極私的東郷地区偏愛スポット
地域の情報
JR越美北線の越前東郷駅(また越美北線の話かと言われそうだが今回は越美北線はあまり関係ない)。この駅周辺の東郷地区は、福井市内とは思えないのんびりした空気が漂っており、一度訪れたが最後、その空気感に魅了されて再び引き寄せられてしまう人が多い。かく言う筆者もその一人である。
駅前のトックリ軒はもはや、昼飲みのメッカ的存在である。あるいは毘沙門寿司の鯖の棒寿司で冷酒をキュッとやるともうここは天国かと思う。酒の話ばかりで恐縮だが近辺には造り酒屋が複数存在し、先述したトックリ軒も毘沙門寿司も地酒を扱っている。また、幕張メッセでテクノ法要を営み人々を驚かせた照恩寺はトックリ軒の向かいにある。
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駅を出て南に下り、右手にトックリ軒、左手に照恩寺の鐘楼を見ながらさらに南に下ると堂田川(どうでんがわ)という川にぶつかる。東郷地区を東西に貫くこの川沿いの通りには石畳が敷かれベンチなども設置されており、散策に適している。造り酒屋もこの通り沿いに2軒ある。このように東郷おすすめスポットは枚挙にいとまがない。
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さて筆者の東郷偏愛スポットはというと、この堂田川(どうでんがわ)の通りの西側の入り口にある。その理由はたぶんサイクルロードレースファン(必ずしもサイクリストそのものではないことに注意されたい)にしかわからない。いやサイクルロードレースファンにだって理解してもらえるかどうかわからない。2000人に一人くらい理解者がいれば良い方なのかもしれない。
上述した場所に橋がある。橋名板には「昭和大橋」と記されている。「大橋…?」と首をかしげたくなる規模の橋だが、マァ自分で名乗っているのだから大橋なのだろう。福井市中心部から車でやってくると大体ナビは県道180号東郷福井線を示す。それまでは片側1車線だったのが東郷地区中心部に入るときに、車の往還が堂田川を挟んで分かれることになる。西からやってきた車はこの昭和大橋を渡って堂田川の北側を走ることになるが、まさにその分岐が筆者の偏愛スポットなのである。
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「パリ〜ルーベ(Paris-Roubaix)」というサイクルロードレースがある。その名の通りパリ(正確にはパリ北方のコンピエーニュという街)からベルギー国境に接したルーベまでおよそ260kmを走る自転車レースである。年1回開催(コロナ禍の間は中止になった)され、自転車レースの中で最も格式の高い「クラシック」と呼ばれるものの一つである。このレースの特徴は、総数30箇所弱、総延長で50kmにも渡る石畳区間である。なんだ石畳を自転車が走るだけかと思われるかもしれないが、われわれが普段日本で目にする石畳を想像してはいけない。「パヴェ(pave)」と呼ばれるそれは、石畳というよりも、こぶし大の石がにょきにょき突き出た土の道だ。そんなところをロードバイクで走るのだから、石のタイヤを取られて転倒するなどということもあるし、転倒して膝の皿を割りその後のキャリアに大きく影響した選手もいる。転倒までいかなくてもパンクは頻発する。この石畳区間に突入するとき、選手たちはみな天に祈りを捧げる。雨の日は泥まみれになって走り、晴れの日は巻き上がる砂埃(だって舗装されていないから)にまみれて走る。サイクリストはだいたいサディストだと思うが、そのサディズム的側面をもっともよく示すのがこの「パリ〜ルーベ」というレースなのである。過去の優勝者はこのレースを「苦しみを受け入れるレース」「愚か者のレース」などと形容している。しかし(だからこそ?)サイクリストの人気を集め、選手たちからも「いつかは出たい」とリスペクトを受ける特別なレースなのだ。
この「パリ〜ルーベ」の石畳区間はセクターと呼ばれる。開催年によってセクター数は微妙に異なるが、このセクターにはすべて番号が振られ、セクターの数字はゴールに近づくほど減るカウントダウン方式が採られている。そしてそれぞれのセクターには過酷さに応じて五つまでの星が付けられている。たとえば、2023年のパリ〜ルーベのセクター数は29、もっとも過酷な五つ星を付けられるアランベール(Trouée d’Arenberg)という区間はこの年セクター19となっている。その最後の石畳区間は、例年ゴールのヴェロドローム(自転車競技場)近くのルーベ(Roubaix(Espace Charles Cruperandt))と名付けられた区間で、セクター1となっている。難易度は星1つとなっており、走りやすさはおそらく日本に見られる石畳と大差ない(とは思うが走ったことがないのでわからない)。それまで走っていた舗装路からあえて左にぐいっと入っていって石畳が登場する。堂田川の石畳区間への入口のたたずまいが、このセクター1ルーベの入口によく似ているのだ。筆者の東郷偏愛スポットはまさしくここなのである。県道180号から左にぐいっと入ってゆく。石畳が現れる。サイクリスト的歓喜が訪れる。
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このセクター1ルーベは、ゴールまでおよそ1.4km、レース最終盤に登場する。レース展開にもよるが、ここまでに独走が決まっているのであれば最初にここを訪れる選手は優勝を確信し、喜びの表情で走り抜ける。最終スプリントにもつれ込みそうなときは、緊張感をもってここに入ってくる。いずれの想像をも、この昭和大橋は受け入れてくれる。何度も自転車を持ってここを訪れたが、実は大雨の日にもこっそり来たことがある。あえて大雨の日を選んで昭和大橋を通り抜ける。大雨の日も楽しい東郷。
ここはあくまで筆者の極私的偏愛スポットなので、これを読んでいるあなたにおすすめするつもりはない。ではなにが言いたいのかというと、東郷は、誰にでも極私的偏愛スポットが見つかる可能性をはらんだところなのではないかと、そんな気がするのだ。極私的偏愛スポットが遍在するまち、東郷。ほら、あなたにも。
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