街の気質が生み出した伝説

梯輝元さん(中屋興産株式会社)

梯輝元さん
梯輝元さん

今回は、ぼくたちが殿と呼んでいる梯輝元さんにお話を伺った。梯さんは本業である司法書士事務所を営みながら、複数の商店街組合の理事長やまちづくり会社の社長を務めている。普通に生活しているだけではなかなか接点はないかもしれないけど、小倉の街に対して多大なる影響力を持っている人物の一人と言っても過言ではない。そして、現在全国に広がっているリノベーションまちづくりの聖地とされている小倉魚町(北九州市)において、その第一歩となる事業「メルカート三番街プロジェクト」にゴーサインを出した冒険心溢れる不動産オーナーでもある。

僕自身、梯さんと知り合ったのはかれこれ10年近く前になるけど、いろんな場でご一緒させていただく中で印象に残っているのが、「フヒヒッ」という意味深な笑い声。そして、決して笑っていない目。その時々で色んな意味をはらんでいるのだが、どこか高貴で、ある意味異次元な雰囲気を醸し出している。なんでそんな風に感じるのだろう。そう思って、まずは梯さんのルーツについて伺ってみた。

「梯家は、正始元年(420年)曹操から数えて3代目の皇帝曹叡に命じられて、邪馬台国の女王卑弥呼に親魏倭王の金印を持参した梯舜がそのご先祖です。 その後流れ流れて、私の曽祖父梯虎平は、徳島県麻植郡山瀬町(現吉野川町)に零落して、農家の次男として生まれました。徳島県内で、屋根のない蚊帳を売るなどして食い詰め、明治42年(1909年)官製八幡製鐵所が出来たばかりの旧八幡市に移り住んできました。その後、昭和9年(1920年)、兵工厰が出来たばかりの小倉魚町に移り、メリヤス肌着屋、金物屋、電気屋を営んできました。」

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なんと!すごい名前が登場してビックリしながらも、続きを聞いてみた。

「私の祖父梯輝雄は、魚町商店街がまだ土道で馬車が通っていた頃、お茶屋の辻さんとともに勝手に魚町三丁目の北九州市道の上に日覆いを張り巡らし、雨に濡れない道路を作っていました。その後、昭和26年(1951年)、魚町二丁目の大鬼さんと松永さんが、自分たちでお金を出してアーケードを建設することを思い立ちました。雨が降ると恵比寿市のお客さんが井筒屋百貨店に取られてしまうからです。そして、建設の許可を取る前に勝手に工事を始め、骨組みが出来上がってから、当時の建設省の局長のもとに許可を求めに行ったそうです。『局長室に居座って許可をくれるまでは帰らない。許可をくれなければ魚町の商店主はすべてアーケードの骨組みで首をつって死ぬ覚悟だとか言って、許可をもらってきた』といって帰ってきたのです。しかし、実際のところ、許可は得ていなかったようです。その証拠に、アーケードに関する建設省令が出たのは昭和34年(1959年)だからです。」

アーケード建設前の骨組み状態
アーケード建設前の骨組み状態

この話を伺った時の僕の感覚をダイジェストでお送りすると、「唖然とする→笑ってしまう→妙に納得する」って感じだった。勝手に日覆いを張り巡らせていた話も興味深いけど、その後のエピソードによって日本初となる公道上のアーケードが誕生したわけだ。(※ちなみに、このエピソードは現在の国土交通省の中でも伝説となっているらしい。)

少々乱暴な咀嚼をすると、覚悟を決めて実践したことで、新たな制度が生まれた。制度ありきでは新しいことはできないとも受け取れる。

これって、この街の気質なんでしょうか?

「多分そうだと思います。北九州市はもともと交通の要所であり、その成り立ちは、各地の食い詰めた農家の次男・三男が集まってできた街です。だから、よく言えば新しいもの好きで先進性に富んでいる街とも言えます。リノベーションスクールもその先進気質、ルールを守りたがらない、いわゆる川筋気質がもたらしたものと言えそうです。」

単なる無法者の集まり?いや、そうではない。きっと、前向きな挑戦意欲をもった人たちが多い街なんだと思った。北九州は実験都市だと表現する方もいるくらいなので。

実は、梯さんのお祖父さんや魚町の旦那集の豪傑話はそのほかにも色々とあるのだが、それは実際に梯さんにお会いして酒を酌み交わすときのお楽しみに。(※ただし、最初のドリンク注文では生ビール2杯頼んであげてください。呑むペースが恐ろしく速いので。)

 

最後に、肝心の梯さんご本人についてもいくつか話を聞かせてもらおうと思う。

メルカート三番街プロジェクトについてゴーサインを出した時の心境ってどんな感じだったんですか?

「そもそもこのプロジェクトは、テナントを決めてから5年回収の投資をして改装に入る計画だったのでリスクがありませんでした。そして、小さな区画に分けて貸すので、一度に退店するリスクも少なく、管理されたリスクだったと言えます。利回りが年20%というのは、投資利回りとして充分ですし、このような条件下で投資をしないのは、落ちているお金を拾わないようなものだと思いました。フヒヒッ。」

あっ、いま笑った。さらりと言ってのけた最後の一言のあと。やっぱり、このお方には底知れない何かがある。

アーケード撤去前のサンロード
アーケード撤去前の魚町サンロード商店街
最初に手がけたメルカート三番街
最初に手がけたメルカート三番街

ちなみに、拾った後ってどんな気分でしたか?というか、メルカート三番街プロジェクト以降、もしくは、その後リノベまちづくりを進める過程で、ご自身の中での変化のようなものはありましたか?

「商店街や建物がきれいであればお客様が来るという思い込みが消えました。それよりも、むしろ、古いものや歴史のあるものに価値があるという意識になりました。そして、デザインに対する意識が高まりました。」

なるほど。では、最後に今後の野望をお聞かせください。

「魚町銀天街の1日の通行量を2万人超にすること」

魚町銀天街に面したビッコロ三番街
魚町銀天街に面したビッコロ三番街(写真提供:小倉経済新聞

そっちなんですね。(ちなみにメルカート三番街は中屋ビルを挟んで銀天街と反対側にあるサンロードに面しています。)

これまで、断片的に色々なお話を聞く機会があったのですが、今回こうしてご自身のルーツから現在の取り組みにいたるまでお話を伺ってみて、ますますスゴイ人だと思った。

我らが殿、底知れません。

これからも、よろしくお願いします。

 

このたびは、ありがとうございました。

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