【三重県多気郡】植物のチカラを暮らしに。〝養生〟の考え方を伝承する「本草研究所RINNE」
インタビュー
【real local名古屋では名古屋/愛知をはじめとする東海地方を盛り上げている人やプロジェクトについて積極的に取材しています。】
食と健康をテーマにした国内最大級の商業リゾート施設「VISON(ヴィソン)」。今回はその中にある「本草研究所RINNE(りんね)」を訪ねました。このお店をプロデュースするのは無添加食品や天然の生活雑貨を製造販売する「株式会社りんねしゃ」の副社長、大島さちえさん。植物の持つ力を生かし、古くから受け継がれてきた〝養生〟の考え方を取り入れた和草茶を味わいながらお話をうかがいました。
小高い丘の上、柔らかな陽ざしに包まれた
「本草研究所RINNE」へ
東京ドーム24個分という広大な敷地を誇るVISON。「本草研究所RINNE」はその中でももっとも奥まった丘の上、本草エリアにあります。本草学に出会い、植物の持つ力に感銘を受けた大島さちえさんが、新たな取り組みとしてオープンしたハーブティーと生活雑貨のお店です。
「りんねしゃ」は1975年にさちえさんのお母さんが愛知県津島市で発足した母親学習会のグループからスタートし、今年で47年になるそうです。当時、国内でいち早くオーガニックでエシカルな暮らしに着目し、いまでは全国的にその名を知られる存在に。
現在、副社長を務めるさちえさんは各地のイベントに出店したり、生産者さんや職人さんのもとへ会いに行ったりと日々精力的に飛び回っています。そんな中、この度VISONに新しいスタイルのお店を開いた理由など、お聞きしたいことはたくさんありますが、さちえさんの〝いま〟を知るために、まずは家族で守り続けてきた「りんねしゃ」の歴史からお聞きしました。
エシカル&オーガニックの先駆け
「りんねしゃ」の誕生
「りんねしゃはもともと母が始めた社会運動からスタートしたものなんです。当時、合成洗剤が原因の水質汚染が問題になり、地域のママ友たちに呼びかけて『合成洗剤を考える会』という勉強会が始まったのがきっかけでした。
さらに、集まって勉強しているだけでは社会を変えられないと考えるようになり、自分たちで納得できる商品を作って販売するためにメーカーに掛け合い、当時はまだ非常に珍しかった共同購入の仕組みで販売するようになりました」
活動仲間たちに自分の思いを綴ったガリ版刷りの通信を送って注文を取り、まとまった数を生産者さんに注文。そこで得た売り上げを活動費に当てるというスタイル。そうして草の根の活動は少しずつ拡大していきます。やがてその活動が「りんねしゃ」に。
最初は事業化していながったのですが、〝社会に対して責任ある活動にするには事業化し、雇用を生み、納税をしなければいけない。納税と雇用こそ最大の社会貢献だ〟というお父さんの考え方のもと、2000年に株式会社化。
〝普通〟とはかけ離れた家族の中で
長年、学童保育や障害児教育などに携わっていたという父と、情熱と正義を武器に世の中の課題に取り組む母。そんな両親の姿は幼い頃のさちえさんの目にどのように映っていたのでしょう。
「常にぶつかり合っていて、夫婦仲は良くないと思ってました(笑)。大学時代に同じサークルで社会活動をしていた父と母は学生結婚で、私は二人が21歳の時に産まれました。そんな我が家は家庭生活がそのまま社会活動みたいでした。激しく意見をぶつけ合う様子が子どもの目には喧嘩しているようにしか見えなくて。」
子どもの頃にさちえさんが「喧嘩してる?」と聞くと「これは喧嘩ではなく意見や想いを伝えているんだよ。ちゃんと話し合うとはとても大切な事だから。」と父に諭された記憶が。
そんな自立し合った夫婦は、当時ではとても珍しいスタイルを選択し、別々の場所に生活の拠点を持ちました。
「お互いにベストな距離感を探っていたのでしょうね。父と私と祖母が愛知に残って暮らし、母は山村移住して私以外の5人の子どもと自給自足の生活をする・・・というスタイルになりました。家族が顔を合わすのはお盆と正月だけ。今でも両親はこれぐらいがちょうどいいって言ってますけど(笑)」
「最初に移住したのは兵庫県の山奥。電気もガスも水道もない家。引っ越した日に山から水を引いたそうです。妹や弟は学校から帰ると畑仕事や畦の草取り。庭で飼っている鶏をさばいて食べ、暗くなれば寝る。朝は日の出とともに起きてまた畑へ。
母はそういう暮らしこそが最大の教育だという考えだったんです。今でこそ山村留学とか子供と一緒に田舎暮らしと聞いても珍しくもないですが、その時代まだ誰もやってなかったので、周りから変わった家族だと偏見もありましたね」
幼い頃から、いわゆる〝普通〟の家とは違う環境で育ったさちえさんは、〝普通〟に憧れて一般企業に就職。旅行会社のOLに。
「世間で言う〝花形〟の職業に就きたかったんです。世間からどう見られるかばかりを気にしていたんでしょうね。仕事として海外にも行きたかったのですが、当時女性はカウンター業務が当たり前で。添乗員として現場の第一線に行きたかったのですが、希望はなかなか通らず・・・やはり男性が業務の主導権を握る時代でしたね。」
自分が思い描いていた〝普通〟とは、一体なんだったのか。就職して会社勤務をする中で、男女関係なく自分の意見を言い合い、お互いが自立している両親のもとに育ったことがいかにありがたかったかに気づいたさちえさん。常にお互いを人として尊重し、対等に向き合うことの大切さを、身をもって示してくれていた両親のことを、初めて受け入れることができたのです。
亡きお祖母ちゃんの信念を誇りに
「会社で自己主張しすぎて居心地が悪くなっちゃったので、辞めようかと迷いながらりんねしゃの仕事を手伝っていました。そんな時に突然、祖母が亡くなりました。祖母は戦後に女手ひとつで子ども(父)たちを育て上げ、自分の会社も経営していましたので、経済的には一家の大黒柱でした。
それで私も本格的に会社の仕事に関わるようになりました。いま思えば祖母の死がきっかけにはなったけど、憧れの世界で色々な経験をし、自分の家族がいかに平等で社会性があったかに気づけたことが大きかったなと思いますね」
家族にとってなくてはならない存在だった祖母。実は祖母も、戦後間もない時代に社会的に弱い立場に置かれていた女性たちのため、自ら活動を起こしたバイテリティ溢れる女性だったのです。
「昭和3年生まれの祖母は病弱だった夫を早くに亡くしています。あの時代は戦後ということもあり寡婦の方がたくさんいました。祖母は名古屋で看護師をしていたので、手に職がありましたが、自分が寡婦になり、いかにその立場が弱いかを実感したそうです。
そんな社会をなんとか変えたい・・・。そう思った祖母は、母子家庭や寡婦の女性たちを集めて『津島市母子福祉協議会』という組織を作りました。
また、当時の厚生省から許認可を受け、家政婦の人材派遣業を始めたんです。当時、女手ひとつで会社を経営していた祖母。大変な事がたくさんあったと思いますが、気の強い祖母は負けずに頑張っていました。私はその背中を見て育ちました。その想いを継いだ母や妹が祖母の会社を引き継ぎ、現在も介護事業所を経営しています」
そんな祖母の、社会に対する使命感や行動力は今もさちえさんにとって大きな誇り。家族は皆、いまでも『社会を少しでも良くしたい』という想いで仕事を続けています。そして子どもの頃には受け入れられなかった両親のことも、今だからこそ理解できるように。
「どんなことでも親が信念を持って一生懸命にやっていれば、いつか必ず子どもはわかってくれるし、信じる生き方を見せていれば絶対に伝わると、自分も親になって思います。信念を持って生きたいように生きたらいいと思う。
一番良くないのは、こう生きたいという道があるのに子どもを理由に諦めることかなあと気づきました。どんな時もちゃんと話し合うことが大事かなあと。」
北海道に移住した父が教えてくれた
植物の知恵と力
一人の人を大切にし、男女も親子も関係なく互いに尊重する姿勢を示し続けてくれた両親。弱い立場の人々を救い、社会をより良くしたいという使命に生きた祖母。その信念はさちえさんの今にしっかりと受け継がれているのだと感じます。
「でも、両親は今の私の姿を見ても特に褒めてくれるわけでもないし、なんとも思ってないんじゃないかな(笑)。両親は今も自分たちのやりたいことがあって、それぞれ夢中で取り組んでますしね。父は20年前に、後は任せた!!と言って北海道に移住しちゃいました。北海道ではりんねしゃの看板商品でもある【菊花せんこう】の材料になる除虫菊や赤丸薄荷を育てています」
さちえさんが「本草研究所RINNE」を開いたのは、そんな父の活動の延長なのだとか。
「父が北海道で和薄荷の在来種である【赤丸薄荷】を見つけた時、私のところにアイヌに関する本を何冊も送ってきたんです。その中には北海道の地質のことなども書かれていて、なぜ在来種がそこでしか花を咲かせないのか、その理由が理解できました。
人間も同様に、生まれた場所で地に足をつけて生きること、生きる場所を他に移すことの意味など、アイヌの文化や歴史から学び、植物のすごさに気づきました。植物って、種の保存のためにものすごく考えているんですよ」
〝養生〟を次世代へ伝える責任
日々の暮らしに植物の持つ力を取り入れ、健やかな毎日を目指す、〝養生〟の考え方を伝えたい。それは「薬」が生まれるよりもはるかに古く、何千年も昔から続く知恵なのだとさちえさん。その思いが本草研究所という名前にも込められています。
「例えば、お茶を飲むと胃がすっきりするとか、どくだみを揉んで傷にあてると早く治るとか。本草を活用して日常的に体を養う〝養生〟の文化は素晴らしい。でもそれがどんどん廃れようとしています。私たちの世代がしっかり伝承していかなければいけないとすごく責任を感じるんです。
でもあまりにもストイックに伝えてしまったら不特定多数の人に知ってもらえなくなっちゃう。だから、ベースにりんねしゃのコンセプトを残しつつ、全然違う方法で伝えたかったんです。例えば観光地の真ん中とか、それぐらい間口を広げることでようやくたくさんの人に伝えられると思うから」
善悪を論じるよりも大切なこと
医療や治療といった大袈裟なものでなく、カジュアルでおしゃれで楽しいものとして〝養生〟を日常に取り入れてもらうための工夫。それがりんねしゃがプロデュースする「本草研究所RINNE」の狙い。それは、これからの時代、我々が大切にしなければならないことにも通じる考え方なのかもしれません。
「どんなことでも、揺るぎない思想や基本となる理念はしっかりと持った上で、見せ方は柔軟でなければいけないと思っています。善悪をジャッジするような考え方ももう終わったと思う。それでも人にはそれぞれ譲れないことはあるだろうし、どうしてもやりたくないことはある。一人一人が自分の信念を守り、なおかつ自分とは違うやり方をする人を認める。そんな柔軟さが肝要ですよね」
自分が関わることや目の前にあるものに対し、正しいかどうかを論じるよりもまず自分が主体的に関わっていくこと。そんな信念のもと、今も精力的に各地を飛び回り、会いたい人のもとへと駆けつける日々を送るさちえさん。フットワークの軽さは誰にも負けないけれど、意外にも今まで移住を考えたことはないのだそう。
「ゆるやかな移住」とは
求められる場所がある幸福
「私があんまりいろんなところに出没するので〝さちえ5人説〟があるほど(笑)。でも私、実は生まれ育った津島市を出たことはほぼないんです。りんねしゃという店舗を持っているという絶対的に動けない事情があるからなんですが、最近になって、自分軸よりも他人軸で生きる方がブレずにいられるなって思うようになりました」
自分のやりたいこと以上に、この場所やこの出来事を守るために自分に何ができるのかという発想。圧倒的に背負っているものがあるからこその自由。それに気づけば「移住」とは居を移すことだけに限らず、自分の思考や精神のウェイトをある地域に傾けることと同じ。さちえさんはそれを「ゆるやかな移住」と表現します。
「好きな場所や思い入れのある地域で何か〝コト〟を起こせば、そこに通う理由ができます。好きな人たちに求められる充実感も味わえるし、それが喜びにもなる。やっぱり私は現場の人なんです。自分で動いて実感したことでしか納得できないんでしょうね」
伊勢神宮や熊野古道に続く自然豊かな山間のまち・三重県多気町。多気町という地名には、命を象徴する「氣」を多く育む場所という意味があるのだとも。古くから薬草の産地として本草学が盛んであったこの地域で、さちえさんの挑戦は続きます。
【イベント情報】
<定番イベント>
◎みんパタ暮らしの朝市
会 場:りんねしゃ宇治店会場
住 所:愛知県津島市宇治町天王前80-2
日 時:毎週土曜日 10時~18時
連絡先:0567-24-6580
◎東別院暮らしの朝市
本堂前・本部横で出店
会 場:東別院
住 所:名古屋市中区橘2丁目8−55
日 時:毎月8のつく日(8.18.28日) 10時~14時
<季節のイベント>
◎4月25日 りんねしゃ宇治店
~身近な畑や畦道で食べれる野草を見つけて食べよう~
イベント詳細はコチラ
申し込みフォームはコチラ
◎4月26日 VISON 本草研究所RINNE
~三重県多気町の畑や山道で食べれる野草を見つけて料理して、食べよう~
イベント詳細はコチラ
申し込みフォームはコチラ
◎6月22日・23日 りんねしゃ滝上農場 (北海道紋別郡滝上町)
~北海道の大自然の中で、散歩しながら野草を摘んで学んで食べよう~
イベント詳細はコチラ
イベントの詳細はインスタに掲載
@rin.ne.sha
@yakusou.rinne_vison