【鹿児島県鹿児島市】選択の幅を広げ、一人一人が人生を楽しく過ごせるサポートを / ライフキャリアコンサルタント 臼井泰子さん
インタビュー
大阪から移住し、鹿児島市を拠点にライフキャリアコンサルタントとして活動されている臼井泰子さん。個別セッションを通し、強みの発見や自己理解を深めるサポート等を行っています。そんな臼井さんから現在のお仕事に至った背景や今後の展望について伺いました。
現実を知る
高校時代、志望校合格に向けて
勉学に日々励まれていた臼井さん。
しかし、思うような結果が出ず
志望校ではない大学へ進学することになったといいます。
「当時は偏差値や大学名といったラベルを気にしていたからか、ショックを隠せませんでした。」
「でも、実際に大学に入ると、クラスメイトやサークルの友人に恵まれ、楽しい学生生活を送れたんです。みんな、それぞれ個性や特技があり、その中で“私は今まで狭い世界に生きていたんだ”と実感しました。」
「高校までは“こうあるべき”というものが自分の中にあって、視野が狭かったと思うんです。志望校には進めなかったけど、それが結果として、自分の視野を広げることに繋がりました。」
「必死に勉強をして、3年生からは違う大学へ編入しました。就活の際に、面接官が大学名でリアクションが変わるのを見て、複雑な気持ちだったのを覚えています。それは“こうあるべき”が強かった高校時代のままだったら、何も感じなかったかもしれません。」
元々音楽が好きだったことから
音楽業界で働くことに興味があったそうです。
「今思えば、当時は気持ちばかりが先行し“なぜ、音楽業界に行きたいのか?”を深堀りできていなかったと思います。」
「結局、就活はうまくいかず、営業力を身につけようと思い、広告代理店へ就職しました。若さ所以なのか、実力はないのに、自信に溢れていまして…。」
「ある時、クライアントさんに“仕事に私情を挟まないで”“あなたがどうしたいかじゃないんだよ”と注意されたことがあったんです。」
「無意識に“顧客のためではなく、自分を守る選択ばかりしていたのではないか”と気づかされました。その瞬間は今でも鮮明に覚えています。」
「そんな私でも、真剣に向き合ってくださった職場の先輩たちがいたからこそ、やりがいをもって仕事ができたかと思います。今でも尊敬している方もいて、ありがたい環境で仕事ができました。」
垣根を越えた関係性の中で
就職されてから2年半経ち、
以前から志していた音楽業界に近しい仕事へ進むことを決意し、転職。
転職先はラジオの制作会社でした。
会社と契約しているラジオDJを裏で支える仕事がメインだったといいます。
「1社目と違い、お客様と業者といったものではなく、関わる人はみんな対等な雰囲気の職場でした。当時の私の中にあった常識と違ったからか、その環境に戸惑ってしまいました。」
「元々憧れていた業界でもあったので、最初は低姿勢で臨んでしまって…。自信が全然なくて、思っていることを提案することもできませんでした。」
「教育体制もなかったので、何をしていいのかもわかりませんでした。憧れの業界に入社することが目的になってしまって、私にはビジョンが全くなかったことに後から気づかされたんです。」
「“好きなことを仕事に”とよく耳にしますが、それが全ての人にとって必ずしも幸せなことであるとは限らない。そう感じた時間でした。今思えば、いろんなことが俯瞰して捉えられてなかったんだと思います。」
その後、2社目を退職。
そして、以前から興味があったブラジル行きを決めるのです。
“カポエイラをする”ということだけ決め
それ以外はほぼ予定を立てることなく
ブラジルに向かうことにした臼井さん。
3ヶ月間、ホームステイをしながら
趣味で続けていたカポエイラのレッスンを受け
異文化に触れていきました。
その時の気づきについて教えてくださいました。
「過ごすうちに“あ、私って日本人なんだ”と思ったんです。」
「現地の人たちから“こっちで主流な髪型にしてみたら?”“短いパンツを履くのが当たり前なんだよ”と言われたのですが、頑なに拒んでしまって…。それで喧嘩になったこともありました。」
「それでも現地の人たちは優しく声をかけてくれました。言語や人種を越えて、垣根なく関わってもらえたことはとても嬉しかったです。」
「個をしっかり持ちつつ、他者を受け入れる多様性の共存を感じられました。もっとブラジルの文化を受け入れて生活していたら、違う時間が待っていたかもしれません。」
選択の軸を見つけることで、前へ
ブラジルから帰国後、やりたいことが特にない中で就職活動を始められたそうです。
その中で
偶然見つけた人材業界の会社に
企業の人事の方を顧客とする営業として就職されました。
配属された部署では
どうやったら採用がうまくいくのか
どんな採用手法がいいのか などを
顧客にアドバイスされたのだとか。
そんな時、アドバイザーとして参加した合同企業説明会にて
出会ったある学生とのやりとりが忘れられないといいます。
「大体の人が就職先を決めている中、その学生さんは“どんな仕事に就きたいのか?”かすら、決まっていない状態でした。」
「話をしているうちに、就活以前のことで悩み、相談できる人が周りにいないことがわかり、そこにショックを受けたんです。」
「10分くらいでしたが、アドバイスや深掘りをしていくと、次第に、その学生さんの目がキラキラしてきたんです。ほんのちょっとかもしれませんが、あの時間を通して、気持ちが楽になったのではないかと思っています。」
「求職活動を行う個人の支援がもっと必要なのではないか。そんな使命感が私の中に芽生えて、キャリアコンサルタント(※)の資格をとることにしました。」
資格取得後、結婚・出産を経て、大阪から鹿児島へ移住。
子育ても移住も生活環境も
何もかも初めてのことばかり…。
何より友人や家族以外に頼る人がいない状態だったため
孤独を抱えながらの日々だったそうです。
(※)労働者一人ひとりが最適な環境で自分らしく働くための支援をするキャリアコンサルティングを行う国家資格保有者のこと。
少しずつ交友関係を広げていくも
復職される時期には新型コロナウイルスの蔓延により
人との交流が難しい状況になっていました。
その状況を打開するきっかけがオンライングループでの出会いでした。
「あるオンライン講座に参加すると、鹿児島在住で私と似たような境遇の方と知り合ったんです。そこから、いろんなことに派生していきました。」
「地方へ移住して、かつ、子育てをしながら交友関係を広げていくのは非常に難しいです。でも、オンラインが普及してきたことで、友人が増え、活動範囲を広げることができました。」
「オンラインとリアルのハイブリッドで動きつつ、リアルならではの良さを作っていくことで、私が鹿児島にいる存在意義が出てくるのではと思うようになってきました。」
「この2~3年で出会った人たちを通して、自分の価値観や考え方を今まで以上に深掘りすることができました。」
「そうなることで、ありたい未来の姿が明確になり、気持ちが軽くなってくるんです。おかげで、少しずつですが、前に進むことができました。」
個として表現し、一人一人の力が発揮できるように
今年の春には『大人のためのサークル活動』を立ち上げ
さらに夏にはフリーランスとして独立され
活動の幅を広げられています。
その上で大事にされていることを伺いました。
「向き合うお客様や仲間の可能性を広げることを大事にしています。」
「妄想段階なのですが、キャリアコンサルティングを基軸にしながらも、居酒屋や駄菓子屋を将来やってみたいと思っていて。偶然一緒になった人たちが集まることで“世の中にいろんな人がたくさんいるんだよ”と見せるだけでも、その場にいる一人一人の可能性が広がるのではと考えています。」
「どんなに外に求めても、答えは自分の中にしかありません。向き合う方の気持ちを尊重しつつ、それに基づいて“だから、これを選ぶんだ!”と強く一歩進めるサポートを続けていきたいです。」
「過去を変えることはできないけど、見方を変えれば、きっと武器になって自信を持つことができるはずです。あるお客様からは“自分のキャリアに自信を持って、転職活動ができた”という嬉しい声をいただきました。」
最後に今後の展望について伺いました。
「キャリアの相談をすることが世の中的に認知されていないなと感じています。ハードルが高いというか…。個人的には美容室に通うぐらいの感覚で、自分のキャリアの棚卸しをできるような場づくりを開催していきたいです。」
「30~40代は特にライフスタイルが変化していく時期なので、横の繋がりが重要性を増すかなと考えています。仕事仲間でもなく、ママ友でもなく、純粋な個としての自分を表現でき、そんな人同士が繋がる場もできないかなと模索しています。」
「そうすることで、自分の中にあるピュアな気持ちを大切にする人が増えて、納得した人生を選択できるようになるのではないかと考えています。」
「肩書きではなく“私、これできます”と言えたら強いと思うんです。私はそれをタグと捉えていて、増えれば増えるほど、自分の面白みを見出していけると思っています。」
「一つに特化する必要はなくて、自分の活かし方はいっぱいあります。その人の特徴に合わせた発揮の仕方を一緒に考えて、これからも、一人一人が元気に人生を楽しめるようなサポートを続けていきたいです。」
URL | |
---|---|
備考 | ●SNS(インスタグラム) |