「ぼくのたいき君」 その6・蔵王のたいき君~の巻
つながる仲間
「ぼくのたいき君」も連載6回目。読者の方からの声が届けられるまでになりました。ありがたいことです。今回、連絡をくださったのは山形山岳会のメンバーのAさん、Kさん。べにばな国体には「山岳競技」という種目もあって、その開催のサポート役を担っていたのが山形山岳会のみなさんたちでした。そんな山岳会ご提供のたいき君はまずこちら。

たいき君のぬいぐるみです!かわいいです。なんとこのたび、半永久貸与してくださいました。ありがとうございます。たいき君がつなぐ縁に感謝です。
そして、山岳といえば、我がコレクションにも山登りするたいき君がいました。これらは木製ライターケースに鋳物のたいき君ペン立て、そして、競技関係者用ワッペンのセット。かつての同僚Eさんが譲ってくださったものです。

山岳競技のたいき君、険しい山を登る感じはちっともありません。登山というよりピクニック。ですが、実際の山岳競技は厳しいものだそうです。リュックを背負ったたいき君を見ていたら、山に行きたくなりますね。
蔵王でたいき君さがし
4月になり、山形も出掛けやすい時期となりましたので、山形山岳会のご協力のもと、山形市からクルマでおよそ30分、世界に誇る蔵王へ行ってきました。

さあ、クルマを停めて、上の台「蔵王スカイケーブル」の4人乗りゴンドラでドッコ沼まで登ります。料金は片道1,200円。

ゴンドラを降りてちょっと歩けばドッコ沼です。案内の看板がまだ雪に埋まっています。

ドッコ沼を過ぎると間もなく見えてくるのが三五郎小屋。その奥にあるのが、山形山岳会のベース基地となっている山小屋です。そこにたいき君がいるというのです。期待が高まります!

小屋の入り口が雪で閉ざされていたので、ショベルで雪かきをして、いざ中に入ります。

山を愛する人の空間だあ!とワクワクして中を見渡します。窓の外は雪山です。窓の下のほうに目をやると・・・。

たいき君のステッカーがありました。たいき君はベーシックなスタイルですが、山岳競技という文字があります。山形山岳会の活動をずっと見守ってきたたいき君ステッカー、これからもこの小屋を見守っていてもらいたいものです。
残像
歴史のある山小屋です。山岳競技のたいき君ステッカーだけでは終わりませんでした。窓の反対側の梁を見てごらん、と同行してくれたAさんが言います。はて?と思ってそちら側を見てみました。

この山小屋の設立者であり山形山岳会の会長であった後藤幹次さんの愛用のリュックを収めたフレームが飾られています。その下の梁の部分に、日焼けしていない何かの模様があるのです。よーく見ると・・・山岳競技たいき君のカタチです!(冒頭の山岳競技たいき君を参照のこと)

あったはずのものがないときに登場する漫画の点々が見えるような気がしました。山岳たいき君は確かにここにいたんだ。今は残像だけが見える。わたしはちょっと泣きました。聞けば、数年前に剥がされてしまったのだそう。うーん、残念。しかし、それもまた歴史。たいき君のかつての姿を示す日焼けした梁をしばらく見つめていたら「運び出された荷物のあとは畳の色がそこだけ若いわ」というキャンディーズの歌う「微笑がえし」が脳内で鳴り出しました・・・。そして、蔵王から戻ってくると、下界は春でした。
小屋を見せてくださった山形山岳会のみなさま、ありがとうございました。
それでは、また次回。