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山形県天童市・移住者インタビュー/添うことで見つけた場所「たかだまラボ」菅生 鈴さん

インタビュー

2025.03.17

山形県天童市・移住者インタビュー/添うことで見つけた場所「たかだまラボ」菅生 鈴さん

#山形移住者インタビュー のシリーズ。雪が降った後の青空には、瀬戸内海では見たことのない眩い光がある——。約20年前、広島から山形県天童市に嫁いできた菅生鈴さんは、最初は方言にも雪にも戸惑いながらも、この地の豊かさに次第に魅了されていきました。浄土真宗のお寺の坊守として寺を守りながら、「たかだまラボ」を立ち上げ、地域の記憶と技を未来につなぐ活動を展開しています。コロナ禍をきっかけに始まった畑仕事から広がる人の縁は、今では「コウバ」と名付けた元布団屋を拠点に、90代のおじいさんから小学生まで世代を超えて紡がれています。「約束もしないのに集って遊ぶ、小学生のような交流」の中で見つけた天童での暮らしの魅力を伺いました。

方言との格闘:「がんぎょうずさんだか?」

瀬戸内海に浮かぶ能美島(現・江田島市)で生まれ育った菅生さん。地元の大学を卒業後、仏教や浄土真宗を学ぶため、京都の専門学校へ進学し僧侶の資格を取得しました。同級生だった現在の旦那様と結婚し、2003年、天童市高擶(たかだま)にある真宗大谷派龍池山願行寺へと嫁いできました。

結婚と同時に始まった山形での生活。当初は言葉の壁に苦労したといいます。

「電話に出ても相手の言葉が聞き取れなくて。『(なまりで)がんぎょうず(⤴)さんだか?』と電話がかかってくるんです。『はい、願行寺(⤵)です』と答えると、『がんぎょうず(⤴)さんじゃないんだか?』『いいえ、願行寺(⤵)です!』『ちがうんだか?』『いえ、ちがわないです!』って、コントみたいな会話になっちゃって(笑)」

半年ほど電話対応から遠ざかったという菅生さん。その後も方言との格闘は続きましたが、徐々に「さすすせそ(さしすせそ)」の発音や「すんぶんし(新聞紙)」といった言葉の変換ができるようになりました。

とはいえカルチャーショックが続いていた移住初期、転機となったのは山形県男女共同参画センターが主催する女性のためのキャリア形成講座「チェリア塾」との出会いでした。約一年間、月に一度、県内の各地から元気な女性たちが集まって学びました。その「チェリア塾」で得た人脈は、その後の活動の基礎となります。

菅生さんの人柄が伝わるおもしろいエピソードがあります。

「その頃はまだ今のようにはSNSが発達していなくて、ある集まりで出会った東京出身の女性が『あなた山形の人じゃないよね?』ってちょっと必死な感じで声をかけてこられたんです。『友達になってください』と言われて。彼女は天童よりもっと雪深い町に東京から移住して、やはりカルチャーショックを受けていたんです。私は関西系のノリで、なんとか彼女を笑わせたくて『えらいところに嫁いでしまったの会(略して“えらとづ”の会)』を思いつきました。面白おかしく「会の規則」まで作って、ちょっとでも笑い飛ばしてもらえたらと。まさかその後、彼女がチラシを作って公民館に配るとは思わなくて(笑)。すると、結婚や夫の仕事の関係で県外から来た方など、遠くから来た女性が次々と集まって」

思いがけず「えらとづの会」は注目を集め、やがてNHKの取材も来ることになりました。参加者たちは最初こそ苦労話を共有していましたが、次第に「山形では遊園地に行っても並ばなくていい」「除雪車が面白くて子供と写真を撮っちゃう」など、移住先ならではの魅力も見つけていったといいます。笑いに変えることで、それぞれが新しい視点を得ていったのです。

山形の食文化:「冬の挨拶は『味噌作った?』」

山形県天童市・移住者インタビュー/添うことで見つけた場所「たかだまラボ」菅生 鈴さん

移住当初、異郷の地で孤独を感じていた菅生さんを救ったのは、山形の豊かな食文化でした。

「もともと、味噌づくりなどに興味があったのですが、山形は本当に食の手仕事が盛んで、冬の挨拶が『味噌作った?』みたいな感じで(笑)。JAで作ったり、女性会や子供の集まり、いろんなグループでみそをつくる会が冬にはあちこちで催される。原材料の大豆から育てている人も多いし、直接、生産者から豆を手に入れることができる。作物を育てる人、加工する人、消費する人がとても近くて、お互いに関わりながら、できあがったお味噌を分け合ったり。そんな循環があるのが、この地域の素晴らしさだと思います」

お嫁さんとして家庭文化に入ることへの壁も、食が架け橋となってくれました。

「最初に来た時、お姑さんの料理がすごく美味しくて、そこにウェルカム感を感じました。山形は食べ物がおいしいところ。たとえば、お米だと、広島の家族が来たときに『山形のお米をおかずに広島のお米が食べれる』と言うほど(笑)。東京から移住して来た友人も、親戚が山形に遊びに来たとき、旅館でご飯をおひつごとおかわりしたというエピソードがあって、『そうだよね、納得!』って」

雪国の発見:静けさに浄化される心

一方で、瀬戸内海の穏やかな気候で育った菅生さんにとって、山形の厳しい雪は大きな試練でした。しかし、その中にも新たな美しさを発見していきます。

「雪は辛かったですね。でもね、雪が降った後、青空が見えるんですよね。そのときの青空の明るさと、雪に照り返した白の明るさの光の量って、瀬戸内海の光の量と別格に明るいんです。冬に曇った日が続くと気持ちが落ちることがあるけど、青空が出た瞬間の明るさの光量は、私が育った場所と比べ物にならないぐらい明るくて、そのギャップにいつも救われていました。あんな強烈な青空って他にないんじゃないかな。閉塞的な気持ちになっても、その瞬間に、今この光をもらえている感覚になるんです」

雪がもたらす静けさも、菅生さんの心を捉えました。そして、その感覚は菅生さんだけのものではなかったようです。

「雪の持つ静けさがすごく好きになりました。寒いのは辛いんですけど、雪の夜って吸音力がすごく高いんです。ただ静かなのではなくて、ものすごく静かなんですよね。現代の情報過多な生活リズムに疲れている心にとって、その静けさはすごく貴重な癒される体験です。徳島から移住してきた方も『雪の道を夜、月夜に照らされて歩いたときに、心が浄化されるような気がした』と話してくれて、すごく共感しました。『シャッシャッシャッ』って雪の中を歩く体験は、他の地域では味わえないものだと思います。その気持ちの、なにか磨かれるような感じは、この風土が持っているものなのかもしれません」

約束なしで集う、小学生のような交流

山形県天童市・移住者インタビュー/添うことで見つけた場所「たかだまラボ」菅生 鈴さん
(写真提供:菅生さん)

「コロナ禍で集まれなくなった時に、畑を始めたんですね。畑なら屋外で密にならないし。耕作放棄地になっていた場所を借りて、埋まってたビニールをはがすところから始めました。それが『たかだまラボ』のきっかけでした」

最初のコアメンバーは、小学校の読み聞かせグループでたまたま気の合った3人のお母さんたち。その後、東京から移住して農業を始めた方など、様々な背景を持つ人たちが加わり、現在の登録メンバーは7名ほど。

「たかだまラボ」の活動を通じて、菅生さんは地域とのつながり方が変わったと言います。

「より『地元』になりました。ちょっと遠くで車で運転して会いに行ける友達というよりは、本当にこの周辺の、通りがかりに『あ〜!』って言える関係の人たち。用事で近所を回ったり、仕事帰りにちょっと寄ってみたら顔が見れる、約束も何もしないで。小学生の頃って約束もしないのに友達が集まって遊んでいたじゃないですか。そんな感覚に近いです。」

空き地を借りて始めた畑作業には、周囲で畑をつくっている先輩方が自然と集まってきました。

「ラボのメンバー2人で作業していた畑に、気づいたら周りの畑のばあちゃんたちも集まって来てて、小さな畑に6人もいる!!とか(笑)。『何植えてんだ?』とか、ああだこうだって喋って。苗を分けてもらったり、育て方も教えてもらって。気が付いたら帰るときは八百屋に行ったの?ってくらい野菜をもらってきた日もありました」

山形県天童市・移住者インタビュー/添うことで見つけた場所「たかだまラボ」菅生 鈴さん

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(写真提供:菅生さん)

コウバの記憶:古い道具が語りだす

山形県天童市・移住者インタビュー/添うことで見つけた場所「たかだまラボ」菅生 鈴さん

「たかだまラボ」の活動が広がる中、菅生さんたちは寺の駐車場の隣にあった取り壊し寸前の布団屋の建物を借り、活動拠点「コウバ」を設けました。水道も電気もガスもない素朴な空間ですが、それがかえって現代のせわしない時間から離れた、ゆったりとした場所となっています。

「コウバでは、古い道具を飾っているんですけども、時々展示をして、そこを開けて見ていただくときに、みんなが『うちもある』って頼みもしないのに持ってきてくれるんです。『それはどうやって使う道具なの?』って聞いても『わからない』とかと言うこともあって、それをまた来た人に尋ねると『こうだべ』みたいな感じで教えてくれる」

「コウバ」は単なる展示場ではなく、地域の人々が集まり、語り合う場所。それぞれの記憶や知恵が交差する場になっています。

山形県天童市・移住者インタビュー/添うことで見つけた場所「たかだまラボ」菅生 鈴さん

「四十歳前くらいの女性が『私、嫁に来るとき、親が布団持たせてくれたんだ。ここに来なければそんなことも思い出すことなかったな』と言ってくれたり。古いものを見て、普段は思い出しもしないようなことが甦って、“語り”になることって、私はとても大切なことだと感じています」

菅生さんは地域の高齢者との関わりの中で、彼らの持つ豊かな知恵や経験に惹かれていきました。

「こんなに素敵な感性や知恵をもっている人なのに、老人施設に通所して、パズルを解いているなんて、実はちょっともったいないって思います。本当に面白い人なんだけど、そこを聞く人がいないんです。年を取って、社会的に役に立つことは無くなっているように見えてもその人の持ってる歴史が面白い。」

例えば、寺を訪れる方との何気ない会話からも、地域の歴史が浮かび上がってきます。

「お寺のトタン屋根は以前は茅葺でした。あるおじいちゃんが、10代の頃に父親を手伝ってお寺の屋根を葺いたんだということを教えてくれて。『そのカヤはどこから運んだの?』と聞くと『山寺から運んだ』と。『一回どれぐらい必要なの?』と聞くと『これくらいの束にして運ぶんだ』とか、生き生きと教えてくれるんですよね」

山形県天童市・移住者インタビュー/添うことで見つけた場所「たかだまラボ」菅生 鈴さん
(写真提供:菅生さん)

2024年には「コウバ」で『藁から暮らしを見つめる展』を開催。藁で作られた俵やわらじなどの道具を展示したところ、訪れた高齢者から時代の移り変わりについての貴重な話を聞くことができました。時代の変化と共に失われた技術や生業についての生きた記憶。

「昔は冬の間に若いものが集まって、俵を編んで、ひと冬に100も200も編んだ。それが米袋に変わったときに冬の収入がなくなって出稼ぎに行く暮らしに変わっていった。また、同じころに米の品種改良が進んで稲の丈が短くなり、俵を編むにも適さなくなった。米を炊いたり調理する熱源も、炭や薪、籾殻から、ガスや石油に変わっていった。そういう時代の境目の話が聞けるんです」

手仕事の魅力:縄ないから始まる知恵の継承

山形県天童市・移住者インタビュー/添うことで見つけた場所「たかだまラボ」菅生 鈴さん

「たかだまラボ」の活動の中で、菅生さんが特に印象に残っているのが、地域の人々から「縄ない」を学んだ体験です。

「干し柿作りをしたときに、『本物の縄でやりたい』って新興住宅に住む若いママが言い出して。すると『藁ならあるよ』と稲刈りを手伝っていた方が車から藁を出してきてくれて、近所のおばあちゃんに『干し柿するのに縄をつくってみたいんだけど』と聞いたら、あっという間に縄をなってくれたんです。その方にとっても40年ぶりだったそうだけど、鮮やかな手つきでした」

その場にいた菅生さんたちは大興奮でしたが、お年寄りにとっては当たり前の技術。「わざわざそこまでやったのか〜」という反応だったそうです。

山形県天童市・移住者インタビュー/添うことで見つけた場所「たかだまラボ」菅生 鈴さん
(写真提供:菅生さん)

「子供の頃ってそうでしたよね。『これやろう』→『やった』、『砂遊びしよう』→『お城できた』みたいな。そういうすごくローカルな、小さなことが一番いいんじゃないかなって」

最近では、93歳のおじいちゃんからほうき作りを教わりました。

「地域のおじいちゃんに『ほうきキビを育てたいんだけど』と言ったら『今年はもう遅い、来年だな』って。93歳の人が来年の話をしてるんですよ!それくらい元気なお年寄りも多いです。その方は材料となる『きび』の種から育てていて、手入れをして、収穫して、この冬ほうきを100本作って配ったそうです」

菅生さんは地域の子どもたちにもしめ縄などの伝統技術を伝える活動も始めています。

「身の回りのものを使って自分で作るという『手触り』と『記憶』を子どもたちに残してあげたいなって思います」

「添う」姿勢で見つける自分の場所

山形県天童市・移住者インタビュー/添うことで見つけた場所「たかだまラボ」菅生 鈴さん

菅生さんは活動の中で大切にしていることとして「時と場所との調和」という考え方をあげます。

「やっぱり日々の生活の中で、『ここじゃないどこかへ行きたい』とか、『ここが自分のいるべき場所なんだろうか?』って思うこともあると思うんです。いいときはいい。でもよいと思えない状況が来ると身がその場にいることができないと感じられてくる。今いる場所が自分の居場所になることって、誰にとってもの課題だと思うんです」

「『置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子著)』というベストセラーがあります。「私は結婚をきっかけに移住したので、天童市を目指してきたわけではないんです。縁あってきた場所が天童だった。でも、その本のメッセージにあるように、自分が置かれた状況に身を添わせて、咲くことができるのかなあ?と、問いかけながら時間を重ねてきた気がします。天童市に移住して約20年。自分が出合った天童が、誰にとってもの同じものではなくて、一般化することはできないけれど、どこで生きていても、他のどこでもないここ(今いる場所)に、すんなり身を置くことができたら、すてきなことだろうなと思ってきました」

「東北全体、日本全体ですが、人口過疎と高齢化は避けられない課題です。そこへの危機感を持って、どういうふうにまちづくりやコミュニティづくりをしていくかを考えないといけません。そのために一番必要なのは、そこを自分の居場所として住民が生きれることなのかな?と思います。」

最後に、移住を考える人々へのメッセージを尋ねると、菅生さんは浄土真宗の坊守としての深い視点で答えてくれました。

「生まれたからには必ず死が来る。これは移住に限らず、皆この世に『移住』したようなものなんです。そこで出会っていくことの中に、探していかなければいけないし、出会っていかなければいけない。多分どこにいても自分一人ではできないことで、周りに添いながら、環境が与えてくれたものに添いながらも、自分にしかできないことを探していくことなのかなと思います」

雪の静けさに心が浄化され、地域の語りに耳を傾け、古き良き技を若い世代へ伝える菅生さん。広島から天童へ、そして過去から未来へ。彼女の手の中で、移住という選択は単なる土地の移動を超え、人生という大きな旅路の豊かな一章となっています。

取材・文:高村陽子(Strobelight) 
写真:佐藤鈴華(Strobelight