「ぼくのたいき君」 その1・たいき君にまた会いたくて~ の巻
連載
再会
再会は突然だった。
あれはもう20年ほど昔になるだろうか。山形市の西部、須川に架かる橋を渡っていたときのこと。のんきに自転車に乗っていたわたしは、川っぺりに見慣れない白い生き物の存在を認めた。一瞬の緊張が走った。しかし、その様子を遠くから見ると、その白い生き物には攻撃性とか凶暴な印象はない。さらによく観察してみると、それはむしろ愛嬌のある後ろ姿をしている。
天高くかかげたその右腕には見覚えがあった。あっ!そうだ、あれは「たいき君」じゃないか!彼のことはもう何年もすっかり忘れていた。しかし、一気にいろいろな思い出がよみがえってきた。ああ、「たいき君」・・・。きみはあの頃、子どもたちの間ではアイスクリームやお米に似ているとか、よくからかわれていたね。けれど、きみの姿は、本当は美しい自然豊かな山形県と情熱を心に抱く山形県民の心を象徴しているんだよね。うーん、なんて健気でかわいいんだろう。
わたしが小学生の頃、山形県内どこへ行っても、街のいたるところで「たいき君」を見ることができた。1990年前後に山形に住んでいた方ならわかるはずだが「たいき君」は1992年(平成4年)、山形で開催されたべにばな国体のマスコット・キャラクターである。国体終了後、その役目を終えた「たいき君」は表舞台から降り、わたしたちが彼を見かける機会もあっという間になくなってしまった。
そんなわけで、現役引退後のたいき君が須川っぺりでぽつんと佇んでいるところを見かけたわたしは、国体というひとつの一大イベントの成功のために山形県全体が一丸となっていたあの頃を思い出してノスタルジックな気分に浸った。と、同時に、山形が誇るかわいいマスコット「たいき君」がぽつんと雨ざらしにされている事実を目の当たりにし、時間というものはなんと残酷なものだろう、と感傷的にもなった。
たいき君を探しつづけて
べにばな国体から32年も経ってしまうと、「たいき君」はもういないと思う方もいるかもしれない。けれど、彼はあなたのそばに今もいる。
令和の現在の山形市内の穏やかな昼下がりの光景である。写真右側の電柱に注目してほしい。目を凝らすと、そこに「たいき君」がいるのがわかるでしょう?
水球やテニスなど、さまざまなスポーツをする「たいき君」がずらり並んでいる。30年以上も屋外の電柱に貼られ続けたステッカーの丈夫さにも驚くが、「たいき君」がこうして今も山形の暮らしの中に溶け込んで生き続けていることにはただただ感動する。実際にご自身の目で確認されたいというときは、馬見ヶ崎川沿い、山形インター付近の電柱を探してみてください。
須川っぺりでの再会以来、山形の街角にはまだたくさんの「たいき君」がこのステッカーのようなかたちで生き残っているはずだと考えて、わたしは20年近くにわたり「たいき君」を探し続けている。10年前に見つけた「たいき君」が今はもういなくなっていたりすることがあるように、街の変化に合わせて「たいき君」探しは難しくなってきている。それでも、いや、だからこそ、今日もわたしは「たいき君」を見つけるために山形の街を歩いている。街の人への聞き込みも欠かさない。そしてこのたび「ぼくのたいき君」の連載が始まった。今、わたしの「たいき君」への愛は燃えさかるばかり。さあ、これから一緒に山形に生き続ける「たいき君」を探す旅に出掛けましょう。