【鹿児島県鹿児島市】病気とともに生き、小さな幸せを一つひとつゆっくり描く / エッセイ漫画家 つくしゆかさん -前編-
インタビュー
エッセイ漫画家の“つくしゆか”さんは十数年にわたる闘病生活を赤裸々に、ユーモアを交えてつづったコミックエッセイ『極度の心配性で悩む、強迫性障害でした!!』を出版され、多くの人から反響を呼んでいます。そんなゆかさんから、強迫性障害(※1)と診断された前後の様子や葛藤等についてお話を伺いました。
(※1)自分でもつまらないことだとわかっていても、そのことが頭から離れない、わかっていながら何度も同じ行為・確認を繰り返してしまう性質の病気のこと。たとえば、不潔に思えて何度も何度も手を洗う、ガスの元栓や鍵や戸締りなどを何度も確認せずにはいられないとった症状がある。強迫神経症は別名で、現在は強迫性障害といわれている。
あたりまえとの戦い
今から19年前、ゆかさんは病院の看護師として勤務していました。その中である悩みがゆかさんを苦しめていたといいます。
「看護師は仕事上、手指衛生のために手洗いをしっかりしないといけません。しかし、他の同僚よりも長い時間手洗いをしていて。長い時は20分かけて洗うこともありました。」
それを見かねた上司から精神科を勧められ、その結果、強迫神経症と診断され今に至るのだとか。
「上司から勧められた時は、嫌な気持ちになったのを覚えています。だって、自分のやっていることは看護師として、あたりまえの行為だと認識していたのですから。」
「でも、その行為をきっかけに手が荒れ、真っ赤になり、皮が破れてしまい、痛みが出ちゃって、それで苦しみました。精神科に行くのは、かなり勇気が必要でした。」
病気の苦しみを漫画で表現することで
「他の選択肢を知る機会がなかったからこそ、そんな思考になっていたのかもしれません。“それに早く気づいていたら、もっと早い段階で当時の苦しみから解放させてあげられたのに…”と思う瞬間は今でもあります。」
当時の苦しみをそのように振り返ります。
その後、病院を退職。福祉の仕事をしながら今後の道を模索するゆかさんに一つの転機が訪れます。それは絵の世界との出会いでした。
「実は、夫がイラストレーターなのですが、彼は全く別の仕事をしていた人なんです。でも、思い切って仕事を辞めて、今の世界に飛び込み、日々挑戦を続けています。」
「その姿を見て“羨ましい…”“自分も絵を描くのが好きだから、それを仕事にしたい!”と思い、福祉の世界から飛び出しました。最初は夫への対抗心もあったと思います。でも、絵の勉強を始めて、漫画を描いていたらすごく楽しくなってきました。」
最初にチャレンジしたのは4コマ漫画。次第に、作品も増え、それをSNSにて発信したところ反響を呼ぶことになるのです。
「強迫性障害の内容を漫画にすると“とてもわかります”“私もそうなんです”といった声が多かったです。落書きするような感覚で描いていたんですけど、そこで需要を知りました。」
“こんなふうに描くことで、気持ちが楽になれる人がいるんだ。”
“もし、症状がひどい時に、こういう漫画を読んだら、少しでも救われるかもしれない。自分以外にも、似たような症状を持っている人はたくさんいるんだ。”
そんな手応えが自身の背中を押し、ある決意をすることになります。
“強迫性障害の経験を漫画にして世の中に出したい!”
そこで描いた本の出版をサポートしてくれたのが燦燦舎でした。
「燦燦舎のご夫婦はお子さんが3人いるのですが、私が帰った後に原稿を読んでくれたそうなんです。漫画で描いていたからか、とても楽しそうに読んでくれたようで。」
「“テーマは重たいかもしれないけど、どの世代も楽しんでもらえるのでは?”と思っていただけたようで、正式に本として出版が決まりました。」
そこで誕生したのが『極度の心配性で苦しむ私は、強迫性障害でした!!』。
デフォルメキャラ(※2)で描いているからこそ、重たい内容でもあまり感情移入せずに読めるようになっています。
「不安の象徴としてハッくんというキャラクターがいるのですが、もし不安が生まれたとして“ハッくんみたいなものが出てきた”と思ったら、それを払いのければいいのかなと考えてて。そんなイメージでいると、心を守ることにもつながるので、そこも伝われば嬉しいです。」
(※2)キャラクターの頭身を極端に下げ、小さくて可愛い印象を与えるような表現。
(後編へ)
屋号 | つくしゆか |
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