山形納豆物語 第八話
連載
山形の人は、納豆が好きだ。
愛知へ嫁にきて20年、山形を離れて初めて気づいたことだった。
まずはスーパーの納豆コーナーをみてほしい。その広さ、中小メーカーがひしめく多様なラインナップ。みんなお気に入りの納豆で、納豆もちを食べ、ひっぱりうどんをすすっているに違いない。そんな山形の、納豆にまつわる思い出や家族のことをつづっていきたい。
第八回目は、「本当の納豆巻きとは」について。
「これ、納豆巻きじゃないじゃ~ん」驚きと悲しみが混じったその声に、私も驚き、しばし固まっていた。
今から30年ほど前、大学4年生だった私は、地元を離れて違う場所で生活してみたいと、関東方面で就職活動をしていた。上京する度に、既に働いていた高校時代の友人のアパートへ転がり込み、せめてものお礼にと晩ご飯を作っていた。
ある日の晩ご飯は、自分が大好きな納豆巻きを作った。疲れて帰ってきた友人は「わー、納豆巻きだ!私も好きだよ〜」と笑顔になり「やった!晩ごはん大成功」と嬉しくなったのだが、それも束の間、彼女は一口食べてこう言った。
「んっ?ご飯?酢飯じゃないの!? え〜!これは納豆巻きじゃないじゃ~ん」
わくわくしてたのに…という、何ともがっかりした気持ちが友人から伝わってくる。そんな友人を目の前に、私は「酢飯??」としばらくきょとんとしていた。もちろん酢飯の存在は知っていたのだが、酢飯はお寿司屋さんのもので、自分が作る納豆巻きに酢飯だなんて思いもよらなかったのである。私が食べてきた母の納豆巻きは、いつもただのご飯で、酢飯だったことは一度もなかった。
そんな母の納豆巻きは、私が小学生だった頃、クリスマスの食卓に決まって登場した。
当時の私にとって、クリスマスの日は全てが特別だった。
灯油ストーブの上でやかんがしゅんしゅんと音を立てる茶の間には、クリスマスツリーが飾られ、台所ではお母さんが次々とご馳走を作っている。唐揚げにポテトにピザにスパゲッティ、こたつの上には私達姉妹の好きなものばかりが並べられ、ケーキとシャンメリーは寒い廊下で出番を待っている。その上、夜にはサンタさんがプレゼントを持ってきてくれるなんて、考えただけで心が踊り、妹とひたすらはしゃいでいた。
そんな最高の夜に、他のお寿司は一切ない中で、納豆巻きだけが大皿につみあげられ、ポテトやピザなどのクリスマスらしい食べ物の間にでーんと鎮座していた。今振り返ると、その大皿はパーティの食卓で明らかに異彩を放っていたが、納豆巻きがあることで、私はいつも「うわ~、自分の食べたいものが完璧にそろった!」と小躍りし「こんなに何でも作れるお母さんはすごい!」と自慢に思ったものである。
さて、冒頭の指摘をうけた翌日、私は速攻で母に電話した。「お母さん、納豆巻きのご飯って酢飯みたいだよ!」少し興奮しながら報告した私に対して、母は「あー、確かに酢飯ってあるわね。まぁ、お母さんは見た目で作っちゃうタイプだから、見た目が合ってればそれでいいのよ」といつもの声で応えた。母は何も驚かなかったし、それからも我が家の納豆巻きは、ただのご飯のままである。
そんなことを思い出したので、隣で呑気にビールを飲んでいる夫に聞いてみた。「ねぇ、家の納豆巻きって酢飯だった?」すると、生まれも育ちも愛知県の彼は「え?納豆巻きなんてそもそも家ででたことがないし、外でも食べないし。だって、寿司屋に行ったら他のもん食べたいでしょ」と言い放った。そして「納豆巻きを食べたのは、結婚してからかもね」と続けた。そうなんだ。酢飯かどうかという土台にも立っていない人がいるとは、そして彼に納豆巻きを知らしめたのが私だったとは、また違う驚きであった。