「うばがみさま」に会いにいく 訪問記①
山形のまちを見守る老婆の石像
山形在住の美術家・是恒さくらさんが山形市をフィールドワークして、日常風景に潜む「信仰」を紐解くシリーズです。
山形で暮らすようになってはじめて出会った存在に、「姥神様(うばがみさま)」があります。
「姥様(うばさま)」、「奪衣婆(だつえば)」とも呼ばれ、多くのものは石を彫って作られています。
山岳信仰の聖域である山の入り口や登山道の途中、神社の参道、寺院で祀られています。
大きな口をあけ目を見開いて、こちらを睨むような表情。はだけた胸元から乳房がのぞき、片膝を立てて座っている像をよく目にします。
姥神様のことを調べるうち、山形市内にもたくさん存在していることがわかりました。そして、そのひとつひとつが違う個性を持っているようです。
そんな姥神様を一座一座、訪ねて歩く訪問記を始めます。
⑴「山形市岩波の姥神様」:石行寺へと向かう道の傍、家並みが途切れたところにいらっしゃいます。全身地衣類に覆われているのは、すぐ近くを流れる谷川の湿気のせいでしょうか。鼻が崩れてしまったのか、のっぺりとしたお顔になって、ぽかんと口を開けているようにも見えます。
姥神様の姿と表情は、あの世とこの世の境目である「三途の川」のほとりにいるという、奪衣婆を表すようです。
神聖な山の入り口や神社の参道に座す姥神様は、聖と俗の境界を示す役割もあるとされています。
山形市岩波の姥神様は、こんな道の傍にいらっしゃいます。
奪衣婆は、三途の川にやって来る亡者の衣を剥ぎとり、生前の罪の重さをはかる存在です。
なんだか恐ろしい印象ですが、あちこちで祀られている姥神様は、安産祈願や、子どもの夜泣きを治す願い、母乳の出を良くする願いなど、女性や子どもを守る存在として信仰を集めているようです。
⑵「山形市花楯の姥神様」:住宅地の一角で、小さな祠の中に座っていらっしゃいます。丸い石の原型をとどめながら、表情と衣、体つきを浮き彫りにしたようです。優しく微笑むような表情です。
これは、老婆の姿をした姥神様の由来として、古くから日本にあった「姥神信仰」と、より新しい時代に語られるようになった「奪衣婆」とが混ざっているからだとも言われます。
山形市花楯の姥神様の祠のそばには、「江戸末期の石像で、井戸から出たといわれる」と説明がありました。
⑶「山形市平清水・千歳山大日堂(平泉寺)の参道の姥神様」:参道の入り口にいらっしゃいます。恐ろしげな表情ですが、誰かがかぶせてあげた毛糸の帽子とストールがお似合いで、大切にされているのだなと感じます。
今回訪ねた3座の姥神様は、どなたも住宅地の近くにいらっしゃいます。優しく、ときおり厳しい表情で、まちや集落の暮らしを見守るようでした。
千歳山大日堂(平泉寺)の参道の姥神様は、参道の入り口にいらっしゃいます。
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参考文献:『奪衣婆 山形のうば神』鹿間廣治著、東北出版企画、平成25年
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