【名古屋市中村区】名古屋の駅西で53年の歴史を重ねる 「ホリエビル」再生の物語
地域の情報
リニア中央新幹線の開業を数年後に控えた名古屋駅。古くから「駅西」と呼ばれ観光客や地元の人たちに親しまれてきた西側のエリアは、現在、急ピッチで進められる再開発の喧騒と昭和の面影を残す昔ながらの雑多な雰囲気が混在し、あらためてその魅力に注目が集まっています。そんな駅西エリアの一角で、移り変わるまちの姿を見守るように佇む小さなレトロビルが、まちの新しい憩いの場、情報発信の拠点として話題となっています。
駅西で50年以上の歴史を重ねる「ホリエビル」
名古屋駅の太閤通口から歩いて3分ほどの場所にある「ホリエビル」は、築53年、屋上付きの3階建て。1階は書店と喫茶、2階はギャラリースペースとフリーペーパー専門店。3階は複数のデザイン会社のオフィススペースとして活用されています。
運営するのは、デザイン会社でグラフィックやウェブデザインなどを手掛ける堀江浩彰さん。このビルはもともと堀江さんのお祖父さんが家業のために建てたもので、後に会社の機能が別の場所に移転。お父さんの手に渡ってから20年ほどの間、貸ビルとして使われていました。
今から7年ほど前にテナントが退去し、空きビルに。その際、堀江家3人兄弟の長男である堀江さんは、「駅のビル、どうしよう…」と、母から相談を受けました。それを機にビルの今後を本気で考え始めることになったのです。
家族の象徴を守り、
みんなが幸せになれるかたちを模索
以前から、いつかこのビルが空いたら何かしたいという漠然とした思いはあったものの、当時はすぐに具体的なアイデアは思い浮かばなかったという堀江さん。
有効な使い道を考えなければと思いはじめた矢先、管理を任せていた業者さんから早々に買い手が見つかったとの連絡が。売り渡した後、ビルがどうなるのかが気になり使い方を聞いてみると…。
「売った後にビルを壊すと聞いて、それは嫌だと。だったら売るのはやめようと思いました。そもそも僕がここで何かできたらいいなと思っていたのは、祖父や父の思い出が詰まっているビルだからだし、子供の頃から馴染みのある名古屋駅に近い場所だから。
かといって親子間で相続するとなると兄弟や親族の間の揉め事にもなりかねない。なんとかみんなが納得する形で維持できないかといよいよ本気で考えはじめたんです」
堀江家の歴史と家族の愛着が詰まった「駅のビル」。堀江さんが目指したホリエビルのより良い使い方とは、両親や兄弟が納得し、堀江家にとって大切なこのビルを、みんなにとって幸せな形で維持すること。
けれども、それまでデザイン会社の社員として日々忙しく仕事をしてきた堀江さんにとって、ビルの運営や不動産の相続に関する知識はほぼ皆無と言っていい状況でした。
「まったく何もわからない状態から、まず最初に調べたのは相続に関すること。ネットでたくさん検索した履歴が今も残っています。それを見ると、最初は手当たり次第に調べていて、段々と検索ワードが絞られていく過程がわかって面白いですよ(笑)。
とにかく、僕が個人で父から譲り受ける形にすると後々必ず揉め事になるのは明白でしたから、それだけは避けたかった。そんな時、たまたま観たテレビのドラマで、これだ!とひらめいたんです」
ドラマをヒントに堀江さんが考えついたのは、不動産管理の会社を新たに設立し、そこにビルを売却するという方法。つまり、父から継いだ不動産を不動産管理会社の所有にし、土地やビルを使って生まれる利益は将来的には堀江家の家族間で平等に分配するという仕組み。
「会社の代表は僕自身が務めるわけですが、不動産そのものは堀江家のものではないという形にして、ビルが生み出す利益を家族のみんなに分配する。この方法なら不公平がないですよね。
その仕組みを説明するために資料を作って、両親、兄弟ひとりひとり個別に話をしました。新しく会社を作るとなると銀行から融資を受けるために急いで定款も作らなければいけない。当時はとにかく何から何まですべてを同時に進めないといけなくてすごく大変でした」
それ以降、税理士や司法書士など専門家のアドバイスを仰ぎながら、会社設立に向けての準備を本格的にスタートした堀江さん。ついにビルを管理する「屋上とそら株式会社」を立ち上げ、自ら代表に。およそ1年を経てビルの譲渡が完了しました。
自分の〝好き〟を実現する拠点に
こうして法人所有となったホリエビルでしたが、次に問題となったのはその使いみち。出入口が一ヶ所しかなく内部に階段が設置された構造上、フロアごとにテナントを入れるのは難しいと判断。それならば、すべてのフロアを自分の好きなこと、やりたいことを実現するスペースにしようと考えました。
一階の奥は堀江さん自身が大好きなホットケーキとクリームソーダが名物の「喫茶リバー」に。ペパーミントグリーンの壁に囲まれた居心地のいい空間は、地元の人たちや県外からの観光客、カフェが好きな人がふらりと訪れる憩いのスポットになっています。
全国のフリーペーパーを集めた貴重なショップとして多くのファンが訪れる。
昨年、入り口を入ってすぐのスペースに、地元・愛知や名古屋に特化した本をセレクトしたユニークな新刊書店「NAgoya book center(ナゴヤブックセンター)」をオープン。名古屋の魅力を集めた新しい情報発信の場として注目を集めています。
4年ほど前にはホリエビルの向かいに建つ元老舗旅館「大松」の建物を活かした新館「ホリエビルANNEX」も完成。リニア新幹線開通後、駅西に観光客が増えることを見越して、東海エリアのお土産を集めたセレクトショップ「オミャーゲ名古屋」もスタートさせました。
幸せな生き方を体現する「ホリエビル」
「そもそも僕は、ホリエビルで必要以上にお金を儲けるつもりはありませんでした。ただ、堀江家にとって大切なこのビルを僕に任せてくれた両親に対し、売却時に得られただろう利益分以上のものは残してあげたいと思いました。
ビルをどう使おうかと考えていた2017年当時、僕はちょうど40歳だったので、せめて自分が60歳になるまでの20年間は現状維持できるようなものにしたかったし、自分たちの将来も見据えて、今後どういう働き方をしたいのかを大事にしたかった。ホリエビルは、そんな想いを集結したような場所になればいいと思っています」
念願の一つだった書店を始めたことを機に、次は出版業も手掛けてみたいと構想を話してくれた堀江さん。ところが意外にも自分自身はゼロから何かを生み出すことが得意なタイプではないと言います。
「ゼロイチが得意そうってよく言われるけど、実はまったく違います。僕はゼロベースで何かを生み出すよりも、アイデアを持っている人と組んで、それを仕事にする仕組みを考える方が向いている。
ただ、一緒に組む相手は誰でもいいわけではなく、きちんと関係性ができている人とでないと心が動かないんですけどね(笑)。みんなやりたいことを心に秘めているはずなのに実現できないのは、人をあてにしたりいろいろと理由をつけて自ら動き出さないからだと思うんです。
本当にやりたいと思えばいつだって始められる。ホリエビルの存在が、そういうことに気づいてもらえる場所になれたらいい」
人の評価やビジネス的な成功よりも、自分の気持ちに忠実に生きることが一貫した堀江さんのスタンス。好きなまちの一角に居心地の良い場所を持ち、日々、気持ちよく暮らすこと。長く持続できる真の幸せを目指すその生き方は決して特別なことではなく、誰もがすぐにでも始められることなのかもしれません。
ホリエビルのコンセプト「IT’S SO EASY」には、そんな想いが込められています。名古屋の駅西を拠点にした新しい文化の発信地「ホリエビル」を核にした面白い取り組みは、まだまだ変化を続けていきそうです。