Uターンして、ヨガと子育て
スタジオ〈festa〉大友亮子さん
ギャラリー、食堂、デザイン会社、シェアオフィス、家具のショールームなどが集まる、山形市のカルチャー発信基地〈とんがりビル〉。
3Fまで階段を登ると、ロルフィングとヨガのスタジオ〈festa〉があります。
〈festa〉にて、ヨガのインストラクターをする大友亮子さん。ヨガを通じて、自分のカラダ、そして自分自身と対話する時間を提供しています。
山形市で生まれ育ち、幼い頃からスポーツ一筋。大学進学で山形を出て以降、宮城、神奈川、東京、兵庫と居住地を移してきました。
出産を機にUターンし、いまでは一児の母として、ヨガのインストラクターとして、地元の山形市で暮らしています。
カラッと明るくオープンな人柄で、亮子さんと話していると、自然と肩のチカラが抜けていくのを感じます。
地元に戻り子育てをすること。自分でヨガのクラスを開くこと。いつでも自然体な亮子さんの、これまでの歩みと山形暮らしについてお話しいただきました。
ケガから見えたヨガの道
亮子さん:父親の影響で、物心ついたときからスポーツをしていました。バレーボールの推薦で仙台の東北福祉大学へ行き、卒業後はNECレッドロケッツに入団して、横浜へ移りました。遊ぶ暇がないほど、バレー漬けの日々でしたね。
怪我をして一度仙台に戻り、事務職につきました。ヨガと出会ったのはちょうどその頃です。当時33歳で、怪我した膝と上手に付き合っていきたかったし、なにか新しいことを始めたかった。
東京のインストラクター養成講座に通い、神奈川でNEC男子バレー部のマネージャーをしながら、選手にヨガを教える練習をさせてもらっていました。
その矢先に震災が起きました。明日はどうなるかわからないし、家族みんなが元気でいるうちに一緒に暮らすのもいいかもしれない。
18年ぶりに地元の山形市に帰って、スポーツ施設でヨガを教えながら、小中学校の部活顧問の先生にバレーを指導していました。
結婚。そして、やっぱり地元で子育てしたい
その年、大阪で開催されたセミナーで旦那の勇太さんと出会いました。勇太さんがロルフィングの資格をとって秋田の実家にいるというので、ロルフィングへの興味もあって、秋田へ遊びに行ったんです。
秋田で過ごした2日間がすごく楽しくて、帰るときには寂しいなと思っていました。
すると、3日後に勇太さんから電話がきて「結婚を前提に付き合ってほしい」と言われて。わたしも勢いで「そうしましょうか」と返事をして。そのときには勇太さんが神戸で開業することが決まっていたので、3ヶ月後には、わたしも神戸へと移りました。
神戸での生活は楽しかったです。山形でいえば〈とんがりビル〉みたいな場所が垂水にもあって。それまではスポーツ一色で生きてきたので、異業種のクリエイティブな人たちから刺激をたくさんもらいました。
2014年、妊娠をきっかけにまた山形へ戻ることにしました。夫婦ふたりとも東北出身だし、子育ては親の近くでしたいと思っていました。
〈festa〉のホームページをつくってもらったデザイン会社〈アカオニ〉との出会いも大きかったです。
勇太さんにとって山形は地縁がなく、お客さんがほぼリセットされてしまうし、不安もあったんですけど。でも、〈アカオニ〉や、おもしろいコミュニティーが山形にもあることを知って、「ここならやっていけそうだね」と夫婦で話し合って決めました。
自分にも家族にも幸せなUターン
山形に戻って間もなく出産し、子育てがスタートしました。
実家の存在は大きいですね。車で15分の距離に両親が住んでいて、土日にレッスンがある日は、子供を預けることが多いです。わたしもすごく助かるし、両親も息子に会えるのを喜んでくれています。
山形市は子育てがしやすくて、戻ってきてよかったと思っています。
まちなかから少し外れれば、川の土手や広い公園など、手を離して子どもが自由に動ける場所があって。特に、〈べにっこ広場〉は、すごく重宝しています。
子供が生まれると、常にいろいろな危険を想定して頭を使うし気を張っています。子育てって、精神的なフリータイムがないんですよね。
〈べにっこ広場〉は子どもの安全に配慮された施設なので、角に当たっても、転んでも大丈夫。危ないものを口に入れる心配もない。そこにいるときは無心でいられます。1時間でも頭を休められるって、本当にありがたいことなんです。
無駄なことなんて、ひとつもない
実は、Uターン直後は山形のことがイヤでした。山形では、産婦人科に行っても、まちを歩いていても、誰もしゃべらないし、目も合わない。人と人との間に壁を感じて、閉鎖的で寂しいなぁ…って。
直前まで神戸にいて、オープンでフレンドリーな環境に慣れていたし、妊婦だから余計に不安に感じたのかもしれませんね。
いまではずいぶんと慣れて、山形は心を開くまでに時間がかかる気質なんだなってわかりました。
わたしは将来の目標を立てないタイプ。ステージに合わせて、住む場所も仕事も自然と変わっていきました。いま目の前のことを一生懸命にやるのが性に合っているんでしょうね。
選手時代に怪我をしたときは辛かったですが、それがきっかけでヨガの道が見えてきたし、無駄なことなんてひとつもないんだなって、いまだからわかります。
これからも自分たちのペースで山形で暮らしていきたいです。そして、山形のまちなかに、ヨガやロルフィングができる場所があるんだってことを、もっと広く知ってもらえたら嬉しいですね。