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Uターン次女の就農日記(8)「百姓の来年」

連載

2024.07.03

2023年4月。山形にUターンした。山形に戻るのは、高校卒業以来。

Uターンするまでは、大学卒業から6年間、公務員として働いてきた。29歳のアラサーにして、脱・公務員からの就農。退職前、周囲からかけられた声の中で多かったのは「頑張ってね」という応援と、「辞めるなんてもったいない!早まるな!」という声。後者は、主に身内や親戚から(笑)。どちらの声もありがたく頂戴して、約10年ぶりに山形に戻ってきた。

Uターン次女の就農日記(8)「百姓の来年」

6月。山形のこの時期はさくらんぼで一色になるはずだった。しかし、各方面のニュースでも取り上げられているように、高温障害や双子果で予想外の不作となった。

我が家でも状況は同じで、6月中旬を境に、収穫したさくらんぼの多くが熟しすぎてウルミでぷよぷよになっていた。

「うわ、傷んでるなぁ…」

収穫したものが入ったコンテナを見ては、規格に合うものがほとんどなさそうで、選果作業をする前に既にげんなりする。
傷物であったり、サイズが小さい規格外のさくらんぼは、ジュースなどの加工用として引き取ってもらえるが、既製品と比べると、もちろん安価となる。だが、高温障害でうるんでしまったものは、加工用としても引き取ってはもらえず、やむを得ず廃棄になる。我が家では、収穫したうちの3割くらいは廃棄となった。

冬から剪定や摘果などの作業に励み、さくらんぼが成長する様を間近で見ていた分、最後の最後、一歩及ばずで出荷できないのがとても悔やまれた。

Uターン次女の就農日記(8)「百姓の来年」

Uターン次女の就農日記(8)「百姓の来年」

「来年百姓だな!」

と、父は諦めモードで冗談ぽくつぶやく。「百姓の来年」「来年百姓」という言葉。「来年こそは良いものを!」と意気込むが、なかなか上手くはいかない様を表しているらしい。父の最近の口癖はもっぱらコレばかりだ。

今から30年前。さくらんぼの時期に生まれた私。当時の我が家にはエアコンがなかったが、私の誕生にあわせてエアコンを購入したという。それだけ、当時は気温が上がったとしても30度あるかないかだった。当時からしたら、この時期に真夏日が続く気候はおろか、これ程までにさくらんぼが不作となるなんて想像できただろうか。

気候変動の影響がすぐそこまでやってきてしまったな、と感じる日々。代々続いてきた山形の伝統が、儚く脆いものだと実感した今シーズンだった。

そんな中でも、今年からさくらんぼの栽培面積を増やしたため、新しいお手伝いの方に多くきてもらった。親戚に声をかけたり、知り合い伝いで紹介してもらったり。遠く仙台からお手伝いに駆けつけてくれた友人もいた。快く手伝ってくれた周りの皆さんに、本当に感謝の連続だった。

Uターン次女の就農日記(8)「百姓の来年」

Uターン次女の就農日記(8)「百姓の来年」

「本当に手作業で1つ1つ分けてるんだねぇ!」

「こんなにサイズ大きいのに!ちょっと割れてるだけで、もったいないねぇ。」

今まで知らなかった出荷作業の大変さや出荷規格の基準を知って、驚く人がほとんどだった。当たり前のように、さくらんぼ=高級のイメージがあるが、その裏側に何があるのか。

「フルーツは高いから、普段はめったに買わないかな。」

という声も最近よく耳にする。受け取ってくれる方に対して、美味しさのほかに、果物に隠されたストーリーやその価値を、まだまだ伝えられていないと感じる。

Uターン次女の就農日記(8)「百姓の来年」

今年の不作で廃業を考える農家もいると聞き、何とも言えない気持ちになる。

来年は、山形でさくらんぼなどの栽培が始まってから150周年を迎えるという。この先10年後100年後も、山形の美味しい果物を残したい。来年こそはもっと良いものを届けるぞ、そう願って今の私にできることをやるのみである。

写真:江口大輔
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