山形県天童市・移住者インタビュー/ そば吉里吉里・佐藤敬さん千佐子さん
インタビュー
天童市高擶(たかだま)地区にある「そば 吉里吉里(きりきり)」は、遥か遠方から訪れてくるひとが絶えないという人気のお店だ。それもそのはず、ここは、まさにこの場所をめざすべき目的地としてロックオンしなければ辿り着かないような、隠れ家みたいな場所なのだから。
「北海道や山形の農家さんからわけて頂いた玄蕎麦を自家製粉し手打ちしている」という吉里吉里の蕎麦は、丸抜きを石臼挽きした挽きぐるみの十割そば「ざるそば」と、石臼で挽き割った粉で打った白っぽく甘味のある「ざいごそば」があり、それぞれの味わいを愉しむことができる。
春には天然山菜の天ぷら、夏にはガスパチョそば、秋には天然舞茸の天ぷら、冬には牡蠣豆腐、そして真鱈白子の天ぷら…と、そのときどきにしか出会うことのできない旬の味覚をおすすめしてくれるのも、おいしいもの好きにはたまらなく嬉しい。
ここは、田舎の静かな住宅街にひっそり佇む、蔵座敷つきの風格ある古民家。だからだろうか、懐かしさが漂うようなこの空間のなかでそばをすすりながらゆったりと過ごす時間はとても贅沢に感じられる。交通量の多い大通りからは離れて、小さな通りに奥まった、決して目立たないこのお店に、今日この瞬間にもひとびとが吸い寄せられていくのだから面白い、面白い。
さて、そんな素敵なこのお店をこの場所に見出し、立ち上げ、切り盛りするのは、佐藤敬さん千佐子さんご夫妻だ。実はおふたりは移住者。敬さんは宮城に生まれ、東根に育ち、その後各地を転々としてきたひと。千佐子さんは札幌に生まれ育ったひと。そんなおふたりが天童市のこの高擶(たかだま)の地に辿り着き、暮らしはじめ、店をひらいたのは、2002年頃のこと。
荒れ果てた竹藪の古民家に出会い
「ここならいける」と直感した
今から約20年前、「じぶんたちの店をやりたい」という夢を抱いて、ニセコや札幌といった北海道のまちで、さらには他県の様々なまちで、たくさんの物件を探し回ったという佐藤さんご夫妻。理想の物件を探し求めた旅の果てにこの天童・高擶(たかだま)の古民家に出会ったのは、敬さんがまもなく40歳になろうという時期だった。
「自家製粉の蕎麦屋をやるには、店舗のほか製粉機などの設備も必要で、初期投資のためにローンを組まなければなりません。その年齢的リミットが40歳と言われていて…。そんなときに縁あってこの場所を紹介されました。建物は築80年近く経っていて、身の丈ほどの竹藪に包まれて、なんともすごい状態でしたが、わたしは『ここならやれる!』と直感しました。『なぜ?』と言われても『勘で』としか答えようがないですけど」(敬さん)
というわけで「リノベーション」という言葉もまだない時代に、工務店の力を借りたり自分たちでDIYしたりしながらこの荒れ果てた古民家をリノベーションし、そして誕生したのが「吉里吉里」という名前のそば屋だ。
オープン間もない当時のことを振り返ると「もう、大変だったぁ」と千佐子さんは声を洩らす。その頃のこの場所は、いまよりもずっとローカルな風景だったという。もちろんまだスマホもない時代。お客さんからは「場所がわからない」と電話で叱られたりもした。「電柱看板を14 本立てたけど、それでも『わかんない』って言われて。なんとか場所を説明するけど、それでも辿り着かない。それに、お客さんだけじゃなく、わたし自身もなかなかこの場所が覚えられなくて、ちょっと出かけるとどこかのりんご畑に迷い込んで帰れなくなったりしていましたね」(千佐子さん)
今でこそ、誰もがGoogleに導かれてあたりまえに辿り着ける吉里吉里だが、当時のお客さんにとっては、うまく辿り着けるかわからない、冒険心が試される場所だったようだ。
近隣のおじいちゃんおばあちゃんたちが
優しく迎え入れ、生活の知恵を分けてくれた
そのころの高擶(たかだま)は、現在の山形県総合交通安全センター(通称、免許センター)もまだなく、天童在住のひとでも「昔からある古いまち」というくらいの印象しかなかった、という。
「当時このあたりは、すでにここに暮らしている誰かの親戚が移り住むことはあっても、外部のひとが住みつくことは滅多になかった。そこにわたしたちが移り住んできて、しかも商売をやるらしい、ということで、地域のうわさになっていたようですよ」と千佐子さんは当時を思い出して笑う。
そこには閉鎖的な空気があったりしたのだろうか。けれど、そんな心配をよそに千佐子さんが語ってくれたのは、あたたかくいい思い出話だった。
「方言が強くて『地域のひとの言葉がわからない』。それがわたしの最初の悩みでした。でも近所に住んでいてわたしが今でも『お母さん』と呼んでいるおばあちゃんがいるのですが、そのかたが「ちさちゃん、ちさちゃん、ほら、お茶飲みにこい」って声かけてくれて。それで毎朝6時からおばあちゃんたちの仲間に入れてもらって、言葉は全然わからないけど一緒にお茶飲みしたり、お漬物を食べたりして。それがわたしの天童ライフの最初のステージでした。いつの間にかそこで言葉も鍛えられて「もうバッチリ!」と思えるくらいまで理解できるようになりました。
また、生活の生きた知恵みたいなものもたくさん教えてもらいました。今思うと宝ですね。もっと色々聞いとけばよかった、と思うくらい。それはスマホやネットで手に入るようなレシピとはまるで別の、なんていうか…この土地ならではのもの。お漬物とか、梅干しとか…。わたしは子供の頃から梅干しが大好きだったから、ここで教えてもらった梅干しを思う存分つくれるのは、大きな喜びなんです。それもこういう広々とした家じゃないとね、思いっきり梅を干すのは街中じゃできませんしね」
移住したいと思ったら、
身軽なままにまず移住してみたらいい
インタビューの最後に、「20年前にこの天童のまちへ移住を果たした先輩として、いま移住を考えている人たちへのアドバイスを」と佐藤さんご夫妻にお願いしてみた。
「興味があって『移住したい』と思ったら、とりあえず移住してみたらいいでしょうね。その期間が短くなるかとか長くなるかとか深く考えないで移住しちゃった方がいい。たとえ長期で住むつもりでも、バーンと初期投資するのはお勧めしません。不動産を先に購入してしまったら、不動産のしがらみができてそのあと動きづらくなってしまうでしょ。事前に綿密に計画したつもりでも、どうせ人生思った通りになりませんし、計画通りに行くほど甘いものでもないわけです。
そもそも「移住できる」というのは、とても身軽なことですよね。それが身軽じゃなくなっちゃうのは、ちょっとまずい。だから身軽なうちにやってみたらいいし、ダメだったらやめればいい。そこがダメでも、他にいい場所はきっとあるはず。じぶんに合う場所に出会うまでいろいろ試してみたらいいんです。もちろん色々不安があるから計画するのかもしれないけど、計画なんてするから『こんなはずじゃなかった』ってことにもなる。だから、深刻にならず、ひとまずいいことだけ考えて勢いで移住してみたらいいと思います。若い方は、特にね。
だいたいね『移住して良かった』『楽園だった』なんて思えるのは、だいぶ後になってからのことだから。それだけは、わたしたち自身がここで経験していますからね、よくわかるんですよ」
そば吉里吉里
Webサイト http://sobakirikiri.blog.shinobi.jp
Photo Negishi Isao
Text Nasu Minoru