【鹿児島・甑島】再生と兆し〜始まりの物語を紡ぐ KOSHIKI ART PROJECT〜 / KOSHIKI ART 2024 事務局長 齊藤純子さん
インタビュー
甑島列島で空き家、空き地、空き倉庫、廃校や田畑などを舞台にして、島まるごと展覧会場にして行う現代美術の展覧会と地域文化の織りなすクリエイタープログラム『KOSHIKI ART 2024』。2013年に一旦閉幕となりましたが、今年10月から1ヶ月間かけて10年ぶりに開催されました。そこで、今までの変遷や今年開催に至った背景などについて事務局長の齊藤純子さんのお話を聞きました。
連鎖する甑島への想い
2004年。KOSHIKI ART PROJECT(以下:アートプロジェクト)は平嶺林太郎さん(甑島出身・東京造形大学大学院修了)を発起人として、回を重ねるごとに地域の可能性を探求する甑島在住の若者達が実行委員会を発足して作られました。同年、平成の大合併により甑島列島にあった旧4村(里村・上甑村・鹿島村・下甑村)が薩摩川内市へと編入され村の名前が無くなることから、故郷の記憶を表現者の作品に深く刻み、『かたち』にしたいと感じたといいます。
そこで現代美術の道を歩んでいた平嶺さんは東京周辺の美大生を中心に声をかけ、甑島列島を舞台に現代美術の展開会やアートインレジデンスと呼ばれる滞在制作など、離島地域とアートの社会実験を開始したのです。
美大生は夏休みを利用し甑島に滞在し、展示する場所を探すところからスタート。事務局にサポートしてもらいながら、展示に使う材料の調達、作品制作などを空き家で共同生活をしながら1ヶ月過ごすという内容だったそうです。
2005年には山下賢太さん(甑島出身・京都芸術大学卒)も合流し、さらには、京都からボランティアスタッフとして大学生を巻き込み、少しずつ認知度も上がり、関わる人も増えてきたのだとか。
その後、甑島出身で県内の本土で働いていた純子さんもボランティアで関わり、次第に甑島に対する気持ちが強くなっていったといいます。
2008年にはアートプロジェクトを鹿児島市内でPRする応援隊として音楽イベントなどを開催。時には、繁華街の空き家を借り、展示イベントを行ったこともあったのだとか。
「PRを続けていくうちに、多くの人が甑島やアートプロジェクトについて自分事のように話をする光景は忘れられません。“こんなふうに人に伝わっていくんだ”と手応えを感じた時間でした。」
アートプロジェクトの期間中になると、島民が来島者に対して、道案内や声かけをする光景も目にするようになり、島内でも応援ムードに包まれていたと感じたそうです。しかし、その反面、純子さんの中である気持ちも生まれていました。
“私は本土から関わっていて、島に住んでいない。本当に島を盛り上げたいと思っているなら、島に戻るべきではないのか?”
そして、2009年のアートプロジェクト後に甑島へUターンすることになるのです。
終わりではなく、始まりの物語を
Uターン後は観光協会に勤めながら、アートプロジェクトにも関わる日々。当時のことをこのように振り返ります。
「甑島に観光にいらっしゃるお客様の声を聞いていると、宿泊施設や周遊コース、サービスといった情報があまり可視化されていないことに気づきました。プロの観光ガイドになってお客様に甑島の滞在を楽しんでいただきたい気持ちが強かったので、2011年にこしきツアーズを夫と立ち上げることにしたんです。」
「アートプロジェクトを通して、それまでとは違ったお客様の層が来島するようになり“ちゃんと島の資源を磨けば甑島には多くの人が足を運んでくれるし、楽しんでもらえる!”と実感できたのも大きかったと思います。」
ほぼ同じ時期に山下さんもUターンし東シナ海の小さな島ブランド社を立ち上げ、アートプロジェクトをきっかけに当事者にも新しい動きが見え始めてきたといいます。
しかし、2013年の夏。アートプロジェクトは一旦の区切りを迎えることになるのです。
理由としてはコアメンバーのライフステージの変化、そして、10年という節目。区切りを迎えたとはいえ、純子さんの中ではある気持ちが芽生えていました。
“これで終わりじゃない…。いつかまた開催できるように、ここからは次のステップへ向けた準備期間なんだ!”
そこから純子さんを含めたコアメンバーにとって人生を賭けた甑島での挑戦が始まり、さまざまな事業やプロジェクトが誕生しました。
たとえば、市公認ガイドとして自然体験アクティビティを提供するガイド業やレンタカー事業、民俗楽器の音楽祭の開催、古民家を再生したベーカリーの開業など。
アートプロジェクト以外にも甑島へ足を運ぶ人もさらに増え、10年の時が過ぎた昨年12月のこと。純子さんは甑島をテーマにしたフリーペーパーの取材を受ける機会があり、それがKOSHIKI ART 2024の開催へと繋がったというのです。
再生と兆し
取材を受けるにあたり、今までの振り返りをしていた純子さん。その中で感じたのはアートプロジェクトの存在の大きさだったといいます。
「短い期間にたくさんの人が来島し賑わっているイベントって中々ないと感じました。普段の観光とは違った甑島の側面を見せる機会が必要ではないか。10年前のアートプロジェクトで繰り広げられた風景をまた見たい。そう思ったんです。」
「実は、甑島に観光へいらっしゃったお客様から“アートプロジェクトが開催されていた時はそれを楽しみに毎年島に来ていたんだけど、今はその楽しみがなくなってしまってね”と言われたことがあって…。その声も一つのきっかけとなりました。」
その想いを山下さんにも伝えると考えが一致し、10年ぶりの開催に向けて動き始めました。
10年間の休止期間を経て、初開催となった2004年からちょうど20年という節目である今回。「KOSHIKI ART 2024 再生と兆し」として開催しました。
どうしてテーマが「再生と兆し」なのか。
この20年で生まれたものがあった反面、それ以上に小中学校や幼稚園の廃統合、銀行や農協、地元商店の閉店、路線バスの縮小など、目まぐるしい過疎が進み、悲しい現実を目の当たりにすることも増えてきたそうです。
最盛期のはおよそ26,000人暮らしていた甑島の人口は近い将来には1,500人程度になると予想されています。
そんな時代で島で暮らす自分たちにできることは何なのか。
「いつか誰かが社会を変えてくれる」と願うばかりではなく、この島に生きる人自身が社会に働きかけ、自ら機会を創り出し、島に関わる人たちと共に実現していくという村づくりの原点に還ること。
そして、一度価値がないとされた甑島列島各地の空き家や空き地、空き倉庫、廃校・田畑などを舞台にして、地域に新しい命を吹き込むように再生していくこと。
それらを通して、次世代の子どもたちに向けた希望の「兆し」となることを願い、今年のテーマを設けたといいます。
甑島で生きる意味を見つけるものに
今回は島外からゲストを招きトークイベントやワークショップなどを行ったり、島内各地へ出向いたゴッタンの演奏会、クラウドファンディングの実施など今までになかったことにも挑戦。
10年前にはなかったサービスや飲食店、宿泊施設などもあるため、島内外問わず「ゆっくり滞在し、楽しむことができた」といった嬉しい声が多かったのだとか。
「年初め、島の皆さんに10年ぶりの開催をお伝えする機会があったのですが、最初はとても緊張しました。“迷惑がられないかな?”って。でも、皆さんの反応は良くて、背中を押してもらえた気がします。」
「昔の景色を思い出す人もいれば、島の新しい一面を知れた人もいたので今回の開催は成功だったと思っています。それは場所の提供もですし、できることでサポートしてくださる島の皆さんの存在あってこそです。」
「島に住んでいる私たちが運営していることも大きいと思います。アーティストさんのことをわかっているメンバーもいれば、島の実情を把握し、信頼関係を築いているメンバーもいるからこそ、家族のような雰囲気でできていると感じていて。それが甑島でアートプロジェクトを開催する意味なのかな。」
アートプロジェクトが始まり20年。その変遷を実際目にし、甑島で日々の暮らしを営んでいる純子さんだからこそ描く未来像について最後に聞きました。
「甑島に暮らせて幸せだと感じていますし、来島した方から甑島のことを褒めてもらうと誇らしい気持ちになります。私にとってはアートプロジェクトがあったからこそ帰ってこようと思いましたし、そこから関わったメンバーが事業を興して面白くしてくれている部分も大きいです。」
「過疎化は止めることはできませんが、この温まった雰囲気があれば、甑島にとって明るい兆しが出てきて、この場所で暮らし生きる意味を島民それぞれが見つけることができるのではないかと信じています。アートプロジェクトは単なるイベントではなく、そんな気づきもあるものであり続けたい。そう思っています。」
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