白洲次郎が愛した蔵王「ヒュッテ・ヤレン」
山形市長のやまがた自慢 vol.5
山形市の個性ある自然、歴史、文化にまつわるエピソードを、佐藤山形市長がお届けするコーナー。山形市報から転載しています。
吉田茂元首相の側近として終戦から占領期に活躍した人物に白洲次郎という方がいます。現在でも全国的にファンが多く、伝記などの出版やテレビ番組でもたびたび特集されています。
その次郎が山形市の蔵王温泉に山荘を建て、それがまだ現存しているのをご存じでしょうか?
次郎は昭和26年に49歳で東北電力会長となり、スキーをしに蔵王温泉へ訪れるようになったそうです。そのスキー熱が高じて、上の台ゲレンデの近くに二階建ての山荘を建てました。その名も『ヒュッテ・ヤレン』。「スキーはなかなかうまくやれない(やれん)」から名付けたそうで、ユーモアのセンスが感じられます。
2017年2月4日には蔵王温泉で「国際樹氷サミット」が開催されましたが、その際にオーナーや保存・活用の会の皆さまのご厚意で私自身も初めて中に入ることができました。
規模としては大きくありませんが、さすが白洲次郎の山荘だけあって、部屋の中の造りがいちいち格好良いのです。オープンキッチンでバーカウンターもあり、スキーが終わった後に大好きなウイスキーを飲んでくつろぐ次郎の姿を想像することができました(※通常は外観のみご覧になれます)
次郎は蔵王温泉を「東洋のサンモリッツ(スイスの有名なスキーリゾート)にしよう!」と提案し、ロープウェイの建設にも尽力したそうです。
今、全国的なインバウンド(訪日外国人旅行客)拡大の流れの中で、蔵王温泉スキー場にも台湾やオーストラリアなど、世界から観光客が訪れています。この好機に、蔵王の樹氷、温泉、雪質の良さなどをさらにPRしなければと感じました。
次郎の思いをしっかり受け継ぐとともに、素晴らしい財産であるこの山荘も今後生かしていきたいと思います。
(広報やまがた平成29年3月1日号掲載)
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