【山形・蔵王温泉】なんでも楽しんでみる。それがすこやかに生きるコツ/ル・ベール蔵王 女将・代表取締役 川﨑禮子さん
インタビュー
蔵王温泉のリゾートホテル〈ル・ベール蔵王〉の女将であり代表の川﨑禮子(かわさき・れいこ)さん。その笑顔には、その場をパッと明るくする力があり、会話の中にもユーモアのセンスが光る。そんな禮子さんに、ご自身の経歴やホテルのはじまり、故郷である蔵王について、家族ぐるみで深い親交があったという芸術家・岡本太郎氏とのエピソードなど、さまざまに話をうかがった。
専業主婦から女将の道へ
ル・ベール蔵王のはじまり
「ル・ベール」っていうのは、フランス語で「緑」を意味するんです。うちの建物のまわりには、木がたくさんありますでしょう。それから、私の実家が蔵王温泉にある〈緑屋〉という土産物店なんですね。それで、この名前が付けられました。
私は、中学校は蔵王で、高校は山形市の街のほうに通っていましたが、大学は東京に行ったんです。当時の女の人は、職業婦人になる人もまだまだ少なくて、卒業するとお嫁に行く人がほとんどだったのね。それこそみんな、花嫁修行をしているような時代でしたから。
大学卒業後は、結婚して南陽市に嫁いだんです。主人が〈かわでん(旧:川﨑電機)〉という会社をやっておりまして、私は子育てしながら専業主婦をしていました。けれども会社の経営が厳しくなり、家族みんなで蔵王に移ってきたんです。するとここ(ル・ベール蔵王)をやる人が誰もいないっていうから、じゃあ私がと言って引き受けることになって。
30年以上前、当時はバブルがはじけた直後だったから、まあたいへんでしたよ。一生懸命やれば良くなるだろうと思ったんだけど、スキーブームが終わってからはもっと厳しくなりましたから。ブームが終わったのは、携帯電話が登場したことと、だれでも自由に海外旅行ができるようになったのも大きいんじゃないかしら。昔に比べて娯楽の選択肢もどんどん増えていきましたよね。
スキーが生んだ稀有な縁
岡本太郎氏との突然の出会い
実は、岡本先生(以下:先生)との出会いは〈蔵王パラダイスロッジ〉というところなんです。先生は、そこから一番近いゲレンデでスキーをしていたんですけど、ロッジから下のほうに滑っていく途中に桜の木があるんですね。そこに抱きつくような体勢でぶつかって、骨折してしまったんですよ。
それで、ドッコ沼に〈ブナ小屋〉っていう保養所があって、先生はそこに運ばれて治療を受けていたのね。幸いにも管理人さんがお医者さんだったから。でね、当時うちの主人も偶然そこに泊まっていたの。高校生だったんだけど、いろいろと先生のお世話をしていたみたいで、そこからのお付き合いなんですよ。
ちなみに、ちょうどそのタイミングでトニー・ザイラーというスキー選手の俳優が「銀嶺の王者」というスキー映画を撮りにきていましたね。そんな時代だったんです。
そこからもずっと蔵王には通われていて、先生は〈とどまつヒュッテ〉や〈アストリアホテル〉にも泊まられていましたよ。ル・ベール蔵王ができたのはそのあとですが、お亡くなりになる数年前までずっと、ご利用いただいていましたね。お正月はいつも泊まられていましたし、スキーシーズンには時間ができるとよくいらしてくださっていました。
自分が好きでやっていることは
辛い、辞めたい、とはならないもの
スキーは私もやるんですよ。もちろん昔の話ですけれど(笑)。中学校までは県のチャンピオンも持っていましたし、ノルディックもやりましたね。高校までは選手をしていたんです。去年までは県スキー連盟の理事を務めていました。
今年で79歳になるんですけれど、あのときのトレーニングが今の健康で丈夫な体を作ってくれたのかもしれませんね。自分の体力の限界までやるっていうか、負荷をかけるっていうのかな。だから私、これまで風邪なんてひいたことないし、結婚してから1日だって寝込んだことなかったですから。なんでも健康な体があってこそだっていつも思うんです。
トレーニングにしてもなんでもそうだけど、やらなきゃいけないことでも楽しんでやれば、苦にならないわよね。孫たちによく言うんです。運動でも勉強でも、やるときは楽しんでやりなさいと。そうじゃなかったら学者になる人なんていないでしょう。自分が好きでやっていることって、不思議と辛くないんですよ。だから辞めたいっていうことにはならないもの。岡本太郎先生もずっとお元気でしたよね。なんでも楽しくやることが元気の秘訣なんじゃないですか。
私は酉年のO型だから、ニワトリみたいに3歩あるくとすぐ忘れるでしょ(笑)。それにO型っていうのは “便所の100ワット” だって言ってますから(笑)。要するに、無駄な明るさなんです。ちょっとしたことではくよくよしないんですね。
女将の仕事でも、どんな仕事でもそうだと思いますけど、やっぱり常に前向きでいなきゃね。それから人を大切にすること。お客様はもちろん従業員に対しても同じです。みんなの健康のこともちゃんと考えていますよ。ホテルとして大切にしているのは、地元の人から愛されるっていうことですね。
ひとりの芸術家とある家族が過ごした
あたたかくほがらかな蔵王での記憶
先生が最初に蔵王にいらっしゃったとき、スキー自体は2回目でしたね。スキーを始めたのが46歳だったから、わりと遅かったのね。一緒に滑ったこともあるんですけど、すごくがんばって滑るんですよ。あんまり一生懸命に歯を食いしばって滑るもんで、滑り終わるといつも「顔が疲れた」って言ってました(笑)。
主人と一緒にいるときの先生は、心の底からリラックスされていたんじゃないのかな。ちなみに主人ってね、あだ名が「河童」っていうの。3人兄弟だったんですけれど、みんなわりと泳ぎが上手だったんです。それで水から上がった瞬間が河童みたいだったんで、そこから(笑)。先生も「河童ちゃん!」なんて呼んだりしてね。
東京にあるアトリエ兼ご自宅に伺ったとき、先生はうちの娘たちと一緒に鬼ごっこやかくれんぼをしたりして、よく遊んでくれました。蔵王で一緒にスキーをしたときも、雪の上で子どもが転んで先生に覆い被さっていると「重たいぞ。地球が俺の上に乗っかってきた」って言ったり。子どもが好きな人でしたね。娘たちには自分のことを「坊や」なんて呼ばせてましたから(笑)。
先生は、私たち夫婦の結婚式の仲人であり、ふたりの娘のゴッドファーザーでもあるんです。長女が生まれたとき、赤ちゃんをあんまり見たことがないから見に来たいということで蔵王にいらして下さったんですけど、生まれたばかりの赤ん坊を見て、可愛いよりも先に気持ち悪いって言ってましたね。先生らしいでしょ(笑)。それから「こんなにちっちゃくても一生懸命動くんだな」って。
長女の名前は「陽子」で、太陽の「陽」に子どもの子。次女の名前は「眞樹」といって、真実の「真」の古い字に樹木の「樹」。下の子の「眞」は絶対にこの字を使いたいと言っていたんです。
先生って、皆さんもご存じの「爆発だ!」なんていつも言っているイメージがあるでしょう? でも実際には、きちんと周りを見ながら神経を使うタイプで、気遣いの人だったんですよ。蔵王でのスキーを通じた思いがけない最初の出会いから、こうして何年も家族ぐるみのお付き合いをさせていただけたのは、本当にありがたく光栄なことでした。
芸術にふれ、創造することで
生きるための原動力と人間力を養う
先生とお会いするまでは、正直そこまで芸術に親しんでいたわけではなかったですし、身近な環境があったわけではなかったんだけど、芸術やいろんなことにふれる体験は、できるならたくさんしたほうがいいですよね。芸術にふれることは、心身の健康にも繋がると思います。まずは楽しむことが一番。うちの主人は英語が全然わからなかったけれど、先生は「それで良いんだよ」って。それから「絵っていうのは、上手に描こうなんていうことじゃないよ。自分の気持ちをぶつけるんだよ」ともおっしゃっていました。
数年前から2年に1回、東北芸術工科大学が主催する「山形ビエンナーレ」という芸術祭がありますけど、今年は「いのちうたう」がテーマで、岡本太郎先生の作品も展示されていました。ル・ベール蔵王も協力させてもらいましたが、こういうのって本当に素晴らしいことだと思うんです。私たちができることはなんでも協力したいと思っているので、若い皆さんや学生さんには、これからもどんどんいろいろなことに挑戦していただきたいです。
スキーや温泉を楽しみながら、創作活動や執筆活動をしていた岡本太郎先生のように、滞在しながら蔵王を楽しんでいただくのはもちろん、この土地に馴染みがある人もない人も、多くの方に蔵王という場所をもっと知っていただいて、思い思いに楽しんでいただきたいですね。いつでもお待ちしていますよ。
DATA
ル・ベール蔵王
住所 山形市 蔵王温泉878-5
電話番号 023-694-9351
チェックイン 15:00、チェックアウト 10:00
Web http://www.levert-zao.co.jp/
写真:三浦晴子
文:井上春香