【大野市】real local福井の記事が生んだ移住 山本響さん(前編)
移住者インタビュー
2025年1月から、新しいメンバーが集ってreal local福井を運営していくことになった。
私たちは「どんなreal local福井にしていきたいか?」ということを何度か話し合って、「あの人」に刺さる記事を書こうと決めた。
大衆に向けた観光記事より、どローカルに根ざして、溢れる「好き」を磨こうと。
そうして磨いた福井の片鱗は、きっと、どこかの誰かに届くと信じて。

こうして新体制を迎えたreal local 福井の初ミッションは「とにかく記事を書こう」。
「「あの人」に刺さる記事を書く」を掲げた最初の原稿、私は会いに行く人を決めていた。
real local福井のある一本の記事が刺さって、福井県大野市に移住した山本響(やまもとひびき)さんだ。神奈川県から移住した山本さんは、大学院でまちづくりについて学んだ後、2023年春に大野市の地域おこし協力隊に着任。現在は、まちなかのシェアハウスの開設に関わったり、リソグラフ印刷所の「大野の印刷・編集室みなと」を新たに開くなど、まちの賑わいを生んでいる。

そんな山本さんが、大野に来るきっかけとなったのが、なんとreal local福井に掲載された求人記事だったのだ。
「刺さる記事を書くなら、刺さった人にインタビューせずして始められるものか」
雪まじりの雨が降る12月のある日。
私は大野市へ向かい、山本さんに大野に来るまでのあれこれについて聞いた。
「まちが変わる」 地方移住につながったいくつもの気づき
山本さんは2023年3月に大学院を卒業し、4月に大野市へ移住。いわゆる新卒で地方に飛び込んだ組だ。大学の同期の多くが企業に就職していく中で、山本さんの選択を支えたものは何だったのだろうか。
地方移住を考え始めた原体験は、大学3年生の春休み期間のこと。山本さんは友達に誘われ、岩手県を拠点とするNPO法人が運営する一週間の地域実践プログラムに参加。陸前高田で地域の方に話を聞き、アクションプランを計画して実行するというものだった。当時、建築学科に所属していた山本さんにとって、空間を作らずともコミュニケーションでまちが変わると気づく大きな体験だった。
「建物や空間を作らなくても、人と会話することでまちがちょっと変わりうる。自分も変わったし、誰かの笑顔が増えたりとか。その頃、建築学科の優秀な同期が多かったから、自分は何もできないって自信を失ってて。だけど、自分にもできることがあるかもしれないって思いました。能力とか関係なく真正面にぶつかれば、何か生まれるというか。今ここにいることの1番根幹は、そこですね」

地方に関心が向き始めた山本さんは「建物を建てるだけじゃないまちづくりのアプローチを学びたい」と、大学院に進学。富山県高岡市や宮城県石巻市など、地域の人と対話を重ねながら活動。街歩きの企画やマップの制作など、机上の空論にとどまらず現場で手足を動かしながら勉強に取り組んだ。中でも印象に残っているのは、震災10年の節目に行った石巻市での実践。震災後に石巻市に関わった約20人の大人の話を聞き、展示としてまとめるというプロジェクトだった。
「その頃修士1年で、就職に悩んでいて。地方に興味あるけど地方に行ったら、都市には二度と戻れないって二項対立的に考えていたんです。けど、20人くらいの大人たちが震災後にどういう風に価値観が変わって、どういうことをして、その結果どんな選択をしたかみたいな話を聞いて、ちょっとずつ自分の心地よい方向に変えていく生き方をしている人がすごく多かったんです。そういう生き方をしてもいいんだなって、自分のガチガチさを緩めてくれました」

山本さんは、石巻市での「狭くなっていた視野を広げて、ほどいてくれた」体験を経て、地方で暮らす具体的なイメージをつかむため、1年間の休学にチャレンジする。向かった先は、富山県高岡市。もともと大学のプロジェクトで関わりがあったという高岡市では、空き家活用の広報を担当した。地域の人と関係性をつくったり、定食屋さんでアルバイトしたりなど地方暮らしをみっちり体験。「やっぱり自分はこっちだ」と、地方暮らしに対する気持ちを確認した。


大野との出会い 「好きなまちから働いて暮したいまちへ」
山本さんが福井に出会ったのも、休学中の出来事だった。
もともとオンラインイベントで鯖江の地域活動家を知り、「福井っていいな」と思っていたという山本さん。休学中に三泊四日の福井旅へ出かけ、大野で宿泊をした。
「夜ご飯を食べるために歩いてたら、なんだこのおしゃれな建物は!って」

それは現在山本さんが関わっている荒島旅舎だった。しばらく見つめていると、中にいた荒島旅舎のオーナーが出てきてひとこと。「見ていきますか?」
山本さんは、荒島旅舎にあった看板に感動したという。
「はんこ屋さんとか自転車屋さんの看板があって、すごい良いなと思って。看板をもらえるってことは、地域とすごく関係性があるんだろうなって。新しいおしゃれなものをつくってまちから乖離しちゃう場所もあるけど、ここはしっかり関係性をつくって、場所ができている。それで新しい人が来ているんだここは!この場所いいな!って思いました」

その後、何度か福井を訪れる中で荒島旅舎のスタッフが大野愛を語る姿を見るにつけ「大野が好きなまちから、自分も働いて暮したいと思うまちになった」という山本さん。そう思っていた矢先、SNSで飛び込んできたのがreal local福井に掲載された求人記事だった。
「気になっていた場所だったので、荒島旅舎に関われることに惹かれて。あとは「まちを面白がれる人」を募集していて、とてもやってみたいと思いました」
こうして現在、山本さんは荒島旅舎に関わりながら大野に根ざして活動している。
陸前高田での原体験にはじまり、石巻市でのプロジェクト、高岡の暮らし、オンラインイベントなど、山本さんが大野へ繋がった背景には、いくつもの点があった。初見で荒島旅舎に惹かれたのは、山本さんの実践ベースの濃厚な地域活動の経験があったからこそだと思う。まちの看板がもらえることの意味や背景を想像できる人はきっと多くない。この地域観察眼の磨かれようが、個人的にぶっささった。
やっぱりきっと、届くところに、届く。
real local福井の記事が、これからも誰かの点と点を線で結ぶような機会になりますように。そして、この福井という土地へ繋がりますように。
後編では、大野へ来てからの山本さんの活動についてお伝えします。