【山形・蔵王】蔵王の味はこうして生まれた。この地で紡がれる、ジンギスカン物語/ジンギスカン・シロー
インタビュー
山形の蔵王といえば温泉。さらに夏はトレッキング、冬はスキーといったアクティビティも魅力だ。そして外せないのが食べもので、米粉の伝統菓子「稲花餅(いがもち)」や酒粕や唐辛子が入った里芋の豚汁「からから汁」など、独自の名物がある。なかでも注目すべきは「ジンギスカン」。そのルーツは蔵王にあるという。背景を探るべく、蔵王半郷にある専門店〈ジンギスカン・シロー〉を訪ねた。
山形で新たに刻まれた、羊肉の記憶
蔵王温泉名物、ジンギスカン。初めてそれを聞いたとき、とても意外で驚いたのを覚えています。普段はめったに口に入らなくとも、銘柄牛の産地ということもあり、山形に住んでいたころは牛肉をよく食べていた記憶があったからです。
幼いころから私にとって、焼肉といえば牛肉で、芋煮に入っている肉もそれであったことから、羊肉と出合い食べるようになったのはずいぶんと大人になってからのことでした。それに、ジンギスカンといえば北海道のイメージを持っていました。
しかしながら蔵王のジンギスカン、そしてジンギスカン・シロー(以下、シロー)というお店にもっと早く出会っていたら、羊肉に対する目覚めはもっと早かったかもしれません。
羊肉というと独特の香りがあり、好みが分かれる印象がありますが、シローでいただくジンギスカンは、その羊らしさをおいしく味わうための料理であると感じます。肉はジューシーでありながらもあっさりしているため、食べ飽きることがありません。噛みしめるほどに肉の甘みと香りが口の中に広がり、どんどん箸が進みます。
そしてありがたいのが、食べたあとでもお腹がもたれにくく、おいしいばかりではなくヘルシーでもあるということ。
「ラム肉には必須アミノ酸や不飽和脂肪酸が豊富に含まれているので、健康意識の高い人やダイエット中の人、あとはスポーツ選手にも好まれますね。地元のサッカー選手もよくいらっしゃいますよ。それから私みたいに40も過ぎると、牛や豚の高くていい肉になればなるほど少しでいいやって感じになるので(笑)、そういう意味でも羊はおすすめです」(央明さん)
羊毛生産が盛んだった蔵王で
農家の救済のために生まれた料理
諸説あるものの、蔵王がジンギスカン発祥の地といわれるのには大きな理由があります。ひとつには、戦前戦後の時代を経て、地域をあげて取り組んで生み出した名物料理が全国へと広まっていったということです。
「昭和初期ぐらいでしょうか。このあたりは羊毛生産が盛んな地域で、至るところで羊を飼っていました。それが戦後まもなくしてビニールや化学繊維がどんどん普及し、羊毛が暴落してしまったんです。行き場がなくなってしまった羊を抱える農家を助けるべく、考案されたのが羊料理であり、ジンギスカンだったと聞いています」(央明さん)
ジンギスカン・シローはどのようにして始まったのか。央明さんによれば、初代・斎藤恒夫さんの叔父にあたる斎藤忠右衞門さんは〈日本緬羊協会〉の会長を務めており、大正初期よりオーストラリアから羊を輸入し、戦後までは蔵王でも羊を飼育していた歴史があるのだそうです。
「元は綿羊農家の救済のために羊を食べるようになったんだけれども、羊の肉で商売するっていうのはそれまでなかったんです。昔、祖父に聞いた話では、羊の肉ってうまいんだけど、それが広まると盗んでいく人がいっぱい出てきちゃうから、敢えてその頃は『羊の肉は癖があっておいしくない』というのを広めていたこともあったみたいですね」
戦後、初代・恒夫さんはシベリアに抑留され、1947年に帰国しました。その後は現地で目にしていた鉄兜に羊の肉をのせて焼いた料理を再現すべく、鋳物で有名な山形市銅町の工場に鉄鍋の製作を依頼。これがいわゆる「ジンギスカン鍋」であり、鉄鍋スタイルのはじまりです。鍋は初期の頃に作られたものと現在のものとではつくりが大きく異なり、改良を重ねることで使い易くなっていきました。シローの店内ではジンギスカン鍋の歴史を紹介するとともに、ジンギスカン鍋も販売しています。
旅館の女将や地域住民らが
蔵王温泉名物として盛り上げる
また、当時は毎日新聞社が主催する「新日本観光地百選」山岳の部で1位に蔵王が選ばれるなど、観光地としても知られるようになりました。そこで、ジンギスカンを蔵王温泉の名物料理にしようと地元旅館の女将さんたちが集まり、ジンギスカンのタレを作るなどの動きが生まれたのだそうです。さらには昭和34年開催の「国民体育大会冬季大会」で献立メニューに入ったことで、スキー選手のあいだで好評となり、全国的に広まっていった経緯があります。
「初代の恒夫が発起人なんですよ。ちなみにうちの店名は、恒夫の父の名前から取っています。開業にあたり、たくさん支援してくれた人でもあると聞きました。ジンギスカンが広く知られるようになったのは、スキー選手たちが鉄鍋と羊肉を買って帰ったことも影響したみたいです。ちなみにタレの味は、旅館によっても少しずつ違います。うちのタレは開業時からずっと変えていませんが、味を変えないっていうのはものすごく難しいことでもあるんです」(央明さん)
変わらない味を守り続ける。
家族経営だからこそできること
初めてお店を訪れたときに感じたのは、昔ながらの焼肉屋さんならではの、あのホッとする居心地の良さ。お酒を飲んでご機嫌な人もいれば、肉とごはんを黙々と頬張る人もいる。小さな子どもからお年寄りまで、地元の常連客から県外からやってくる人と、客層もさまざまです。
羊肉はもちろん野菜や米などの材料にもこだわり、先祖から代々受け継いでいる畑では無農薬の野菜を栽培しています。
「今はそんなにたくさん作れないので、店で出すぶんだけっていう感じですけどね。“蔵王かぼちゃ”という伝統野菜やジンギスカンの辛味用の唐辛子などを中心に栽培しています。朝6時ぐらいから畑に行って、草刈りや害獣予防などの作業をします」(央明さん)
「お客さんが『ここにくるといろんなものを出してもらえるから楽しみなんだ』っていってくれるんです。だからなるべく自分たちで作った野菜を使っていろいろ工夫しています。たとえば秋口に収穫する蔵王かぼちゃだったら、新芽っていうか葉っぱやツルの部分も茹でて食べるとおいしい。おひたしにして出すと『食べたことない味であっさりしてるけど、これは何の葉っぱだ?』ってよく聞かれるの(笑)。山菜のアイコと似た感じなんだけど、全然癖がなく食べやすいんですよ」(裕子さん)
定食に付いてくる漬物や一品料理はすべて、裕子さんの手づくり。季節の食材を使って作るとあって、その時々で献立も異なります。
「この商売を長くやっていると、小さいころから食べにきてくれていた子が成長していくのを見れるっていう楽しみがあります。ある親御さんがお子さんに『昔はよく一緒にここにきたもんだ。ちっちゃいときに連れてきたことがあるんだよ』というと、その子が『覚えてる』っていってくれたときがあって。あのときは嬉しかったなあ」(央明さん)
前職は会社員という央明さん。結婚を機に転職し、先代であり義父の恒晴さんの元で修行していました。先代が存命のころは、毎日一緒に農作業を行い、米づくりもしていたのだとか。今では央明さん一人になりましたが、お店の営業前や休業日には畑に出ているそうです。
「先代の斎藤恒晴は私の夫なんですけど、3年前に亡くなったんです。72歳でまだまだこれからっていうときに。とてもよく働く人でした。お店は元々、蔵王温泉の方に小さく構えていたのですが、道路工事の関係でこちらに移ってきて、平成13年に移転オープンしたんです」(裕子さん)
精肉店〈蔵王農工連〉から始まり、通算すると今年で創業75年。当時から変わらない家族経営のジンギスカン・シローには、帰りたくなるような居心地の良さと、ここにしかない蔵王の味がありました。山形にきたら再訪したい、これからも在り続けてほしいお店です。
DATA
ジンギスカン・シロー
住所 山形市蔵王半郷266-10
電話番号 023-688-9575
営業時間 11:00~14:00、17:00~20:00(L.O.)
定休日 毎週木曜、第2・4日曜 ※日曜はお昼のみ営業
URL http://www10.plala.or.jp/jingisukanshiro/
写真:三浦晴子
文:井上春香