暮らしは旅そのもの
大村 瑛さん/桜島ミュージアム
初めて彼に会ったとき、ここまで桜島での暮らしを楽しめる人がいるのだと正直羨ましかった。
街までの移動手段は片道15分の桜島フェリー。しかし、そこに何も不自由は感じないし、いい距離感だと大村さんは言う。
仕事が終わるとカメラを手に一人桜島の噴火口を望む山中へ向かう。
そこには生きた桜島と、満天の星空。静かに自然と向き合える特別な場所があるようだ。退屈なんてしない、むしろ寝る暇がないと話す大村さんに、移住するまでの物語を聞いてみた。
現在、NPO法人桜島ミュージアムに勤める大村さんは、大地・自然・文化体験ツアー(ジオツアー)を行う専門知識をもったガイド、インタープリター(自然と人との仲介役)の役割を担っている。
桜島ミュージアムは、桜島をまるごと博物館と捉え、桜島にしかない素晴らしい財産・魅力を現地で紹介・解読するNPO法人だ。
目の前に広がる風景の裏側を知ることで、目にする景色は何十倍も違って面白く見えると大村さんは言う。そんなガイドの仕事がとても楽しいそうだ。
神奈川県生まれの大村さんは、大学を卒業する22歳まで横須賀で過ごした。慶応大学の文学部卒、いわゆる慶応ボーイだ。
大学で西洋史学を専攻していた大村さんはある日、大学の授業で街歩きをすることとなる。大学近くの街を歩き、その街のことや、まちづくりについて考える授業だったが、それが異様に楽しかったという。
地図上で見るとただの道路も、そこにはたくさんの人が歩き、お店があって、歴史の積み重ねがある。とても楽しかったし興味を持ったと当時を振り返る。
都会暮らしが性に合わず、旅好きだったこともあり、大学在学中は電車や原付で野宿しながら日本半周の旅をするなど、なかなかの冒険家だった。大村さんは、旅先で出会う田舎の日常の景色や風景、重要伝統的建造物を見るたび、「こんな景色はいつまでも残っていてほしい。しかし、放っておいたらいつか無くなる。人がいなくなるとこの街もきっとなくなる」と課題意識を抱えて過ごしていた。
卒業後は、地域づくり・街づくりに携わる仕事を手当たり次第探した。
そこで現在の職場となる桜島ミュージアムに出会う。初めて訪れた鹿児島。空港から鹿児島市内へ向かう高速から見えた桜島の大きさに驚く。
毎日のように噴火を繰り返す桜島、そんな山の麓で人が生活していることが何よりも驚きだった。
その後、約半月で横須賀から遠く離れた鹿児島へ移り住むことになるわけだが、不安よりも期待の方が大きかったと話す。
そんな大村さんのもっぱらの楽しみは、もちろん桜島を見に行くこと。
真っ赤に染まる夕焼けや光のない山中に広がる星空を見ては写真を撮り、夜の桜島の噴火をカメラで切り取る。週に2、3回は噴火口が見える秘密のスポットに出向き、カメラを構え静かにそのときを待つ。
暗闇で時より聞こえる「ゴォーーー」という山鳴り。
それを聞くたび、「あぁ、この山生きてるな」と大地の生命を感じるのだという。
大村さんにとって桜島とはどんな存在なんだろう?
「僕にとって桜島は遊び相手ですね。
夜の噴火にしても、噴火したり、時には静かだったり、まるでいびきをかいているよう。桜島は生きているからクシャミもするし、そのクシャミが時にすごい景色を見せてくれます。そんな体験ができるのは日本で少なくともここだけです」
大村さんにとって「移住」は旅そのものだ。
「いろいろ不安もあるでしょうが取りあえず、まずは動いてみること。住めば都だというように、何もしないより、動きながら考えていくのもいいんじゃないかな? そんな感じで僕は動いてみたし、今は桜島にどっぶりハマり幸せな毎日を過ごしています」