やがて、もとにもどる楽しさ。 /石川県能美市の老舗遊園地「手取フィッシュランド」
2018.10.04
石川県にある遊園地といえば、通称この”TFL”。観覧車にメリーゴーランド、そしてゴーカート。 昭和の時代から地元で愛され続けるこの場所を20年ぶりに訪れてみて、年甲斐もなく子どもと楽しんでしまった話。
メルヘンなお城にコースター。これぞ遊園地の王道
生まれ育った街、石川県の能美(のみ)市。 金沢市と空港のある小松市の間にあって、太い幹線道路と広がる水田、開発された新興住宅地、大きな工場やスーパー。そんなどこにでもある田舎です。
歴史的には中国大陸から渡来人が来ていたり、古墳群が見つかったり、伝統工芸・九谷焼の窯元があったり。昔から人が住んでいた土地柄ではあったようです。住みやすい。でも一方で、観光地はというとあまり自信がありません。 自慢はというと、たいていの人は口にする「松井秀喜の出身地」。
そんな街に、手取(てどり)フィッシュランドという遊園地があります。略してTFL。”D”ではない。
とにかくカラフル
一回転しないジェットコースター、バイキング、メリーゴーランドにゴーカート。定番の乗り物で構成された、昭和の香り漂う旧き良き遊園地。
高校時代のぼくは、このTFLをどこか「田舎くさいもの」と思うようになっていました。富士急ハイランドやそれこそTDLなど、世間には全国からお客さんが来るようなイケテルものがある。「それに比べたらTFLなんて」という思春期らしい反発心。
時代は変われど定番はこの3つ カタカタカタカタ・・ そういえば乗るの初めて
そんな場所に、子ども3人を連れて久しぶりに行ってみることにしました。実に20年ぶり。残っていた記憶はそんな感じなので、期待はしてません。当時より、もっとさびれているのだろうな。
しかし!
行ってみたらすこぶる楽しいものでした。子どもたちはもちろんですが、ぼくも楽しいのです。休日でも、待ち時間がほとんどない。ストレスフリー乗車。実にスピーディーに、乗り物に次々乗れます。もう一回のおかわり乗車も自由自在。
20年前乗ったやつがまだ現役。よみがえる記憶 加賀平野を一望。TFLの”T”、手取川が眼下を流れる バイキングだって独り占め
大人になった分、違う視点からも興味が出てきます。バブル期にできた全国のあちこちの遊園地が閉園に追い込まれるなかで、この一大装置産業を何十年も経営しているTFLには敬意が生まれてきます。
なぜ「フィッシュ」ランドというかというと、オリジンは熱帯魚や金魚を売るお店だったから。開業は半世紀前、1967年だとか。今も一角ではいろんな種類の魚を売っています。そこから遊園地まで発展させる、しかも県外客には依存せずに地元のお客さんをメインにやっていく手腕。最近では円谷プロダクションと契約してウルトラマンショーまでやっています。いわゆる多角化を地で行く逞しさ。
レストランに現るウルトラマン 名前のとおり、だいぶビックリしてた
今回初めて気づいたことがあります。 遊園地は、遊「円」地だということ。そのくらい、円を基準に作られているものばかり。コーヒーカップも観覧車もメリーゴーランドも円運動。ジェットコースターだって円軌道を伸ばしたり、ひねったりした形。
アンパンマンにシャボン玉にブランコ。子どもは丸いものが大好きなのはよく言われますが、なぜ遊園地が好きなのか、合点がいきました。
普段住む街って、円を基準に構成しづらい。建物は四角い方が無駄なく並ぶし、何かと使いやすくて効率的。反面、そればっかりだと窮屈で、公園しかり、やっぱり気持ちに余裕を生む場所には円が欲しくなる。遊”円”地は、そんな欲求にダイレクトに応えてくれている場所なんだ。
気がつけば、曲線がつくる風景の美しさに魅了されて何枚も写真を撮っている自分がいました。
接する大きな円と円
グルグルと廻る円運動は、当たり前ですがもとの所に戻ります。それをわかっていながら、遠くにいけます。安心感と冒険の共存。このバランスが、たまらない。
そういえば、地球も太陽も、そして銀河だって、回転運動をしている。グルグルが何十にも重なっ た、コーヒーカップよりさらに複雑な乗り物に私たちは乗っている。宇宙の秩序としては、四角より円の方が支配的で、このグルグルからくる解放的な楽しさは、きっと人類の身体に太古から刻まれた由緒あるものなんだ。それなのに、いまの世の中は四角くなりすぎたんじゃないかしら。
観覧車もコースターも、そして影も動く
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
金沢が生んだ詩人・室生犀星「小景異情」の有名な一節です。
さまざまな解釈がなされているこの詩、東京から故郷に思いを馳せて作ったのではなく、金沢に戻ってきたときに作ったという説も根強いそうです。だとしたら、すごくわかる。本当は遠くにいたかったのに、帰ってきている自分がいる。そんな倒錯した複雑な心情の方が、単なる懐かしさに留まらない、ふるさとへの生々しい愛を感じるのです。
ぼくは18歳のとき、この街を飛び出したくてしかたなかった。でも結局15年経って戻ってきた。飛び出したときは片道のロケットだと信じていたのに、実は大きな大きな観覧車だったんだ。そう思うと、目の前の代わり映えしない風景が妙に愛おしく見えてきました。
「さよなら」と「ただいま」。観覧車にはその両方がある
数分おきにやってくるコースターの機械音と耳をつく絶叫が、遠くなったり、近くなったり。 ノスタルジーというのは、すぐそばでこそ感じるもの。どうなのでしょう、犀星先生。