鎌倉文学館4代目館長が案内する―鎌倉文士をめぐる旅―≪後編≫魔の魅力に魅せられた文士たち
インタビュー
皆さんは「鎌倉文士」をご存じでしょうか? 歴史、カフェ、海、さまざまな分野からひも解くことのできる鎌倉ですが、「文学」も大きなキーワードと言えます。その背景には私たちの学んできた国語の教科書に載るようないわゆる文豪たちがそろって鎌倉で過ごしてきたという歴史がありました。芥川龍之介に川端康成……そんな鎌倉の地で過ごしてきた作家たちを「鎌倉文士」呼びます。その数なんと300名以上。数々の文豪はいったい鎌倉の何に惹かれ、その舞台をどう描いてきたのでしょうか。今回は鎌倉文学館4代目館長を務めた富岡幸一郎先生に鎌倉にゆかりのある文豪「鎌倉文士」このまちの「魔」の魅力に引き寄せられたエピソードをお伺いしました。
富岡幸一郎
昭和32年(1957)東京生まれ。54年、中央大学在学中に「群像」新人文学賞評論優秀作を受賞し、文芸評論を書き始める。平成2年より鎌倉市雪ノ下に在住。関東学院女子短期大学助教授を経て関東学院大学国際文化学部教授。神奈川文学振興会理事。24年4月、鎌倉文学館館長に就任。著書に『内村鑑三』(中公文庫)、『川端康成―魔界の文学』(岩波書店)、『天皇論―江藤淳と三島由紀夫』(文藝春秋)等がある。
鎌倉文学館HP
http://kamakurabungaku.com/index.html
関東学院大学 公式Webサイト|富岡幸一郎 国際文化学部比較文化学科教授
https://univ.kanto-gakuin.ac.jp/index.php/ja/profile/1547-2016-06-23-12-09-44.html
http://kokusai.kanto-gakuin.ac.jp/teacher/comparative_culture/tomioka-koichiro/
川端康成が魔の入口に誘い込む
富岡先生:川端康成は明治32年、生まれは大阪でした。両親共に早く亡くなって、祖父母の元で育て られますが、その祖父母も亡くなって15歳で孤児になります。ものすごく勉強もできて、東京帝国大学の文学部に入りますが、小説家になってからは、東京の浅草や上野近辺を取材しながら住んでいました。鎌倉に移ったのが昭和8年、34歳の時。鎌倉の浄明寺や二階堂に住んでいましたが、戦争が終わった昭和21年に、今も残っている長谷の川端邸に移り、そこから亡くなる昭和47年までの26年間ここに住んでいました。
川端康成の戦後の代表作に『山の音』という小説があります。ここで描かれている山は川端邸の 裏手にある山なんです。そしてその山が繋がっているのが、「甘縄神明宮」という鎌倉で1番古い神社です。
『山の音』の中に「魔が通りかかって山を鳴らして行ったかのようであった」(『山の音』新潮文庫より引用)という有名な一節があります。夕刻の、夜のとばりの中でこの情景を眺めれば、川端康成が感じたその響きを感じることができるかもしれません。
≪スポット≫
甘縄神明宮
住所:鎌倉市長谷1-12-1
行き方
1. 江ノ島電鉄由比ヶ浜駅から徒歩10分
2.JR鎌倉駅東口1番・6番バス乗り場から「長谷・大仏方面」行きなどで「海岸通り」下車徒歩3分
中原中也と小林秀雄の三角関係
富岡先生:次にご紹介するのは、昭和12年(1937年)に鎌倉に移り住んだ中原中也です。中原中也は山口出身ですが、上京してきて評論家の小林秀雄に出会います。2人ともフランス文学を勉強していて、盟友となるわけですが、当時中原中也の恋人だった女性と小林秀雄が、恋に落ちてしまい……今でいう三角関係になってしまったんです。
最後は二人とも別々の女性と結婚しますが、中原中也と小林秀雄の複雑な関係は小林秀雄の『作家の顔』という作品にも非常に印象的な文章で記されています。
中原中也は亡くなる前に小林秀雄と2人で、妙本寺というお寺を訪れています。境内で2人で座って会話したということを小林秀雄が中原中也の追悼の文章に書いているんですね。そこに海棠(カイドウ)という木があって、その木を見ながら2人で喋ったと記されています。
「晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠を散るのを黙って見ていた。花びらは死んだ様な空気の中を、まっ直ぐに間断なく、落ちていた。樹陰の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた。あれは散るのじゃない、散らしているのだ、一とひら一とひらと散らすのに、きっと順序も速度も決めているに違いない、何という注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。……(略)……長い沈黙のうち、過去の悪夢が甦り急に厭な気持になり、我慢できなくなってきた。」その時、黙って見ていた中也が突然「もういいよ、帰ろうよ」と言った。私はハッとして立上がり、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。「お前は相変わらずの千里眼だよ」と私は吐き出すように応じた。彼は(中也)はいつもする道化たような笑いをみせた。(『作家の顔』新潮文庫より引用)
中原中也の鎌倉での足跡には常に、小林秀雄という盟友の存在がありました。
妙本寺
住所:鎌倉市大町1-15-1
電話:0467-22-0777
行き方:鎌倉駅東口より徒歩8分
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文学と鎌倉。ひも解いてみれば、そこには「鎌倉」ならではの魔力に引き寄せられた文才たちのストーリーがありました。
鎌倉は数々の名作を生み出してきた作家の人生に寄り添うまちと言えるかもしれません。皆さんもそんな文士たちのストーリーを感じながらまちを歩いてみてはいかがでしょうか。