中山ダイスケ × 山岸清之進【後編】/ぼくらのアートフェス 2
2018年秋開催の山形ビエンナーレ直前。全国のアートフェスのディレクターにフェスへの想いを語っていただきその魅力を紐解くトークシリーズ「ぼくらのアートフェス」第2回のゲストは山岸清之進さん、聞き手は東北芸術工科大学中山ダイスケ学長です。
盆踊りに辿り着いた
FUKUSHIMA!プロジェクト
山岸:盆踊りって地元に密接に結びついているものと思われがちだけど、地元じゃない場所であっても、そこに風呂敷を敷いて盆踊りをすればそこが地元になるし、みんなが簡単に飛び入りで参加できるのもすごくいい、と。
それで2013年は、福島市内の広場に大風呂敷を広げ、盆踊りをやりました。歌も曲も踊りもオリジナルで、「ええじゃないか音頭」という音頭をつくり、生演奏して。ふつうの盆踊りはやぐらを真ん中に大きな輪をつくるけど、僕たちの活動は「いろんな考えがあっていい」というのがテーマなので、大小様々なやぐらが5つくらいあるという、中心がない盆踊りでした。サビの部分では手を繋ぐフォークダンスみたいになって、それぞれ立場の違ういろんな考えの人がそのときだけは一緒になれたような気がしました。
それまで毎年のように「次はどういう形にする?」って話してきたけど、初めて「自分たちが作るべき祭りはこういうのだったんじゃないか」っていう実感が湧き、「しばらくこれで行こう」ということになり、以来ずっと夏には盆踊りをしてます。
面白いのは、盆踊りを始めたら、いろんなところから呼んでもらえるようになったこと。「あいちトリエンナーレ」とか「札幌国際芸術祭」、それから「フェスティバル/トーキョー」っていう池袋を中心に開催される舞台演劇の大きな国際フェスティバルとか、美術館だと森美術館とか豊田市美術館、それから岐阜県多治見市の小さな商店街でも呼んでもらったことがあります。
中山:お祭りが移動をはじめたんですね。
山岸:よそのフェスに行くときにも、大切なのはやっぱ大風呂敷なんです。たとえば、池袋ってアジア人も、昼間から酒飲んでいる人も、舞台芸術のハイソな人も、いろんな人がいるんだけど、そこに風呂敷を広げるとみんな入り混じるんです。今まで混じり得なかった人たちが風呂敷を広げた途端に混じり合うような現象が、各地で起きたんですね。
「風呂敷を縫う」というプロセスがあることも、各地のアートプロジェクトにフィットした理由だと思います。去年は札幌国際芸術祭の目玉のひとつとして、1年半かけて札幌のみんなが風呂敷を縫いました。もうすでに風呂敷にセシウム対策の意味はないわけで、たくさんの考え方をつなぎ包み込む象徴として機能していたと思います。
夏の盆踊りから
芸術祭へ
山岸:こんな感じで1日や2日だけの盆踊りのお祭りとして続いて来た「プロジェクトFUKUSHIMA!」ですが、今年初めて会期1ヶ月以上の芸術祭をやりました。
中山:「清山飯坂温泉芸術祭」ですね。行きました! 会場になった飯坂温泉の旅館は、山岸さんの実家なんですよね。
山岸:そう、今は休業中のぼくの実家です。増築に増築を重ねた、やたら広くて、屋内プールも屋外プールもあり、ウォータースライダーもあり、さらには戦争資料館や慰霊碑や地下バーがあるというこの旅館を使い、30組以上の作家が作品を展示しました。
中山:この芸術祭は「プロジェクトFUKUSHIMA!」としてやっているんですか?
山岸:そうです。実は最初の頃から「プロジェクトFUKUSHIMA!」でできることは音楽だけじゃないはず、と思ってました。すごく瞬発力がある音楽に対して、アートってちょっと時間がかかりますよね。震災から7年経ったから今だからこそアート作品として昇華できてきたのかなという気がします。
中山:古い旅館の襖を開けると、部屋に作家の作品が置いてある。
山岸:隣の家を買い取って廊下でつなげたような増築を重ねた旅館で、ひとつの町内の端から端まであるくらいに広くて、去年休業してからはいちばん奥の部屋は電気すら通じてない。保坂毅さんという地元出身の作家がそこに設置した作品である無電源ラジオからは、今まさにこの瞬間もずっとラジオが流れてます。
ほかにも藤井光さんという美術家は、産業廃棄物で有名になってしまった豊島の住民による50年くらいの戦いを追ったドキュメンタリー作品を流したり。ディン・Q・リーさんというベトナムの作家の方は、市が自衛隊基地を拡大しようとしている茨城で、地元住民がひと坪ずつ土地を買い取って自分たちの土地を守ろうとしている住民運動のドキュメンタリーを流したりしていました。
そうした作品は、福島の住民たちが直面する問題にこれからどう立ち向かっていくのかを示唆しているようにも感じられました。 アートでどんなことができるか、試みとしてこの芸術祭をやってみてすごく手応えを感じたので、今後もやっていけたら、と思ってます。
それがあったら絶対面白い、と
信じてやってみることから
中山:山岸さんのアートフェスのつくり方や動機をダイジェストで見て来ました。山形ビエンアーレの総合プロデューサーという立場のぼくからすると「どうやってお金を集めたんだろう」というところも気になります。
イベントに来た人たちは、無邪気に「楽しかったです~、来年もやって下さいね!」って言うけど、やっぱりお金のかかるものだから、そこはちゃんと考えなくちゃいけない。ここにいる学生のみんなにも、これから自分の地元で、あるいは他のどこかで、そういうものをつくりあげられる人になって欲しいんですね。
山岸:ぼくから言えることは、予算ありきで始めないことも大切だということ。イベントの最初のきっかけは「それがあったら絶対面白い」っていう感覚だと思うんです。たとえば「鎌倉って文化のまちっていうけど、映画館ひとつないじゃん。ないなら自分たちでつくったらいいじゃん。とにかくやってみようよ」ってことが始まりだったりするんですね。実際やってみると、そこから新たな問題や方向が見えてくる。
中山:何かしたいからお金を用意するってことですね。
山岸:もちろん一概には言えないけど。
中山:この東北芸術工科大学の学生のみんなは、アート、企画、コミュニティデザインと幅広く勉強しているんだけど、卒業後は企業に就職する人も多いと思います。そのとき、清之進さんのように、お給料をもらう仕事とは別に、自分の地元を面白くしようとイベントをつくったり、ふるさとを元気にする祭りをつくったり、そういう生き方をしてもらいたいと思うんですよね。
山岸:確かにぼくの場合、仕事の他にこういうライフワークがあることでバランスが取れている部分はありますね。お金のためじゃなくやりたくてやっているから、純粋に制作に向かえる部分もあるし。
中山:お金をもらうと「ここまででお金に対する責任は果たしたよね」ってなりがちだけど、そのリミットがないとディテールにまでバンバンこだわる、とかね。
山岸:今回の芸術祭なんかはまさにそう。予算が10倍になったとしても作品のクオリティは変わらないかも。
中山:お金があるからってフェスが面白くなるわけじゃない。鎌倉のルートカルチャーが面白かったのも、やってる本人たちが一番楽しんでいたからじゃないでしょうか。
山岸:主体性はすごく大事ですよね。でも、それだけだと自己満足かもしれないから、特に外から呼んでもらうときには、クオリティにはすごく気をつけてますね。
中山:「プロジェクトFUKUSHIMA!」はこれからも盆踊りがメインですか?
山岸:盆踊りって「毎年あの季節あそこに行ったらやってるよね」っていうものですよね。文化として醸成されつつある今は、夏の恒例として盆踊りを続けていくフェーズだと思っています。一方で、そこに新しいものとして芸術祭を加えていければなあと。
中山:お祭りって古い歴史のあるものだとみんな思いがちだけど、意外と誰かが最近つくったものだったりしますしね。
山岸:そうなんですよね。意外と新しいものが伝統になっていくかもしれないですし。50年後、この祭りの起源を辿っていったら「あの震災から始まったものなんだ」って誰かに気づいてもらえたら面白いなって思いますね。
(2018.6.19)
山岸清之進(Seinoshin Yamagishi)/プロジェク卜FUKUSHIMA! 代表・ディレクター。1974年福島市生まれ。慶応義塾大学SFC大学院在学中よりメディアアートユニットflowを結成し国内外で活動を開始。NHKの教育番組「ドレミノテレビ」(グッドデザイン大賞/2004)や、ウェブサイト「NHKクリエイティブ・ライブラリー」(日本賞経済産業大臣賞/2013)などを企画制作。2006年、鎌倉を拠点とするクリエイティブNPO「ROOT CULTURE」を仲間と立ち上げ、寺院を会場にした「新月祭」(2006)を皮切りに、神奈川県立近代美術館鎌倉館ミュージアムカフェの運営(2011〜2013)、演劇作品「花音」(2013)、「鎌倉[海と文芸]カーニバル」(2014)など、地域の文化資源を生かした様々な企画、プロデュースを行う。2011年、東日本大震災の直後より音楽家・大友良英氏の呼びかけでプロジェクトFUKUSHIMA!に参加。2015年からは同プロジェクトの代表を務める。プロジェクトFUKUSHIMA!として、毎夏福島市で開催する「フェスティバルFUKUSHIMA!」(2011〜)、福島から発信するインターネット放送局「DOMMUNE FUKUSHIMA!」の運営を行いながら、「あいちトリエンナーレ」(2013)、「札幌国際芸術祭」(2014・2017)、「フェスティバル/トーキョー」(2014〜2016)、「アンサンブルズ東京」(2015〜)など各地のアートフェスティバルや、森美術館「六本木クロッシング展」(2013)、豊田市美術館「20周年記念展」(2015)などにも参加。2018年には、休業温泉旅館を会場にした芸術祭「清山飯坂温泉芸術祭」を初開催するほか、福島を起点に活動の幅を広げている。
中山ダイスケ(Daisuke Nakayama)/1968年香川県生まれ。現代美術家、アートディレクター、(株)daicon代表取締役。共同アトリエ「スタジオ食堂」のプロデュースに携わり、アートシーン創造の一時代をつくった。1997年ロックフェラー財団の招待により渡米、2002年まで5年間、ニューヨークをベースに活動。ファッションショーの演出や舞台美術、店舗などのアートディレクションなど美術以外の活動も幅広い。山形県産果汁100%のジュース「山形代表」シリーズのデザインや広告、スポーツ団体等との連携プロジェクトなど「地域のデザイン」活動も活発に展開している。2018年4月、東北芸術工科大学学長に就任。