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戦時中の意外な産業「日飛神社」

山形市長のやまがた自慢 vol.6

2018.04.16

山形市の個性ある自然、歴史、文化にまつわるエピソードを、佐藤山形市長がお届けするコーナー。山形市報から転載しています。

戦時中の意外な産業「日飛神社」

皆さんは、「日飛神社」をご存じでしょうか。多くの方が初耳ではないかと思います。宮町の鳥海月山両所宮の敷地内にある弁天池の傍らに社が2つ並んでおり、その右側が通称「日飛神社(正式には「日枝神社」)」です。

日飛は「ニッピ」と読み、日本飛行機という会社名を略した言い方です。実はかつて山形駅の南側、現在の山形西高等学校周辺に巨大な飛行機の製造工場がありました。戦後、その敷地内にあった社が移され、現在、日飛神社と呼ばれているというわけです。

雇用の確保は戦時期から重要課題だったようで、大沼保吉山形市長をはじめとした企業誘致運動が行われ、日本飛行機の誘致に成功しました。昭和17年3月から海軍の演習機の製造を始め、従業員数が3,000人だったといいますからすごい規模です。

戦時中の意外な産業「日飛神社」
日飛神社がある鳥海月山両所宮

さらに興味深いのが、終戦近くになって当時最新鋭だったロケット戦闘機「秋水」の試作機が、山形で製造されたというのです。ドイツから運び込んだ設計資料を基に、極秘で製造されましたが、実戦に投入される前に終戦を迎えました。大変ミステリアスな話ですね。

戦後、この工場はなくなりましたが、そこで働いていた方の多くが会社を創業し、戦後山形の経済の基盤のひとつとなりました。また、今でも神奈川県横浜市に本社のある日本飛行機株式会社の社員の方が日飛神社にお参りするために山形にお越しになるそうです。

航空機産業も平和産業となり、また、将来の成長産業でもあります。現在、山形市にも航空機関連の部品を製造している企業があり、さらに伸ばしていければと考えています。

両所宮では節分祭、例大祭、たたら・ふいご祭りなど、さまざまな行事も行われます。お越しの際にはぜひ日飛神社にもお立ち寄りいただき、隠れたエピソードに思いをはせてみてはいかがでしょうか。

(広報やまがた平成28年6月1日号掲載)

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