歳まで大好きなアパレルの世界で働きましたが、年々厳しくなっていく販売業の将来に、徐々に不安を感じ始めるようになったのだそうです。
「毎日店頭に立って接客をしているうち、日に日に服が売れなくなっていくのを肌で感じるようになったんです。その頃、ちょうど結婚したこともあって、家族の将来を考えてもこのままセレクトショップで販売の仕事を続けていくのはしんどいなと思い、転職を考えるようになりました」
それでも大好きな洋服にまつわる仕事がしたいという気持ちは変わらなかったという彦坂さんは、服地を製造する会社にも視野を広げて求人情報を探すことに。しかし社員を募集している企業はほとんど見つかりませんでした。そんな時、たまたま見つけたのが、生地や服の製造を行う会社でした。
かねてからの念願でもあった服を作る仕事ができることが決め手となり、服地メーカーの大鹿株式会社に入社したのが2015年のこと。ところが、そこで目にした繊維産業の現場にいきなり愕然としたと、当時の心境を語ります。
「日本のアパレルメーカーでありながら、生地の多くは中国など海外の工場で製造されていて、国内ではほとんど作っていないことに驚きました。もう一つの驚きは、かつてこの地域は日本一の服地の産地だったのに、僕が入った頃には業界全体が衰退していて全く儲かっていないという現実。少ない給料で腕の良い職人さんたちが真面目に一生懸命仕事をしている姿を見て、まだ何もできない自分のような若い社員が、給料をもらってはいけないんじゃないかと思ったほどです」
メーカーといっても自社に工場を持つ会社は少ない産地の現実。そもそも尾州が日本最大の繊維産地だったということがほとんど知られていないことにも、大きな課題を感じたといいます。
「尾州にも比較的近い岐阜の可児市で生まれ育ち、服好きで、長年アパレルの仕事をしてきた僕ですら、一宮が服地の一大産地であったことを全然知りませんでしたから、一般の人が尾州のことを知らないのも当たり前ですよね。つまり良いものを地道に作ってきた産地なのに、そのことがまったく発信できていなかったということなんです」
初めて訪れた繊維工場で
産地の未来の可能性を確信
産地の厳しい現状を目の当たりにし、とにかくこのままではダメだ、自分には何ができるのだろうと、彦坂さんは真剣に悩みました。
「新しいことを始めるか、それとも今すぐここを辞めるか、会社のためにはその二択しかないと思いました。だけどせっかく思い切って飛び込んだ世界、辞めるより新しいことに挑戦する道を選びたいと思ったんです」
とはいえ、工場の様子さえ見たこともなく、何から始めればいいのか具体的な案はありません。社内に同世代の若手社員もいない中、たった一人で試行錯誤するしかなかった彦坂さんでしたが、入社後、半年余りが過ぎた頃、密かに憧れ、尊敬していた職人さんの一人が「機屋(工場)を見てみたいか?」と声をかけてくれました。これが大きな転機になったのです。
「それまでほとんど話しかけてもらうこともなかった、雲の上の人のような存在でしたからそれは嬉しかったですね。もちろん見たいです!とすぐ答えました。すると、同じ愛知県内にある津島市の毛織物の工場に連れて行ってくれて、やっと生地が作られている現場を見ることができたんです。それが入社直後に味わった、あの絶望感に近い衝撃に続き、二度目の衝撃でした(笑)」
工場を訪れ、織物の産地らしい現場を生まれて初めて自分の目で見ることができた喜び。このとき彦坂さんは「尾州の将来には絶対に勝算がある」と確信したと言います。
「尾州の織物産業がそもそも中途半端なものであったなら、再び盛り上がったとしてもそこまでだろうなと。でも、かつて日本一を誇った一大産地だからこそ、また日本一に戻せる可能性はあると思いました。問題はそのこと自体があまりにも知られていないということ。多くの人に知ってもらうためにはどうしたら良いかをまず考えなければと思いました」
販売の経験を生かしてデザインにも挑戦
オリジナルブランド「blanket」誕生
産地で働く自分たちが積極的に外に向け発信していくしかない。そのためにもっとも確実で時間のかからない方法は、デザイナーやブランドに売り込むいわゆるB to Bでなく、メーカーから直接、消費者に向けたB to Cの発信が最善策。そう考えた彦坂さんは、生地そのものよりも製品に仕立てて販売を行うのが早道と、オリジナルブランドの立ち上げに着手。
「師匠である二人の職人が、それぞれ得意とする2種類の生地を使ってピーコートとダッフルコートをデザインしました。僕にとってデザインはもちろん初めての挑戦でしたが、流行に関係なく長く取り入れてもらえるよう、ベーシックなアイテムでしっかりとしたプロダクトを作りたかったのと、販売員時代からたくさんの服を見たり着たりしてきた経験を生かして、本当に良いと思うものをベースに、理想のデザインを形にすることができました」
そうして誕生した「blanket」は、当時はまだ誰にも知られていない無名のブランドでした。けれど品質には絶対の自信があった彦坂さんは、以前の職場である名古屋のファッションビル「ラシック」で販売したいと考え、チャンスを自ら掴み取って会社に報告。しかし、まわりからは半信半疑の反応。高品質で高価な生地だからこそ、売れる保証のないものを作ってもらうのは簡単ではありませんでした。けれど彦坂さんは、販売員時代の経験から「これなら必ず売れる」と確信があったのです。
「まずは14着だけ作らせてくださいと説得し、いよいよラシックでの販売が始まりました。すると初日に1着78,000円(税抜)のコートが売れたんですよ!それはもう、ドヤ顔で会社に報告しましたね。みんなから、嘘でしょ?みたいな反応をされましたけど(笑)」
本物の価値は、わかる人には必ず伝わる。彦坂さんの信念と行動がそれを実証した瞬間でした。優れた技を持つ尊敬する師匠たちが、自らの仕事の価値に気づき、誇りを取り戻してくれたことが何よりも嬉しかったといいます。
「僕が入社した当時、尾州という産地はもう後がないほど厳しい状況に置かれていました。尾州の価値をたくさんの人に知ってほしいけれど、まずは業界内の作る人と売る人、互いのコミュニケーションがうまくとれていないというもどかしさもあったんですよね…」
そんな思いが、やがて『尾州のカレント』の始まりにつながっていくことに。
織物産地・尾州を“本気で”愛するの仲間たちと
「尾州のカレント」を結成
入社以来、ブランド立ち上げまでをほぼ一人で進めてきた彦坂さんでしたが、一人では発信力が弱すぎると感じていたちょうどその頃、一宮市の真清田神社で開かれる大きなイベント「杜の宮市」から、尾州産地にある数社の織物関係の会社に、共同で出展して欲しいというお誘いが舞い込みました。
「ありがたいお話でしたが、実際、難しいとも思いました。というのも、同じ産地の中にある会社はいわばライバル同士。普段から頻繁にコミュニケーションを取り合っているわけでもありません。でもイベントへの出展は尾州産地のPRには絶好の機会。参加するにはどうしたらいいのか悩みました」
より良い方法を探す中で思いついたのは、産地の将来のため、ともに力を合わせていける同世代の仲間たちと、会社や業種の枠を超えたチームを作ろうというもの。彦坂さんは新しい挑戦に向かって動き出しました。
「産地がなくなれば若手の僕らも仕事を失う。会社が違っても、これはみんなにとって死活問題なんです。だからこそ、業界の中にいる本気の人たちが手を組み、自ら発信していくことが大事だと思いました。そこで僕から声をかけ、この人なら、と思える仲間たちでチームを結成しました。本音で話すためには対等な立場であることも大事なので、メンバーの中に経営者は一人もいません。一番重視したのは“良い人”であるという点。そうでなければ仲良くできないし、いいチームにならないですから」
糸を作る人、生地を織る人、縫製をする人、さらに、その魅力や価値を効果的に発信するため、イベント企画や広報を担当する人。会社も業種もさまざまな顔ぶれが集まり、尾州の若手が自主的に活動するサークル「尾州のカレント」が誕生しました。
「『カレント』とは川の流れという意味の英語です。釣り用語でもあるので、釣りが趣味の僕にとって耳馴染みのある言葉でしたし、産業の流れのことをカレントと表現することもあります。織物業界で言えば、上流で紡がれた糸が中流で服に仕立てられ、それを販売するのが下流。産地内のコミュニケーションが滞る、つまり川の流れが良くなければ業界全体がうまくいきません。尾州の中に常に良い流れを生み出したい、カレントという名前にはそんな思いが込められています」
尾州の魅力を広く伝えるため
幅広く多彩な活動を実施
現在、「尾州のカレント」の主な活動は、年に数回開催されるクラフトマーケットをはじめとしたイベントの企画運営。ミュージシャンをゲストに招き、のこぎり屋根の工場の中にある倉庫跡を会場に行うライブには、毎回多くのファンが集い、大いに盛り上がるのだとか。
さらに、一宮や名古屋の百貨店でのポップアップ出店やSNSでの情報発信。地元のコミュニティFM局では隔週水曜日に「びしゅうの放送室」を生放送中。彦坂さんがパーソナリティとして出演し、尾州の魅力を発信しています。
産地の次代を担う使命を胸に
好きな場所で好きなことを一生懸命に
尾州のカレントの活動は、すべて会社の仕事とは別の自主的なもの。最近では各方面からの取材も増え、ますます多忙に。彦坂さん自身、まわりの人から「なぜそんなに頑張れるの?」と聞かれることも多くなったそう。
「なぜかと言われても、自分の好きなことだし、尾州が好きだから。本当にそれだけなんですよね。カレントの活動も会社での仕事も、仕事というよりは自分自身の人生そのものとして楽しんでいる感覚です。発信力をつけたことで、実際に身につけてくださる方が一気に増え、売上が数字に表れてくるようになりましたし、SNSではファンの方どうしが情報交換していたり、尾州のことを語り合ってくれるようになったり。反響があるのが本当にありがたいです。忙しいですけど、毎日楽しいですよ!」
織り、染め、縫製に至るまで、尾州の生地はまさに最高級の技術の結晶。良い生地は、見た目の良さはもちろんのこと、着心地が格段に違うと彦坂さんは胸を張ります。
「問題は、ブランド製品として仕上がると価格が一気に上がってしまうこと。それが理由で生産する我々が身につけられないのでは説得力がありません。なので、新見本工場で提案・販売するものは価格を極力抑え、産地で働く僕たちがまず率先して身につけるようにしています。尾州の生地は本当に着心地がいいんです。実際に着てみることで、その実感を自分たちの言葉で伝えていくことができるようになりました」
尾州が誇る生地の良さをもっともっと多くの人に知ってもらいたい。オンラインショップでの販売もあるけれど、一宮にある店舗に足を運んで、ぜひ試着をしてみてほしい、と彦坂さん。惚れ込んだ尾州生地への熱い思いが伝わります。
衰退の一途を辿り、一時は過去のものとなりつつあった尾州のものづくりは、いま、若い世代の担い手たちの情熱によって再びその価値に注目が集まり、産地の誇りと匠の技が着実に次代に受け継がれています。
名称 | 「新見本工場」 |
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URL | 「尾州のカレント」 「新見本工場」 |
住所 | 〒494-0011 |
営業時間 | 月曜 13:00-17:00 |
備考 | FM一宮「びしゅうの放送室」毎月第二、第四水曜日 20時~20時半 |