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スモールピースが港町を興す

「ミサキプレッソ」「ミサキドーナツ」オーナー藤沢宏光さん

2014.08.18
スモールピースが港町を興す
藤沢宏光さん。自身のお店『ミサキ・ドーナツ』のラウンジにて

都心部から三崎の港町に一足飛びの大胆な移住を実践した人がいる。音楽プロデューサー業の傍ら、三崎銀座商店街の一角で小さなカフェとドーナツ店のオーナーを務める藤沢宏光さんだ。

藤沢さんが三崎港に面した小さなビルで暮らしはじめたのは2004年。その時代は、携帯型デジタル音楽プレイヤーの普及を受けてネットを介した音楽配信が急伸、CDパッケージ化された音楽ソフトの売上に陰りが見え始めてきていた。時流の後押しを受けて台頭してきた独立系レーベルや若手アーティストに注目が集まる一方で、長年キャリアを積んできたベテランのアーティストや制作マンはかつてのように大きな予算を組んで音楽制作する機会が減り、その影響は藤沢さんにも及ぶ。大手レコード会社が独占していた市場に変革期が訪れかなり混沌とした時期だったそうだ。

そんな時代背景のなか、訪れた三崎の港町で藤沢さんはある物件と出会ってしまった。「越してきた理由を人からよく聞かれますけど、前もって計画した訳でもなくて、そのときふらっと見に来た建物に一目惚れしてしまったんです。築30年、地下1階、地上3階建ての小さなビルで、僕が案内してもらったときは地下が倉庫、1階はマグロの仲買の事務所で、2階は雀荘跡、3階に居住スペースがあり、屋上にはユニットバスがあって残りのスペースはバルコニー。古ぼけたビルだったんだけど、屋上からの景色が素晴らしくてね。それを見た瞬間「ここに住もう」と決めました。」

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移住のきっかけとなった屋上からの眺め。護岸の先には城ヶ島大橋と城ヶ島が見える

誰にも相談せずその場で購入の申込を入れたという藤沢さん。やがて古い小さなビルは地下が録音スタジオ、1階が港の見えるPrivate Bar、2階から上は居住スペースに改装され住まいとして生まれ変わった。

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建物の外観と藤沢さんの仕事場『STUDIO八甲田山』。この名前には(仕事中に)眠ってはいけないという戒律的意味合いもあるんだとか… 藤沢さんがプロデュースする「かもめ児童合唱団」の殆んどの楽曲はここで録音されている

三崎から東京までは車で片道1時間半。往復すれば3時間の道程だ。音楽制作の現場は都内に集中していたため、仕事を終えて深夜に戻ってくる生活が日常となるが、通勤のストレスや肉体的な負担よりも三崎に戻ってきて自分がリセットされる喜びがそれを上回っていたという。「高速を走っていて横横(横浜横須賀道路)を走っているあたりから徐々に空気が変わってくるんです。港に近づくにつれてその空気に潮の香りが混ざってきてね。「あぁ、帰ってきたな…」という気分になる。ヘトヘトに疲れているんだけど、リフレッシュされていくんですよ。この瞬間がとても幸せでしたね。」

三崎への移住で思考にも変化が生まれた。「それまでの制作現場から数十分の場所にいると、仕事が終わってからも自然と音楽にまつわる情報が霧のように纏わりついてどんどん入り込んでくるんですよ。素晴らしい有益な情報もありますが、パッシヴな気分が続くわけです。ところがいま住んでいる場所は都内から1時間半。もうここまで来るとね、情報は僕のところに殆ど届いてこない(笑)。そうすると自分が今まで体験してきたことや、聴いてきた音楽…僕を形づくっているルーツともいうべきものが鮮明に呼び起こされてくるんです。それらを辿りながら、じっくり内向する。すると新しい音楽のヒントもすべて過去の中にあることに気づいた。都市部の生活では考えられなかったことです。」

藤沢さんは現在、三浦市の3歳から13歳までの30名からなる児童合唱団「かもめ児童合唱団」のプロデュースをしながら、地元の三崎銀座商店街で「ミサキプレッソ」「ミサキドーナツ」という2つの店を構えている。「ここでお店をはじめるときに『New Misaki Paradise』という言葉をつくったんです。この街で新しいものを生み出して、古いものと共生しながら街全体の気運を上げていく。そんな願いを込めたスローガンでした。三崎は長らくマグロ漁港として培ってきた歴史のある街です。築80年以上の建造物が沢山残る古い街並は情緒があって素敵なところですが、ただそれだけを売りにしていてはいけない。前例のない新しいものを積極的に受け入れて、そこで各々が個性や才能を発揮することができたら素敵ですね。地域への貢献にも繋がってくるし、コントラストが生まれることで、古いものはより一層魅力的に見えて来るのだと思います。」

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三崎銀座商店街の中程、目が届く距離感で軒を並べる「ミサキプレッソ(上段)」と「ミサキドーナツ(下段)」。ミサキドーナツは50年続いた時計店を引き継ぐかたちで一昨年にオープンした

そんな言葉を裏付けるかのように、藤沢さんが市井に加わったことで、合唱団の子供達はCDを3枚リリースし、テレビドラマの劇中歌「私の世界」を歌い音楽配信サイトで1位となり、『ゆず』のPVではバックコーラスで参加するというプロも舌をまくような音楽活動を行い、港町の古い商店街にはちょっと風変わりな飲食店が2つ出来上がって、地域の中に停まっていた人の交流も広く多様性のあるものに変わった。

港町に誕生した小さなお店と思われるだろうが、侮るなかれ。カフェに訪れる客層は地元の人から名の知れたミュージシャンまで実に多彩だ。藤沢さんのネットワークを通じて「ミサキドーナツ」では定期的にライブイベントも行われるようになり、観光に拠らない新たな集客チャネルも開拓しつつある。そして昨年10月には逗子に2号店がオープンし、三崎の名を冠した商品を外に発信する足がかりができただけでなく、お店を通じて外の地域との繋がりも生まれそうな予感だ。

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初夏には曽我部恵一さんがソロライブを行なった。当日は予想を上回る来場者数だったそうだ。右は『かもめ児童合唱団』の衝撃の1stアルバム『焼いた魚の晩ごはん』

「大きなことはできないけど小さな突破口は僕らでも開けることができる。その小さな穴が少しづつ増えていっていつか束ねた時、意外と大きな穴に見えるような気がするんですよ。」萌芽した芽が少しづつ花開くような力強さを感じる言葉だ。藤沢さんの後に続けとばかりに、新しい人やプロジェクトが徐々にこの街に根を降ろしはじめている。強烈な個性や才能を発揮するスモールピースの繫がりが街の表情を豊かにしていくことになるのかもしれない。

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