【福井市】由利公正から意志を受け継ぐ写真館「東光軒」
連載
新栄商店街には個性的なお店が立ち並んでいます。一体、どんなお店があるのでしょうか?real local 福井では、実際に訪れて店主さんの声を聞いてみることにしました。
3店舗目は写真スタジオ「東光軒(とうこうけん)」です。取締役の天谷利子さんにお話を伺いました。
新栄商店街の動きについてはこちら↓↓↓
・新栄商店街のこれまでとこれから
https://www.reallocal.jp/105651
・新栄商店街を陰ながら支えて
https://www.reallocal.jp/106379
【目次】
・ニャースケと歩んできた撮影スタジオの日々
・幕末の藩士・由利公正に名付けてもらった祖父の屋号
ニャースケと歩んできた撮影スタジオの日々
東光軒は、新栄商店街の一番西側に面し、西武福井店の斜め向かいに位置する写真スタジオです。ショーウインドウには、カメラマンを務める天谷さんが撮影した写真や、ユーモラスなデザインの看板が飾られています。
中に入ると、成人式のハレの日や、家族写真、赤ちゃんの誕生写真など、写真スタジオならではの記念写真が店先に並べられている中、レジカウンターには茶トラの猫ちゃんのお人形が…。
「この子は初代ニャースケに似てるんですよ。今はね、二代目ニャースケ」と天谷さん。聞くとこのニャースケくん、東光軒ではさまざまなエピソードを残す伝説の看板猫だったようです。ショーウインドウに飾られている猫ちゃんが、そのニャースケくんご本「猫」。モデルとしての才能を遺憾なく発揮し、全国発売のカレンダー写真集にもその姿を残しました。
「ニャースケのごはんは、お向かいの西武の地下食品売り場で買うんですよ。馴染みの魚屋さんに寄るとご主人が私の顔を見るなり、『坊ちゃんのごはんできてるヨ〜』と店の人が言うんです(笑)。姉と一緒にニャースケを連れて、近所にある栄パーキングのお散歩をすると、高級車の近くまで行ってそのホイールを見て興奮したりね」
ニャースケくんの姿がはっきりと見えてくるような東光軒の日々。もちろん、街の人々の記念の姿も、この場所でたくさん残されてきました。誕生記念日や成人式、年末に必ず家族写真を撮りにくる人もいたそう。祖父から「東光軒」を引き継いだ父の撮影スタジオの仕事を手伝うようになって、50年ほどのキャリアとなった天谷さん。多い時は1日に30人ものお客さんの撮影を引き受けていました。店頭に並ぶ記念写真を見ると、それぞれの思い出が詰まっているようです。
幕末の藩士・由利公正に名付けてもらった祖父の屋号
そんな「東光軒」ですが、店の名前はどんな理由から?と質問をしたところ、「この名前は祖父が由利公正(ゆり きみまさ)につけてもらったんですよ」と、思いがけないエピソードを天谷さんは語ってくれました。
「祖父は由利公正の書生(住み込みで家事手伝いなどを勉学をする若者)に入って京都の染色の学校に行っていたんです。福井に戻り染物屋をやっていましたが、第一次世界大戦で染料が入らなくなってやめました。その後、いろいろな縁があって写真館を始めることになり、『東光軒』の看板は由利公正が京都の御所で書いたものと聞いています」
「五箇条の御誓文」の作成に尽力したことで知られる由利公正は、福井藩出身の幕末の政治家。横井小楠や坂本龍馬、木戸孝允などと共に、幕末の動乱を駆け抜けた藩士です。そんな歴史上の大物の名前が突然上がり、驚くのも束の間、実際に由利公正直筆の資料なども見せていただきました。
新栄商店街のエリアを江戸〜明治時代まで遡ると、まさしく福井城のお膝元にあり、横井小楠の邸宅が近くにあるなど、歴史的にも重要人物が行き来していた光景が見られたかもしれません。その時代からバトンを受け継いで、今ここで写真を撮り続けている天谷さんとお話していると、また違ったイメージで新栄商店街を切り取ることができそうです。
最近では街の人もスタジオ撮影の経験が少なくなってしまったそうで、今後、浴衣撮影会など、街の人に気軽に撮影体験ができないか思案中。また新しい歴史の一枚が残されていくことに期待しています。
お店には、もしかすると二代目ニャースケが出迎えてくれるかも?会えたらラッキーです!
次も新栄商店街のお店を引き続き紹介していきます。どうぞお楽しみに!