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東京やまがた物語 vol.1 /〈ふらんす割烹 味館トライアングル〉佐藤豪さん 

連載

2024.02.05

生まれ育った山形を離れて、東京へやってくる人がいる。やがて山形に戻る人もいる一方で、ずっと東京に残り続けている人がいる。これは、そんな人たちに大都会での日々のなかで抱きつづけている故郷・山形への想いを伺う、というインタビュー・シリーズです。

東京やまがた物語 vol.1 /〈ふらんす割烹 味館トライアングル〉佐藤豪さん 
佐藤豪(すぐる)さん。2023年12月のトライアングルにて。

さて、今回ご登場いただくのは、佐藤豪さん。山形県尾花沢市で生まれ育ち、現在は東京都千代田区麹町で人気の〈ふらんす割烹 味館トライアングル〉のオーナーシェフをされています。

このお店で提供されるのは、山形の食材をふんだんに使ったフレンチであり、そしてまた「山形そばのペペロンチーノ」や「スイカのケーキ」などに代表されるような、フレンチの枠を超えた料理の数々。見渡せば、店内の内装に使用されているのは金山杉などの山形県産素材で、このお店のあらゆるところから大きな山形愛が滲み出ているのを感じます。

オープンから40周年を迎えるというこのお店は予約必須の人気店。料理を運ぶたびにユーモアたっぷりの言葉で会話を楽しむ佐藤さんに会いに来るお客さんでいっぱいになります。ここを訪れるお客さんの中には、各界の著名人も多く、また、山形出身の方も多くいらっしゃるそう。

お店を訪れるたくさんの人たちとの繋がりを楽しみ、ときには人と人を結び、そしていつも若い人たちを育ててきた佐藤さん。優しい笑顔でお話を聞かせてくださいました。

東京やまがた物語 vol.1 /〈ふらんす割烹 味館トライアングル〉佐藤豪さん 

高校入学直前の15歳という若さで
東京に飛び出して働き、そして学び、育てられた日々

生まれ育った山形県尾花沢市を離れたのは、佐藤さんがまだ15歳のとき。すでに受験を終え、高校入学を間近に控えた3月。「やっぱり自分は東京に行きたい」と思い立ち、まもなく着る予定だったという学ランを売ったお金を握りしめて上京したそうです。「8人兄弟の末っ子だったから…。見送ってくれた恩師と母親は泣いていました」と当時のことを今でも覚えているそうです。

「まだ何もできない15歳だった」という佐藤さんは、大きな会社の社員食堂で修行を始めました。まもなく「東京で食べていくには、勉強しないといけない」と思いたち、働きながら自分のお金で定時制高校に通いはじめます。多くの人に支えられた定時制高校時代の経験は、佐藤さんにとって「大きな転機になった」とのこと。

「学校にはいつも遅刻していました。そうしたらある日先生に呼び出され『何の仕事しているんだ』と問われ、『料理人です』と答えたら、『なら俺がいいところに連れて行ってやる』と言って、先生はいろいろな美味しいお店にわたしを連れて行ってくださいました。お客様にも、心配してくれたり応援してくれたりする方がいて、そんな方たちにわたしは育ててもらったんです。

朝早くから働いているから、勉強しているともう眠くて眠くてしょうがなかったけど、同時にとても充実していました。学校では素晴らしい先生に出会うことができましたし、素晴らしい学友にも恵まれましたから。それまでの私は中学生みたいなもので自信も何もなかったのですが、そこにはさまざまな年齢の人がいて、色んな人との出会いを通して、そこでやっと普通の社会人になることができたように思います」

イギリス大使館での修行時代
大病と生涯の出逢い

そんな佐藤さんは、縁あってイギリス大使館で料理人として働きだしました。しかし2年半の後、過労で大病にかかり大使館を辞め、やむなく入院のために山形に戻ってくることに。そんな失意のどん底で、今でも忘れられないという生涯の恋をしたそうです。

「4歳年上の彼女はとても賢い人で、世の中の色んな事を教えてくれました。一緒になりたいと思ったけれど、その頃の僕には生活力がありません。一生懸命働いて、迎えに行こうと思ってようやく連絡をしたときは、彼女は別の人と一緒になることを決めてしまった後でした。その失恋をしてしまってからは辛くて辛くて、それまで以上に必死に仕事に打ち込みました。一生懸命働いていつか自分の店を持ったら会えるかもしれない、なんて思いを内に秘めながら」

半年間の入院生活によるブランクを経て、再び上京した佐藤さんは、20代半ばで不安の中再起すべく、銀座のレストランで働き始めました。そして仕事に打ち込む日々が続いた3年の後、料理人としての力が認められ、料理長に抜擢されることになったそうです。

銀座のレストランで料理長になった後も、他店からスカウトを受け、料理人としてのキャリアを積まれていった佐藤さん。その後、大きな力になってくれたという著名なシェフと出会いもあり、41歳の時に、念願であった自分のお店を開店することになったそうです。

山形を採り入れた独自のフレンチと
自分の誇りとしての山形の発見

お店の構想には、佐藤さんがさまざまな修業時代を経て培った料理へのこだわりと、自分を育ててくれた山形への思いがあったと、佐藤さんは言います。

「独立前に行ったフランスで毎日働いたり食べたりしているうちに考えたのは、『このままの料理では絶対に飽きられてしまう。自分で店を開くとしたら、和魂洋才で、創意工夫してやらなければ』ということでした。そしてなんといっても自分は山形の味覚で育てられたのだから、山形のものを使って料理をつくり、お客様に喜んでもらおうと考えたのです。

その決意をした時から、若いころは恥ずかしくて言えなかった『わたしは山形出身です』という言葉が、自信をもって人に言えるようになりました。その頃から今に至るまで「山形」はわたしにとっての、誇りです。」

人と人を繋ぐのが好き 
人の笑顔が自分の喜び

「おかげさまでこの店には、山形の人もたくさん来てくださいます。どんな日も一日一組はいらっしゃいます。人と人の縁を繋ぐのが好きなので、来てくれたお客様同士を紹介しあったりすると、それがきっかけで新しいカップルができる事もあるんです。先日も、わたしが繋いだカップルが来てくれて『佐藤さんに背中を押してもらったおかげです、ありがとうございます』って言ってくれました。人が幸せになったり笑顔になって喜んでくれたりするのを見るのは、なにより嬉しいことです」と佐藤さんは言います。

さて、そんなふうに山形との縁が深い佐藤さんのお店〈トライアングル〉は、料理を学ぶことを志した山形出身の学生たちにとっては、東京で料理を学ぶときの玄関口のような場所でもあるそうです。

「山形の学校を卒業した若者を受け入れてまずはここで働いてもらって、それから一流のレストランに送ってやる。そんな仕事のあっせんみたいなことも長年してきました。朝ごはんを食べてこない子には、毎朝おにぎりを作ってあげていましたが、今でも『あの時のおにぎり忘れません』なんて感謝の手紙をもらうこともあります。

若い子たちには東京でいろんなことを経験してしっかり育ってもらって、いつかは故郷に戻って、親孝行したり恩返ししたりしてほしいと願っています。それは本当なら、自分がやりたかったこと。でも、わたしはずっと店をやってきたので、山形に戻ることはできませんでした。それでも、いつかお世話になった山形に恩返しができたら、と今でも思っているんです」

Information
ふらんす割烹 味館トライアングル
〒102-0083 東京都千代田区麹町2丁目5−3 LIONS MANSION KŌJIMACHI B1
https://mitachitriangle.exblog.jp/

 

取材・文:多田曜子

Photo:川村恵理
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