【福島県西会津町】協力隊って、実際のところどうなの?お茶のみしながら、本音を聞いてみた!
インタビュー
全国的な知名度も、隊員数も、どんどん高まっている「地域おこし協力隊」。西会津町では、2013年にこの制度を導入して以来、さまざまな地域から個性豊かなメンバーが集まり、この町での暮らしや活動を満喫しています。2024年1月現在は、8分野において9名の協力隊が在籍。この記事では、3名の現役協力隊と、西会津町役場・商工観光課の担当職員とで、協力隊についての本音を語り合うクロストークをお届けします。このまちの人たちが好きな“お茶のみ”スタイルでどうぞ〜〜!
☆現在西会津町では、令和6年度・西会津町地域おこし協力隊を募集しています!現役協力隊・都竹さんが制作されたPR映像をこちらからご覧いただけます☆
協力隊&担当職員による“青空お茶のみ会”スタート!
すっきりとした空が広がる秋晴れの日。「会議室でインタビューするよりも、外でお茶のみしながら話す方が西会津っぽいよね」ということで、稲刈りを終えた田んぼの脇に集合。
− 皆さん、お集まりいただきありがとうございます。じゃあ、まずは乾杯でもしますか。かんぱ〜い!
全員:かんぱ〜い!
− では、本編に入る前に自己紹介をお願いしたいと思います。
長谷川さん:はい、では僕から。長谷川幸志と申します。結婚しているので本名は「新妻」なんですけど、仕事上は長谷川でやってます。コロナ禍の影響で任期を延長しまして、今4年目ですね。歳は30です。活動内容は、学校教育の分野で活動をしていて、「ICT教育の推進」がテーマです。中学校の生徒たちが使っているパソコンとか、タブレットの機器のメンテナンスとか、それらを授業でどう活用するかといった支援をさせていただいているのと。さらに、「アントレプレナーシップ教育」という起業家精神を育成する教育をやっていまして。
− アントレプレナーシップって、大学の学部にも導入され始めている分野だと思うんですけど、西会津では中学生の頃から教育を受けているんですね。
長谷川さん:そうなんです。僕と同世代の方も、中学生の時にアントレの授業を受けたと言っていたので、歴史のある授業なんですよね。僕は、その実施にあたって先生方に伴走しながら、アントレ教育の推進や授業の企画を行なっています。
渡辺さん:はい、じゃあ次いきます!渡辺貴洋と言います。年齢は27で、長谷川さんと同じく任期を延長したので、協力隊は5年目になります。ここにいる隊員の中では、在籍歴が一番長いです。活動内容は「集落支援」ということで、エリアとしては西会津町の全地区(野沢・尾野本・群岡地区・奥川)を担当しています。具体的には、町外から訪れた大学生や社会人の受け入れをしたり、「人足(にんそく)」と呼ばれる地域の草刈りや水路の清掃など、集落の人たちでは手が足りないところを、外からきた人たちの手を借りながら、地域の環境を守るといった活動をしています。
都竹さん:じゃあ、最後僕かな。都竹泰河です。この中では若手…と言いつつ、協力隊3年目なんですけども。担当分野は、ケーブルテレビの番組制作と町外への情報発信です。ケーブルテレビでは、町内で行われているイベントや、町の会議、おじいちゃん・おばあちゃんがやっているゲートボールの様子など、地域の出来事を取材して、編集し、ニュースとして放送するというところまでワンストップでやっています。町外の情報発信に関しては、町の公式Facebook「なじょな町、西会津。」というアカウントがあるんですけど、記事を作成して投稿しているような感じです。あと、町で頑張っている人たちの活動のPR映像をつくったり、広告っぽいこともやっています。
− 「なじょな」って、どういう意味なんですか?
都竹さん:ここの方言で、「どんな〜」という意味なんです。だから、「なじょな町、西会津」は「どんな町、西会津」という意味ですね。
− 皆さんありがとうございました。じゃあ、担当職員さんもお願いしていいですか?
秦さん:はい。町役場の商工観光課に勤務している、秦と言います。29歳になりました。2023年の春から、町の協力隊の統括担当ということで、協力隊の皆さんの支援を行っています。
多彩なバックグラウンドを持つ人が、この町に集っている。
− では早速なんですけども、西会津を知ったきっかけや、移住を決めた理由を教えてもらえますか?
渡辺さん:大学生の頃から、協力隊の制度そのものは知っていて。福島県内で活動する協力隊の人の話を聞く機会もあり、こういう職業としての選択肢もあるんだなって思っていました。で、西会津を知ったのは「農都交流」っていう、県の事業に参加したのがきっかけでした。名前の通り、農村と都市の交流をはかるというものなんですけど、そこで西会津を訪れて、地域の人たちと話をしたり、味の濃いおじいちゃんたちと交流したりして(笑)。
− 味が濃いって(笑)。個性ゆたかってことですよね(笑)。
渡辺さん:ははは、そういうことですね。で、当時僕は大学4年生で就職活動の時期だったんですよ。公務員を志して試験を受けたんですが、結果はだめでした。一度、民間企業に勤めたんですけど、まちづくりに関わる仕事をしたいという気持ちを諦めることができず、地域と関わる手段やきっかけとして、協力隊制度を活用できないかと考えたんです。地域の人にも相談したりして、「だったら集落支援の分野を設けるから、協力隊として西会津に来てみたらどう?」と声をかけていただき、西会津に来ることになりました。
− 地域に関わる仕事がしたいと考えていた時に、協力隊が職業の選択肢のひとつになったんですね。都竹さんはどうですか?
都竹さん:僕は、大学を卒業して新卒で協力隊になったんですけど。大学では、「アーツ&ルーツ専攻」っていう美術系の学科で、アニメーションや映像作品をつくる活動をしていました。そのプロセスとして、いろんな地域に関わってフィールドワークをしながら、そこで得たものを表現するということをやっていたんですけど。卒業後の進路を考えたときに、「アーツ&ルーツ専攻」でやっていることに近い活動を、仕事としてできないかなと思って。
都竹さん:それで、「地域おこし協力隊」っていう言葉がパッと出てきたんです。何かきっかけがないかなと思い、大学の先生に相談してみたら、西会津町を紹介してくれて。その先生は、「西会津国際芸術村」の滞在アーティストとして作品制作をしていた経験があり、その関係で教えてくれたんです。僕も西会津へ遊びに行って、芸術村のスタッフさんに町内をアテンドしてもらって。そのときに、芸術村をはじめ、古民家をリノベーションしてつくられた「NIPPONIA 楢山集落」、会津藩の御用紙として使われていた歴史がある「出ヶ原和紙の工房」など視察させてもらい、「アーツ&ルーツ専攻」でやってきたことと西会津の親和性がすごく高いなって感じました。さらに、偶然にも世界的に活躍している日本人アーティストの方が西会津にいて。そんな凄い人と会えちゃう町って、すごいなって。じゃあ、協力隊として西会津に来てみようと思ったときにケーブルテレビの枠が空いていて、映像関係の仕事ができるならと思い、着任したという感じです。
− 西会津って、芸術村を拠点に国内外からアーティストが訪れていたりと、アートの動きが活発だと聞いています。その勢いに影響を受けたんですね。
− 長谷川さんはどうですか?
長谷川さん:西会津に来る前は、浜通り地方を拠点に、教育関係のNPO 法人で働いていました。その頃から、ただ単に子どもたちと関わるだけでなく、地域と連携したキャリア教育であるとか、地域×教育の「人づくり」に興味を持っていたんですね。そこで、その当時の上司が西会津を紹介してくれたんです。「まちづくりを盛んにやってるみたいだから、飛び込んでみれば?」って。それで、観光がてら西会津に遊びに来たんですよね。1ヶ月間、農泊をやっている施設に泊まり込みで農業ボランティアをやったりもして。
− フットワーク軽いですね!
長谷川さん:その間に、地域の人との交流もあって。外から来た人を受け入れてくれるあたたかさや、風通しのよさを感じて、この地域で何かやってみたいなと思いました。でも当時、協力隊の募集は出てなくて。代わりに、「起業型地域おこし協力隊」という新しい取り組みを推進するコーディネイターの募集は出ていました。ちょっと教育からは遠のくけど、「人づくり」には変わりないし、やってみようかと応募したんですよね。その後、「ICT教育」分野の協力隊枠が新たに設置されることになり、コーディネイターを退任して、教育分野を担当することになりました。
− 皆さん、同じ協力隊という立場でありながら、バックグラウンドもきっかけも、本当に人それぞれですよね。さ、次の質問にいく前に、おまんじゅうでも食べましょ!
それぞれの視点や考えが、活動に生きている。
− ひと休みしたところで、次のテーマなんですけども。皆さん、協力隊に着任して3年〜5年経ち、卒業手前といった感じだと思いますが、これまでの活動を振り返ってみて、思い入れがあったり、手応えを感じたりした取り組みやプロジェクトがあれば教えてもらえますか?
都竹さん:「西会津雪国まつり」っていう、西会津恒例の冬のイベントがあるんですけど。昨年、イベントのPR映像をつくったんですよ。
− 単なる告知動画ではなく、企画性があっておもしろいですね!しかも、結構シリーズがある。
都竹さん:ありがとうございます。この映像、いろんなところで反響があって嬉しいなと思っているんですけど、新しくケーブルテレビで働き始めたスタッフの方が、この映像を見て「こんなに楽しいことをやれる場所があるんだ」って興味を持ってくれたのが、入所のきっかけとしてあったみたいで。正直なところ、情報発信って手応えを感じづらいところがあって。どんな人が見てくれているのか、どう感じてくれているのか、それがどんな結果に結びつくのか。なかなか難しいところがあるんですけど、でも、その人の心に届いて人生を動かすきっかけになったんだなと思うと、すごく嬉しかったですね。
渡辺さん:あのシリーズ、すごくおもしろかったですよね。
都竹さん:今年は、秦さんに出てもらおうかな。
秦さん:え、僕ですか!?雪国まつりのメイン担当じゃないんだけどな…(笑)
都竹さん:じゃあ、メインの担当さんとご一緒に(笑)。
− こうやって、都竹さんの視点や企画を取り入れて情報発信ができるというのは、町として柔軟な姿勢があるなと思いました。行政が関係していると、表現の制約があったりするとも聞きますし。
長谷川さん:じゃあ次、僕が話そうかな。一番よかったなと思ったのは、今やってる「アントレプレナーシップ教育」の活動なんですけど。卒業生がたまに西会津中学校に戻ってきた時に、「アントレプレナーシップ教育で身についた発想力とか、町について考えるみたいな姿勢が、高校での活動にも生きてるよ」って、先生方に話しているのを見聞きして。子どもたちにとって、何かしらの成長につながっているんだなと分かったのは、すごく嬉しかったです。
− 秦さんが中学生の時って、「アントレプレナーシップ教育」ってありましたか?
秦さん:ありましたよ。当時は、マーケティングとかCADとかをやってましたかね。
長谷川さん;長くこの町で「アントレプレナーシップ教育」が行われているんですけど、僕が思っているのは、起業家を育てたいということではなくて。自分の想いを自分の力で実現できるような「自己実現力」を育みつつ、みんなで協働することの過程や価値を学べるのが、「アントレプレナーシップ教育」だと思っているんです。僕がそろそろ協力隊の任期が終わるので、じゃあこの先どんなふうにして、より価値のある教育を仕組みとしてつくれるかというのを模索しているところです。
− では最後に、渡辺さんお願いします。
渡辺さん:集落支援って、高齢化率が70%や80%の集落を巡回したり、一人暮らしの高齢者の方の家を訪問して、暮らしに困りごとがないか聞いたりしているんですけど。私が着任したはじめの頃って、家に行ってもなかなか顔を出してくれないこともあったんですよ。でも、何度も訪問するうちに少しずつ関係性が深まっていって、顔を見せてくれたり、話してくれたりするようになって。集落支援をやっててよかったなと思った瞬間でした。
渡辺さん:それと、奥川地区に「集落支援拠点施設 結〜yui〜 」っていう町の施設があるんですけど。その「結」という名前をつけたの、実は僕なんですよ。
長谷川さん:え、そうなの!?僕は奥川地区に住んでるけど、知らなかった。
秦さん:僕も初めて知りましたね。
− 渡辺さんが名付け親であること、あまり知られてないんですね(笑)。「結」とつけた由来や理由って何なんですか?
渡辺さん:「結」って、もともとこの地域にある助け合いの仕組みのことなんですけど。例えば、田植えや稲刈りなどの農作業をする時に、「結でやんべ」と言って、お互いの仕事を手伝い合うんです。でもそれが、農業の機械化や集落の人たちの高齢化によって、文化が消えつつあって。その一方で、この施設は、学生や社会人など外から来た人たちが滞在しながら、集落に関われる拠点になるので、新しいかたちの「結」が実現できればなと思い、名前をつけました。
町のいいところも、ちょっと大変だったなと思うところも。
− 協力隊としてというよりは、いち町民として、西会津に暮らしてみてどう感じているのかを聞いてみたいのですが。皆さんが思う、西会津の推しポイントや、逆に大変だなと感じたところを教えてもらえますか?じゃあ、この町の出身の秦さんから(笑)。
秦さん:え、僕ですか…!?推しポイントかあ…やっぱり、「人」ですかね。僕はここで育って、高校と大学は町外に出たんですけど、卒業後また戻ってきて。僕のことを幼い時から知ってくれている人や、同級生の親だったり、先輩後輩の親だったり、役場に勤め始めてから知り合った人でも、町で会ったら「どうも〜」なんて立ち話したり。一度かかわるきっかけがあれば、細々とでも、それぞれの形で関係が続いていくような人のあたたかさがあるなって、すごく感じています。
秦さん:大変なところは…正直、僕、あんまりなくて。雪もたくさん降るけど、生まれたときからそれが日常でしたし。交通の便がちょっと不便だっていうのはあると思うんですけど、昔からこんなもんだと思ってるから(笑)。1日あたりの本数は少ないけれど、鉄道もちゃんと通っていますしね。
長谷川さん:高速道路は「西会津IC」がありますしね。
都竹さん:僕の実家が仙台市にあって、たまに車に乗って帰省するんですけど。西会津からは2時間30分くらいで着くから、あまり遠いなって感じないんですよね。
− 都竹さんの町の推しポイントや、大変だったところは何ですか?
都竹さん:どっちも「人」かなと思います。特に、移住者として大変だなと思ったことなんですけど、僕たちは慣れない土地にやってくるわけで、一からコミュニティをつくっていかないといけないんですよね。職場もコミュニティの一つになるけれど、僕の場合はそれだけだど、ちょっと孤独感や寂しさを感じることもあって。そういう意味で僕は、いくつかコミュニティを持つようにしています。例えば、仕事がうまくいかないときにも、気の合う仲間の家にふらっと遊びに行ったりして。この町は外から来た人も多く、同じ境遇を持つ人とつながりやすいのは、いいところだと思います。何かあればすぐ相談できたり、一緒にお酒を飲んだりできる人がいるっていうのは嬉しいことですね。
渡辺さん:僕の推しは…やっぱり、地域のおじいちゃん・おばあちゃんですね。お互いを何も知らないところからのスタートだったんですけど、今ではもうお茶のみ友達みたいな感じになっています。その人たちと話すとすごく落ち着くというか、自分の中ですっと気持ちがリセットされる感じがするんですよね。自分の居場所が家だけではなく、地域の中にも居場所があるというか。あと、米はマジでうまいです!
渡辺さん:ここに来るまでは、スーパーで買ってきた惣菜を食べるような食生活だったんですけど、西会津に移住してからは自炊するようになって。「お米がおいしいな〜!」っていう瞬間を何度も感じてますし、むしろそれがご馳走になりますね。あと、一人暮らしをしていると、ちゃんと食べてるのか気にかけてくれる人が多くて(笑)。一人では食べきれないくらい、皆さんが畑で育てた野菜をいただくこともあります。苦労したところは、やっぱり雪かな。奥川地区に住んでいた時は、家の玄関を開けたら外に出られないくらい、積もっていることもあって。
− 除雪ってどうやってるんですか?
渡辺さん:基本的に僕一人でやってますけど、慣れてないから、地域の人が手伝ってくれます。僕が除雪に苦戦しているのを見ると、「もう仕方ねえな〜、手伝うよ」って、わざわざ車を止めて一緒に除雪してくださったりもして。暮らし全般において、気にかけてくれる人が多いなと思います。
長谷川さん:人によってはそれが、プライバシーがないと思う人もいるかもしれないですよね。立ち話をしながら、「最近顔見なかったけど、どこに行ってたの?」って聞かれたり。それは別に、プライベートに踏み込んでこようとしているのではなく、ただ単に相手と仲良くなりたいっていうだけだと思うんですけど。でも初めて来る人は、ちょっと驚くかもしれません。
渡辺さん:西会津の人って、ちょっとツンデレなところがあるかも(笑)。除雪を手伝ってくれる時も、「何やってんだよ〜」って呆れながらも、すごく親身になって手伝ってくれますし。
長谷川さん:ちょっと伝わりづらいけど、究極的な人懐っこさがあるかも(笑)。
立場が変わっても、西会津とのかかわりを、この先も。
− ではさいごに、協力隊の任期を終えてからの皆さんの進路や展望を聞かせてもらえますか?
渡辺さん:僕は、西会津町内に就職することになりました!
全員:お〜!おめでとう!!じゃあ、改めて乾杯!
渡辺さん:ははは、ありがとうございます(笑)。これからも継続して西会津町にかかわっていこうと思います。
都竹さん:僕は、西会津町のブランディングを手がけているクリエイティブディレクターの方が経営する会社に勤めることになりまして。映像系の仕事をする予定です。その会社が東京にあるので住まいは離れることになりますが、東京で映像制作の修行をしつつ、西会津でイベントがある時は遊びに帰ってきたり、西会津をひとつの拠点として作品づくりに訪れたりしたいなと思っています。
長谷川さん:僕も就職することになったんですが、西会津ではないんですよね。妻と子どもが、いわき市に住んでいる関係で、拠点をいわき市に移すことになりました。勤めるのは、広野町といって、西会津と友好交流協定を結んでいる町なんです。だから、この地域を離れることにはなりますが、この先も西会津との接点はあるだろうし、今進めている奥川地区のブランディングや地域づくりにも携われたらと思っています。ただ、今後の活動には制限があるので、どういう形になるかは模索中です。
秦さん:そもそも、地域おこし協力隊の制度というのは、地域への定住・定着がゴールだとされているんです。でも、この町を離れても、年に数回だけでも、町のイベントをちょっと見に来るだけでもいいですから、西会津を忘れないでいただければいいなって思います。どんな人生を歩むかは、人それぞれですから。この町で経験したことや培ったことが皆さんの糧になっていて、「西会津に来てよかったな」と思ってもらえたら、僕は担当職員として快く送り出せるなと思います。
− 皆さんのお話をうかがっていて、西会津町は山間地域にある田舎町でありながらも、風とおしがよく、やってみたいことを実現しやすい地域だと感じました。それは、町として10年以上、協力隊制度を活用してきた実績があるからこそ、行政側も柔軟に対応しやすい土壌があるからだと思うんです。今日は皆さん、ありがとうございました!
【令和6年度・西会津町地域おこし協力隊を募集しています!】
西会津町では、外部からの人材を積極的に誘致し、その人材の定住・定着を図るとともに町外からの視点や情報発信力、独自の技術などを活かした地域活性化に向けて「地域おこし協力隊」を採用しています。現在は、総勢9名の地域おこし協力隊が町内外で活躍しています。多くの先輩隊員と一緒に仕事ができることも西会津町地域おこし協力隊の魅力の1つです。(西会津町地域おこし協力隊の皆さんについては紹介ページをご覧ください)
令和6年度の募集分野数について、現在8分野で募集中です。なお、町HPをご参照ください。 各募集分野に興味関心のある方はもちろん、自身のスキルやアイデアを地域の活性化に生かしたい方、何か新しいことにチャレンジしてみたい方などを募集しています。新規学卒者の採用実績もありますので、ご興味がある方は「西会津町役場商工観光課/西会津のある暮らし相談室」までお問い合わせください。
URL | 西会津町地域おこし協力隊/https://www.town.nishiaizu.fukushima.jp/site/chiikiokoshi/14979.html |
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