「ぼくのたいき君」 その2・山形とたいき君の今昔物語~ の巻
連載
令和と平成の交差点
いよいよ師走。せわしない時期となりました。忘年会などで夜の街に出掛ける機会も増えることでしょう。そんなわけで今回は、山形市内の繁華街に生き続けるたいき君をご紹介。
山形駅前、スズラン街にあるとある路地裏から、山形のランドマークである霞城セントラルが見える方へと進みます。
ほら、右側の建物の壁にいますよ、たいき君!
昭和の名残が一気に消え、山形が急激に近代化されたきっかけが平成4年の「べにばな国体」だったといわれています。そして国体開催後、さらに整備と開発は進み、山形駅西には霞城セントラルが建ち、今の景色ができあがったわけです。たいき君と霞城セントラル、平成と令和が交差する見事な景色がここにある!ああ、たいき君をめぐる山形の今昔物語。胸が熱くなります。
べにばな国体への参加を呼びかけながら「住む人の マナーで分かるまちのよさ」というテンポの良い標語で、地域をより良くしようというたいき君からのメッセージです。このたいき君、かれこれ30年以上このメッセージをここで発信し続けているのです。意地らしいというか、ひとが良すぎるというか、とにかくかわいいです。
この冬、スズラン街にいらしたら、ぜひこのたいき君と写真を撮っていただきたい。密かな人気の撮影スポットになることを期待します。賑やかな季節ですから、どうぞ、マナーよくお願いいたします。
宝物はたいき君
わたしは、街にいまも生き残るたいき君を探し続けることにくわえて、べにばな国体開催当時のたいき君グッズを収集することにも力を入れています。当時、タオルやキーホルダーにテレホンカードなどなど、たいき君グッズは星の数ほど作られていたようです。おみやげとして売られていたものから、メガホンなどの応援グッズやステッカーなど国体の宣伝用に配られていた(多くは用が済むと捨てられてしまう)ものまで、すべてを把握するのはきっと不可能でしょう。
いろいろなたいきくんグッズを集めてきましたが、なかでもとくに大切にしているものが、この箱の中にあります。
これは、わたしが小学生のころに自分で作ったタイムカプセル。実家に保管してありました。1992年の1月8日に封をしたようです。中を見てみますと、12才の頃のわたしが鉛筆で書いた目録が入っています。
漫画や当時の新聞などの一覧に並ぶ「べに花国体 平成4月(表記ママ)」の文字。ところどころ他にも誤字があるのはご愛嬌。で、この「べに花国体」とは何を指すのかといえば、タイムカプセルから出てきたのは、エジプトの高貴な身分のミイラのごとく保存状態良好なたいき君の貯金箱!
このたいき君、小学生の頃のわたしの宝物だったのです。まったく記憶から消えていましたが、そういえば、小学校でこの貯金箱を配られて、喜んで持ち帰ったことをうっすら思い出しました。ちなみに、一緒に入れていた新聞の一面はゴルバチョフ辞任間近と報じています。
今回、このことを記事にするにあたり、わたしの宝物だったたいき君の貯金箱をプロのカメラマンに撮影してもらいました。
30年以上の眠りから目を覚ましたわたしのたいき君。晴れの舞台に立っているかのようで、ちょっとウルッときました。
たいき君、なんてかわいいのでしょう。この屈託のない笑顔。山形にたいき君がいる限り、大抵のことはなんとかなる。そんな理屈を越えた安心感がわいてくる気がします。だから、これからもたいき君を探し、守り続けなきゃ、と思うのです。それでは、また次回。