【鹿児島県阿久根市】フラットで温故知新な姿勢が、新しい道を拓く / 大石酒造株式会社 大石恭介さん
インタビュー
明治32年に創業し、120年余り。鹿児島県阿久根市の蒸留所『大石酒造株式会社』は、こだわりの味を守りながら、伝統の味に新しい技術を加え、未来へ続く焼酎を造り続けています。2年前に、こちらの会社へ大石恭介さんが専務取締役として合流されました。そんな恭介さんに、現在までの変遷について伺いました。
常に新しいものを探求し続ける
高校時代、生物の授業やクローン技術のニュースを通じてDNAに興味を持つようになった恭介さん。
次第にある想いが芽生えます。
“科学者になりたい…。”
大学に進学後は生物と化学を学びながら、研究に勤しみました。
卒業後の進路について考えた時期に、ある出会いがさらに科学者に対する想いに火をつけたといいます。
「大学時代の恩師が、京都大学の研究所の教授と元同僚でして“もっと研究したい気持ちがあるなら、そこに行ってみたら?”と提案してくださったんです。それで大学院に進学することにしました。」
「大学院ではDNA損傷修復(※1)について研究しました。世界でトップクラスの研究者の話を聞るのは貴重な経験でしたし、何より、一緒に学ぶ学生たちもレベルが高い環境でした。研究をしていると自分だけししか知らない普遍的な現象を日々観察できます。だからこそ、科学者になりたい気持ちは俄然強まったと思います。」
「学位を取得するためには博士論文を書き、それを査読(※2)を受けたうえで科学雑誌に掲載されなければいけません。正直、わからないことだらけだったので、教授の伴走がなかったら、学位を取得できなかったと思います。」
(※1)一日1細胞あたり、1万から100万箇所の頻度でDNAは損傷を受けているといわれている。細胞には、DNA損傷を修復する機能があり、DNAが損傷を受けると、修復酵素が駆けつけて、そのような傷を修復するという。参考文献: Lindahl, T. (2000): Mutat. Res., 462, 129-135.
(※2)投稿された論文をその学問分野の専門家が読んで、内容の査定を行うこと。
学位取得後、ポスドク(※3)の職を探し始めた矢先、東日本大震災が発生し、途方に暮れることになります。
元々興味のあった研究室が甚大な被害を受け、原発の事故の影響で
エネルギー不足に直面したため、そこでの研究を諦めざるを得なかったそうです。
そこで選択したのは海外での研究でした。
「気になった海外の研究室を調べて、片っ端からメールを送り、面接のアポをとりました。幸いなことに、何件か内定をいただき、2012年の1月からコペンハーゲン(※4)の研究室に所属することができました。」
「コペンハーゲンを選択した理由として、街や研究室の雰囲気もですが、北欧では“幸福度が高い”といわれていたのも一つの理由です。研究者の幸福度を測る指標もあり、それも北欧は高かったので、日本との違いも知りたいと思いました。サッカーが好きだったのもヨーロッパを選んだ理由の一つです。」
「最初の実験はがんの起源や治療法を探るための新しい研究手法を用いたものでした。その結果が当時では世界で初めての解析で、期待した通りの結果だったので、結果を受け取った時の喜びは今でも忘れられません。」
「科学者は常に新しいことを研究しています。ただ、そのために特殊な機械や試薬、技術を要します。それが揃う環境で研究できたのは非常に大きかったです。」
(※3)大学院博士後期課程の終了後に就く、任期付きの研究職ポジションのこと。給与も支給される。
(※4)デンマークの首都。
フラットな環境で感じる幸せ
海外生活の中で、日本の研究環境との違いについて教えてくださいました。
「研究室にはボスや先輩たちがいるのですが、上下関係はなく、フラットな雰囲気でディスカッションができました。だからこそ、発言しやすいですし、実際に意見が通ることも多かったです。」
「その分、責任は提案した自分に発生してきます。海外の研究室に所属してからは、絶対に休暇を取らないといけないというシステムがあり、メリハリをつけて研究に臨むようになり、休むときはしっかり休むように心がけるようになりました。必然的に長期休暇の前にはここまでは終わらせるという感じで、マイルストーン(中間目標)を立てるので、休みなく仕事をしている時よりも効率的に進みました。」
「同じ科学者とはいえ、得意なこと・不得意なことは人それぞれです。助けになったのは、大学内外の枠を越えて、違った分野や学校の研究室と共同研究をすることでした。お互いできないことをカバーし合って、研究を進めることができたので、協力することの大切さを学びました。」
コペンハーゲンではポスドク、アシスタントプロフェッサーとして10年程従事されたのだとか。
最初は英語も上手に話せない状態だったそうです。
そんな中で恭介さんにとっての原動力は何だったのか。
そこについても教えてくださいました。
「単純に誰も知らないことを見つけたいという好奇心もそうですが、意地でも絶対やらないといけない環境。それが一つの原動力だったかもしれません…。」
「海外に来て1年経ってから妻も一緒に来てくれました。元々科学者としてのキャリアがあったので、その道を断念して、私の研究をサポートしてくれたので、感謝しかありません。」
「ありがたいことに子どもにも恵まれたのもあり、なおさら、子供達が大きくなったらどんな研究をやっていたのかを話したいと思っていますし、研究を続けるためにも少しでも良い成果を得たいという気持ちもあったんだと思います。」
「研究って終わりがないというか…。一つ解決したら、次の課題がどんどん出てくるんです。その大変さはありましたが、家族の支えもあって、居心地よく楽しく続けることができました。研究だけでなく、日常の暮らしも子育ても居心地良い環境でした。」
「2~3年だけのつもりが、気がつけば10年コペンハーゲンで生活していました。科学者として北欧で暮らした時間は、一つの幸福を知るきっかけになったと思っています。」
小さな規模感だから、できること
2021年。
コペンハーゲンでの研究を終え、
奥様のご実家が家業として経営されている『大石酒造株式会社』へ合流することになります。
「日本に帰るなら阿久根はいいなと思ってました。自然が豊かですし、何より子供たちが伸び伸びできそうだったので。私が大石酒造の焼酎が好きだったというのもあります。」
お酒造りから瓶詰め、そして、営業、イベント出店等
スタッフ一丸となって
それぞれができることをカバーしながら作業されているといいます。
「焼酎造りでいえば、科学的に考えて作業をするので、それは過去の経験が活かされていると思います。社長も杜氏も科学的な見地があるので、職人の勘だけではなく、科学的な根拠に基づいてお互いに話ができるのはありがたいです。」
「我々の会社は小さな蒸留所です。全員がいろんなことができないといけません。小まめにコミュニケーションをとりながら、作業を進めています。」
「作業もですが、お茶もしながら談笑する時間も含め、同じ時間を過ごしているので、コミュニケーションは非常にとりやすいです。小さな規模だからこそ、お互いの顔がわかり、フラットな関係性を築けています。」
「私は考え方のベースとしては科学者としての見地があります。そこを大事にしつつ、常に勉強しながら毎日を送っています。」
日本に戻る前に何度か阿久根に足を運んだこともあり、
子育て環境もですが、何より、まちの人との距離感に居心地の良さを感じたそうです。
「阿久根に住み始めてから、異業種の方との接点が増え、お互いにお客様を紹介し合ったり、商品をコラボしたり、良い関係性が築けています。」
「いくつかあるのですが、例えば、お酒のイベントに出店する際に、阿久根の干物を取り扱う会社さんの魚をおつまみとして提供することがあります。」
その中でも
ボンタン農家が取り組んでいるボンタンプロジェクトとコラボした『ボンタンサイダー×鶴見 本酎ハイセット』は
2023年10月に開催された“かごしまの新特産品コンクール”にて鹿児島県観光連盟会長賞を受賞されています。昨年度のじゃがいも焼酎MOTOの奨励賞に続いて2年連続の受賞となりました。
「みなさん、提案すると快諾してくださる方ばかりで、他にもいろんなことができるのではないかと思っています。」
「お酒の楽しみ方の提案もですし、阿久根の風土や歴史をお伝えする良いきっかけになると思っています。これも、阿久根というまちの規模感だから成立しているのかもしれません。」
温故知新であれ
現在、恭介さんの中での一つの大きなテーマとなっているのが“海外への販路開拓”。
人口減少が続く国内では、お酒の消費量も同じく減少し、
焼酎は他のお酒に比べて輸出率は低いのだそうです。
「そのような背景として、そもそも海外で焼酎の存在を知らない人が多いことが挙げられます。」
「それなら、自分たちが海外へ出向き、焼酎の良さを伝えるきっかけを作れたらと考えたんです。」
それで今年8月、コペンハーゲンにて
焼酎イベントを2日間開催。
現地のレストランやホテルに協力してもらいながら、
イベント用に合わせたディナーを提供するなどして
多くの人に焼酎を知ってもらう場になったといいます。
「現地のお客様のリアクションは非常に良かったです。一つ気づいたのは“実際に日本では、どのように飲まれているのか?”ということに興味がある人の多さでした。」
「無理にアレンジして海外向けに近づけるのではなく、120年以上続く伝統の味を守りながら“元々こういう風味で…”と伝えていきたいですし、それを軸にしたいと考えています。」
科学者としての姿勢。
海外での経験。
そして、蒸留所の一員としての日々の学び。
その一つ一つが恭介さんにとっての軸となり
現在の動きにつながっていると感じました。
最後に今後の展望について伺いました。
「元々あるものを大事にしつつ、新しいことにも挑戦し続けていきたい。その気持ちも強いです。」
「まだまだ私たちは国内外問わず、発信が足りていないと思っています。“こういうお酒があるんだよ”と知ってもらうために、自分たちに今何ができるかを常に探求していきたいです。」
「日本に戻ってから、酒造業界の方々から“大石酒造の社長さんにはお世話になりました!”と嬉しい言葉をよく耳にするようになりました。実際に、社長は知識も経験も豊富な方ですし、同じ職場で働く皆さんに対しても純粋に“すごいな”と感じる日々です。」
「だからこそ、今から新しいものをいきなり造っていくのではなく、先人たちが築き上げてきた焼酎の素晴らしい味や歴史を伝えていくというところから始めていきたい。まずはそこからだと思っています。」
「生きているとごく稀ですけど、今すごく楽しいなぁ、この時間が長く続けばいいなぁと思う時があると思いますけど、そういう時って大体お酒飲んでる時なんですね、私の場合。我々の造ったお酒で誰かのそういう時間を作るお手伝いができたらいいなと思っています。」
屋号 | 大石酒造株式会社 |
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URL | |
住所 | 鹿児島県阿久根市波瑠1676 |
備考 | ●大石酒造オンラインショップ ※ボンタンサイダー×鶴見 本酎ハイセットはこちらから購入可。 ●大石酒造 SNS https://www.facebook.com/oishishuzodistillery https://www.instagram.com/oishishuzodistillery/ X |