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ミラノ経由福岡行き、デザインで和を広げる

工業デザイナー 富田一彦さん

ミラノ経由福岡行き、デザインで和を広げる
緑が迫ってくるような自然いっぱいのアトリエにて

2011年3月、多くの人々に未曾有の被害をもたらした東日本大震災。ブラウン管の向こうでは、海岸が津波で覆われ、原発は爆発する様子が繰り返し流れていた。

「日本の島全体が沈んでしまうような感覚でした」と、工業デザイナー、富田一彦さんは当時を振り返る。

イタリアで約20年、家具、食器、雑貨・・生活のありとあらゆるモノを独自の視点で描いてきた。ヨーロッパでの生活、特に古き良きものを大事にする文化もとても気に入っていた。しかし、目の当たりにしたあまりにも衝撃的なその映像は、富田さんの決意を確固たるものにした。
「自分が生まれた国に『帰りたい』というより、『帰らなくちゃ』という使命感のようなものでした」

1965年、長崎県長崎市生まれ。
志のきっかけは、戦後の日本の工業デザインにおける第一人者、秋岡芳夫氏だったという。

普段我々が何気なく使っている茶碗や箸は日本人の平均的な手、指のサイズに基いて作られている。中でも富田さんに響いたのは盆なのだとか。「日本の狭い廊下で、盆を持った人同士がすれ違えるサイズに設計されていることを知ってびっくりしたんです」

なんとなくお洒落、格好いい、風情がある・・デザインはそんな短絡的なものではない。使う人間のサイズ・環境・用途を基に、いかにストレスなく快適に使うことができるか、秋岡芳夫氏をはじめ昔から日本の先人達は必死に考え、作り出してきた。そのルーツに感動したのである。

「日本にそういった風土が存在しているということは、違う国にいけば違う風土があるはず。自分たちの尺度が当てはまらない現実があるに違いないと思ったんです」
そんな探究心から、当時大学生だった富田さんはロンドンに留学することを決意する。学ぶなら最高峰を、ということで選んだのは、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(以下、RCA)だ。

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ミラノ時代の富田さん

世界的な著名人も多数輩出している名門校への進学。デザイナーへの階段は順風満帆に見えた。が、ここで危機が訪れる。
5人兄弟の1人である富田さんは学費を銀行の奨学金に頼り、申請の手紙を20行に出すのだが全く相手にされず。返信さえも一切こなかった。時代はバブル絶頂期、1人の学生の奨学金など検討もされなかったのかも知れない。刻一刻と入学時期は迫り、名門への進学は閉ざされたかに思えた。

そんな時、富田さんに一筋の光明が差し込む。とある巨匠があのカッシーナ社に「優秀なアーティストを数多く送り込んでいるRCAの学生に奨学金を出してやって欲しい」と働きかけ、ちょうどそのタイミングで入学予定だった富田さんはその恩恵を受けられることになったのだ。

その巨匠こそが、後にコラボレートすることになる、ミラノ発の世界的巨匠ヴィコ・マジストレッティだった。ちなみに、後にも先にもカッシーナ社がRCAへ奨学金を出したのはその年だけだったとか。

正に“首の皮一枚”。思わぬ幸運に恵まれた富田さんは、入学後もより一層、勉学と創作活動に打ち込む。その中で日増しに高まるのは「ヴィコ・マジストレッティを生んだイタリアで創作活動をしてみたい」という想いだった。

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ヴィコ・マジストレッティ氏との共作

そして27歳の時、それを現実のものに。1993年にミラノでアトリエ「意匠二次元半」を設立。かといって急に仕事が舞い込むわけもない。最初は言葉にも苦労しながら家庭教師のバイトで食いつなぐ日々だったが、2年後にはデザイナー業のみで生活できるようになった。その後は国際漆器ブランドNUSSHAのアートディレクターを努めたり、ドイツデザインプラス賞などの国際賞も多数受賞し、徐々に活躍の場を広げていく。そしてしばらくして、あの震災に至る。

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富田さんの代表的作品、FUTTONソファ。鮮やかで伝統的な日本の布地が使われている

富田さんの作品からまず感じるのは、とにかく「和」だ。ヨーロッパに長い期間居たからといって、そこに100%染まりきるつもりなど全くない。寧ろ、日本の伝統文化をいかに融合させ、広めていくかに重きを置いているように感じる。しかも、無理にではなく、あくまで自然に。

2013年には拠点を福岡へ移し、個展や展示会、メディアでの発信も増えてきた。ここでの生活の感想を聞いてみた。
「とても満足しています。都会すぎないというか、この街のコンパクト感はとても魅力的です。先日もラジオの収録があったのですが、自転車で行ってきました。空港も、忘れ物をしても戻ってこれるぐらい近いんです」

やはりこの“ほど良いサイズ感”は他の地から来た人にとって心地よいものに感じられるようだ。
しかし、これは日本のどの都市部にも共通することだが、建物、特に住まいにおいてどこも合理的で画一的なマンションばかりなのはやはり気になるそう。そして殆どの建物はある程度の年月が経てば淘汰されてしまう。こればかりは「古くても良いものは残す」イタリアの文化に倣うべきところだという。

その想いは、当然作品づくりにも表れる。

「あまり大量生産の物は得意でもないし、作りたくないんです。人間の手の跡が残るようなものだったり、職人さんと手を組んで作り上げていく過程が好きなんです」

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作業場の周りには無数の本と作品群が。これでもごくごく一部なのだとか

感情のない効率は追求しない。時間をかけて丹精込めた作品は、永く人々の心に残るはず。それを重ねることで日本の良さ、「和」が広められれば。富田さんの創作は続く。

屋号

トミタデザイン

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