【山形/連載】地域密着型スーパー〈エンドー〉へようこそ Vol.9
連載
山形市長町にある〈エンドー〉は、地域密着型のスーパーである。創業は昭和40年。以来、地元の人々に親しまれ続け、日々、さまざまな顔が集う。そこにある時間と、ここにしかない風景。今日のエンドーでは、どんなことに出会えるだろうか。
地域密着型スーパー「エンドー」の
過去、現在、未来。
「はじまりが八百屋なのよ。明治30年の半ばごろに、俺のじいちゃんの善三郎って人が最初に商売始めだっけの。昔はこの辺がほとんど畑で、戦前から山形で一番だが二番目に古い市場もあったんだど。実家は隣町さあったがら、そこで里芋洗ったり選別したりしてな。農家の庭先で野菜ばリヤカーさつけでお客さんさ運ぶんだがら、店なくても商売でぎっかったの。そういうふうにして始まったんだ。んだもんで商売の歴史でいうとすごく長いのよな」
エンドーのじいちゃんこと英弥さんが長町に引っ越してきたのは、昭和16年ごろ。そのときの屋号は〈遠藤商店〉。そこから20年ほど経ったころ、英弥さんの父・円三郎さんは卸業で県外の得意先との取引で忙しく、母・とゑさんが自宅の一角にあるお店を切り盛りするようになったそうだ。当時、英弥さんは中学生になったばかり。
「そのぐらいからこの辺もどんどん家が建ってきて、お客さんからあれ欲しい、これ欲しいっていろんな商品をお願いされるようになったの。最初は野菜とくだものだけで、食品も調味料も菓子も元々売ってねがったのよ。昭和57年に店を改装してがら本格的に魚だの惣菜だのって売り始めたんだ。
要するに、俺のじいちゃんの代、親父の代、俺の代、そして今の息子の代。それぞれにちょっとずづ違う商売しながら、ずっと続けできたんだごでなあ」
「俺は小さいときから親父さずっと付いて回るような子どもで、将来は八百屋になるんだっていっつも話してだっけの。んだもんで『遠藤さんは商売いづから始めだんだ?』って聞かれたら、そんなの母親のお腹ん中から、赤ん坊のころから稼いでんだ!っていうの(笑)。
親父は54歳で亡くなったんだ。昭和43年5月に。そっからはもう俺の代になったんだは。んだがら20歳んときからずっと店やってだっけよ、こないだまで。俺が今76歳だがら、親父よりはずっと長生ぎだなあ」
現在の業態でのエンドーの創業は昭和40年であるものの、その歴史は明治30年半ばごろまで遡り、英弥さんの祖父にあたる遠藤善三郎さんの代の八百屋がはじまりだという。エンドーの初代は英弥さんの父・円三郎さんにあたり、英弥さんは2代目。現在は息子の英則さんが3代目を担っている。
エンドーのルーツを知ることで、店内の一角にある「じいちゃん自家製コーナー」には、春はキャベツ、夏はなすやきゅうりの漬け物など「その時季にあるもので作る」という、英弥さんの八百屋スピリットが宿っているのだということにもあらためて気づく。
店内レジ後ろの壁に、賞状や写真が飾られているのをご存知だろうか。実はこの一角にはエンドーの歴史が詰まっている。
「この写真は親父が亡くなる2、3年前の写真。里芋の種芋を選別しったどごだな。この賞状は親父と弟がもらったの。昔ここは『千歳村』だったがら、村長さんに表彰してもらったんだ。なんて書いったがって? 父と母の教えを守り……、在学中にも関わらず、寸暇を惜しみ終始一貫……、家業を助け、実に生徒の模範とする……。んだがら、あれだ。学業と家業を両立して立派だっていうことなんだべな」
店内はリニューアルしているものの、現店舗となる建物は2代目・英弥さんの代から。店の看板やロゴ、天井に描かれたくだものの絵は昭和57年当時のデザインのまま。店の歴史を静かに物語っている。
「平成さ入ってがらは、チェーンの大型スーパーが次々にオープンしたべ。そんなのさ、こんなうぢみでな小さい店が、同じように対抗したってかなわねべした。だがら今までのやり方ではだめだっていうので、そっからは息子が。まずはスーパーの基本から勉強さんなねべってことで、俺の知り合いの群馬のスーパーさ行ったんだ」(先代・英弥さん)
現店主の英則さんが3代目として家業を引き継いだのは2007年。山形市内の高校卒業後はビジネスを学ぶ専門学校に通い、その後は父・英弥さんの勧めから、群馬・高崎にあるスーパーに3年ほど勤めていた。
「無農薬の野菜とか添加物を使わない食品なんかを扱っていて、食の安心安全っていうのにこだわっているところでした。そこでは売り場づくりとか、スーパーの基礎的な部分を学ばせてもらったんですけど、独自の視点があって面白いところでした。
あとは群馬って小麦の産地でもあるから、パンとかうどんとか、粉ものの食文化が盛んで。自分はそこでパン好きになったんです。毎週のようにいろんなパン屋を巡っていたので、当時の主食はずっとパンでした。山形に戻ってきてからも群馬のパン屋さんと取引したりするうちに、今度は自分で作るほうにも興味が出てきちゃって(笑)。そこでパンのことを学ぶために東京に出たんです。でもパン屋にいたのは1年ぐらいで、そこからは飲食店を転々としていました。
東京に住んでいたのは3年ぐらいですね。いろんなことを模索しながらやってたんですけど、どれも今のエンドーにつながっているような気がします。ちなみにパンの話でいうと、うちの店では山形の緑町にあるTAKEDA BAKERYさんのパンを販売しています」(3代目・英則さん)
祝!グッドデザイン金賞受賞
「これからも変わらずに続けていきたい」
今年で創業58年を迎えるエンドー。そこにはそれぞれの時代とともに、たくさんの人たちがいて、さまざまな店の姿があった。山形市長町にある家族経営の小さな町のスーパーには、地元の人はもちろん県内外から多くの人が訪れ、山形のソウルフードでありエンドーの名物となった「げそ天」とともに愛され続けている。
そして今年10月、「エンドーのげそ天」がグッドデザイン金賞を受賞したというニュースが飛び込んできた。今回、東北勢としては唯一の受賞で、食品関係かつ小さなお店といった例ではひじょうに珍しい。「Gマーク」で知られるグッドデザイン賞は、日本で唯一の総合的なデザイン評価であり、推奨の仕組みである。約6,000件を審査対象とするなかから特に優れた20点が選ばれる「金賞」は大きな快挙であり、エンドーの場合は審査委員会の推薦によるものだ。さらに詳しく説明すると「GOOD DESIGN AWARD 2023」のほか、「GOOD DESIGN AWARD 2023 BEST100」、「私の選んだ一品」の3冠を達成している。
「今はこうしていろんな方がお店にきてくださってありがたいんですけど、やっぱりその、ここまでくるのはけっこう苦しい時代もありました。それがある雪の日に、ロングコートにリュックを背負ってやってきた怪しげな二人組の男性(※注)との出会いから一変しました(笑)。そこからどんどん世界が広がっていきましたね。本当にいろんなことをがむしゃらにやったし、いろんなことがありました。
今回の件であらためて、デザインの力ってすごいなあって思いましたね。もちろん、うちのげそ天のおいしさもありますが(笑)。いつもがんばってくれるスタッフのみんなと、やっぱり一番はお客さんたちのおかげです。
受賞後、メディアの取材とかで『今後どうしていきたいですか?』っていう質問をよくいただくんですけど、いろいろと考えることはありつつも、そのときそのときの積み重ねで今があるので、今のところはこのまま変わらずにやっていきたいです。エンドーはこのお店だから、こういう雰囲気が好きだからきてくれている人も多いと思うので。これからもお客さんに楽しんでもらえるように、必要としてもらえるように、続けていきたいなとは思いますね」(3代目・英則さん)
※注:エンドーのデザインを担当している〈杉の下意匠室〉のお二人のこと。「エンドーのデザイン」がテーマの過去記事はこちら。
受賞にあたり、ホームページでは店主の英則さんが、以下のようにコメントを残している。どこまでもエンドーらしい。
「この度、エンドーはグッドデザイン金賞(経済産業大臣賞)を受賞しました。よくわかりませんが、グッドなデザインに与えられる賞だということで、大変嬉しく思います。
これもげそ天をご愛顧くださったお客様方のおかげです。ありがとうございます。
末長くエンドーのげそ天をよろしくお願い申し上げます。 店主 令和5年10月15日」
DATA
エンドー
住所 山形県山形市長町2-1-33
電話番号 023-681-7711
営業時間 10:00-19:00(日・月曜休)
https://gesoten.jp/
写真:伊藤美香子
文:井上春香