記念写真・ひと・もの
須磨を拠点に日本全国飛び回る写真家/片岡杏子
神戸市須磨区にある須磨海岸の近くを拠点に活動している写真家の片岡杏子さん。
「拠点」といっても大抵は全国津々浦々飛び回っている。
私:「もしもし。今どこですか?神戸いつ戻ります?飲みましょうよ。」
片岡さん:「お疲れ様です。今日は奈良で撮影でして、明日は大阪で、そのまま岡山に行ってから戻ります。飲みましょう。あっ!でもまたすぐ東京です。」
と、大抵はこの会話のくだりからスタートする。
片岡さんを捕まえるのは一苦労だ。
片岡さんは、「家族写真・記念写真」をライフワークにしながら活動する写真家である。
家族写真では「ユニフォーム」というサブテーマを掲げており、ご家族のイメージに合わせて、お揃いの「色」や「柄」「アイテム」などを用いて、衣装のスタイリングを含めた撮影を行っている。オーダーによっては、友人のデザイナーが加わり、衣装をパターンからおこし仕立ててくれ、出来上がった写真とともに、記念にプレゼントされる。
私自身、片岡さんの写真に心奪われたきっかけは、この家族写真を見たことだった。
片岡さんが、神戸へ移住するきっかけとなったのは2011年に起こった東日本大震災。
東京の武蔵野美術大学を卒業後、都内のスタジオで働いたのち、フリーランスとして活動を始めた直後のことだった。
震災後、子供のことを考え住む場所を変えた人、東京での生活を立て直す人、それぞれが判断するタイミングだった。片岡さんは1年間自分がどうすべきか悩んだのち、お姉さんの暮らす神戸へ移住した。
フリーランスとして活動をスタートしたばかりだったこと。そして、どこでも出来る仕事がしたいという思いから写真家を選んだことを思い出したからだ。
この記事を書いている神戸R不動産のウオズミも片岡さんも、東京からの移住組だが、片岡さんの働き方に一目置いているには理由がある。
ついつい、東京時代の感覚を引きずる私は、仕事も、人との出会いも、環境も期待し待ってしまうのだが、片岡さんは、岡山の西粟倉村や、奈良の川上村など、自分の足で地方へ赴き、その土地の人々と関わり、つながりをもって自分の仕事を創り出している。
例えば、岡山県の西粟倉村の「木工房ようび」津山市の「あば村宣言」や同じく岡山の「パン屋タルマーリー」「ソメヤミト」などのホームページやカタログ写真も片岡さんが撮っている。
「東京ではスタジオで働き、主に雑誌や広告などの大多数の方に向けた商業ベースの写真に携わっていました。その頃は、誰のために撮っているのか分からなくなることもありました。でも、そんな違和感を感じながらも、東京に居続けることが必須だと思っていました。
地方での仕事は、規模がもっと小さく、誰のため、何のための写真なのか明確です。
身近な人の為に撮りたい自分には合っていると感じます。今はフリーランスになったことで、関西や、岡山、東京どこへでも行き、どこにいても自分さえ動けば良い仕事が出来ると思っています。
家族写真という自分の軸を持ちながら、自分が各地に赴いて、そこでつながった関係を大切に、ひとつひとつの出会いから頂いた仕事を丁寧にやっていく毎日です。」
神戸出発、西へ東へ縦横無尽に動く写真家は、「大切な人との思い出を記念に残す」という写真本来の役割を大切にしながら、ローカルでの新しい働くカタチを体現している。
屋号 | 写真家:片岡杏子 |
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備考 | (* 1)〜(*7)写真提供: kataoka kyoko
(*6)岡山県西粟倉村にある「木工房ようび」
(*7)あば村宣言から
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