real local その他【長浜】同世代のキーマンたちが見えるようになるための拠点化 - reallocal|移住やローカルまちづくりに興味がある人のためのサイト【インタビュー】

【長浜】同世代のキーマンたちが見えるようになるための拠点化

2019.03.22

「ながはまエリアリノベーション」のテーマは“日常”。長浜に暮らし、活動する人を紹介するシリーズ。今回は関東から移住してプランナーとして活動を続けている竹村光雄さんです。

【長浜】同世代のキーマンたちが見えるようになるための拠点化
竹村光雄さん。勤務している「長浜まちづくり株式会社」は長浜を代表する和風建築「北国街道 安藤家」の中に事務所がある。
「観光」に隠れて「暮らし」の主人公が見えていなかった

竹村さんの出身地は茨城県。大学は千葉。ずっと関東だった。大学の修士過程を出てすぐ都市計画コンサルタントの会社に入社したのが2007年。地方の案件を受け持つことが多く、その頃は会社の担当者として長浜に出張で何度も足を運んだ。町家を直して観光系コンテンツのお店として生まれ変わらせるのが仕事だった。しかし街の計画はずっと“観光”でいいのだろうか? この地域を現在進行系で頑張って面白くしようとしている地元の活動・人々と上手くつながれていないことへのもどかしさを感じていた。

【長浜】同世代のキーマンたちが見えるようになるための拠点化
安藤家外観。安藤家は北大路魯山人とゆかりが深い。庭にある離れの「小蘭亭」の襖絵や天井画は魯山人の名作とされる。

同時に、何度も通い滞在もするうちに、少しずつ知人が増え、またその人から周りの人を紹介してもらって、地元の「人」や「楽しみ方」が見えてくるにつれて、長浜に対する思い入れが深くなっていった。教えてもらった自然の遊びも体験し尽くせないくらいで、歴史文化も掘れば掘るほどに面白い。

竹村さんは東京の会社員時代から長浜との関わりが相当深くなって、半分長浜に住んでいるような状態だったが「ずっとここに根を下ろすと決心」して本格移住。会社を辞めて2012年、長浜まちづくり株式会社に入った。そして移って3年、大型の町家を再生してつくった「絹市(きぬいち)」というシェアハウスを最初のプロジェクトとして実現させた。

【長浜】同世代のキーマンたちが見えるようになるための拠点化
シェアハウス「絹市」の1階広間。空間が美しい。

もっとも、そう言えば聞こえはいいが、そんなにすんなり実現できたわけではない。まず、それまでも何年も長浜に通い真剣に街に関わっていたつもりだったが、コンサルタント時代に、「外」の人間だった自分が「最初から求められている状態」で年長者から当たり前に話を聞いてもらえていたのと、移住してきて、まちづくり会社のいちスタッフとなった自分の言うことに耳を傾けてもらおうとすることは、決定的に違った。

「また絹市の1Fの広間はスタート当初から積極的にイベントを企画したり、またレンタルスペースとしていろんな人の活動に使ってもらえるようにしました。ただ、それも最初から上手く回り始めたわけではありませんでした。長浜の町においては初めての試みであったシェアハウスに周りは非常に慎重でした。町家再生という手法自体にも懐疑的な見られ方がありました。レンタルスペースも、最初からコンスタントに使われていたわけではありません。 しかし、そうしたとき、仕事以外の活動を通じて少しずつつながっていた仲間たちが思いのほか支持してくれたのです」

手助けしてくれた人たちは、どちらかといえば長浜の郊外でそれまで主に活動していたが、これがきっかけになり、自分たちにとってハードルが高かった「まちなか」での活動を少しずつできるようになった。だから、次につながる小さな起点をつくった、その意味では絹市はその役割を確実に果たした。

そして、次に役員会の了承を得てスタートしたプロジェクトが、湖北の暮らし案内所「どんどん」だった。まちづくり会社直営、キッチン付きのレンタルスペース。それまでの活動を通じて知り合った人々と活発な意見を交わしながら作り上げた。キッチン付きというアイデアは、それまでに知り合いになった中に農家や料理人がいたからだ。

「出張で来て観光のハコをつくっていた頃には見えなかった、これからの長浜をつくろうとしている同世代の仲間と今では普通につながれている。むしろ、こんなにいろんな人がいたんだなと」

【長浜】同世代のキーマンたちが見えるようになるための拠点化
路地裏の長屋を改修してつくった湖北の暮らし案内所「どんどん」。まちづくり株式会社の直営。
暮らしの充実こそ魅力

農家や酒の蔵元、伝統食・地産食に精通した料理家、デザイナーや建築家など、つくり手として精力的に地域で活動をしている人たちとたくさん知り合えたことによって、長浜での暮らしもより楽しくなった。食卓にあるものは誰がどんな風につくったのか。この町の味付けの裏にひそむ食の伝統とは。身につけるものの素材や生産の仕方にも関心が及ぶようになった。歴史や地形に精通した人に話を聞いてから出かけると、何倍にも街を面白く感じることができた。
生活が充実していけばいくほど、観光に隠れて見えなかった、地域の本当の特色が実感できるようになっていった。

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郷土食の研究家が開く伝統食のイベントは人気が高くいつも人でいっぱいになる。 写真提供=湖北の暮らし案内所「どんどん」

また以前は地域に若手が少ないと言われていたが、「どんどん」を始めてみると、若く、アイデアも行動力も持った優秀な人のリソースが街の中にはあることがわかった。会社の枠を越え、彼らに相談すれば、提案をくれたり、「やる!」と手を挙げてくれる。

【長浜】同世代のキーマンたちが見えるようになるための拠点化
「どんどん」には、竹村さんのフィールドワークの成果を記した地図が。竹村さんが暮らす相撲庭町(すまいにわちょう)の箇所には「シーズンには素手で獲れるほど小鮎が群れになって泳ぐ」とメモが。
長浜のまちづくりをアップデートする

現在、奥さんと3歳になる娘の3人家族で暮らしている。
奥さんも育ちは関東。同じ千葉の大学の研究室の後輩で、東京のコンサル会社員時代に、学生の手伝いとして長浜に何度か来てもらっていた。親しくなったのも長浜で。彼女もその時から長浜の環境に馴染み、気に入っていたので、この地に正式に越すことには抵抗がなかった。

【長浜】同世代のキーマンたちが見えるようになるための拠点化
家のすぐ近所にある横山からの眺め。3歳の娘も一緒に登る。*

最近2度目の引っ越しをして、伊吹山に近い、郊外の相撲庭(すまいにわ)町に引っ越した。「長浜に暮らす年月が長くなるにつれ、より一層『水の綺麗なところが豊か』という認識が強くなってきたんです」

家のすぐ近くを流れる姉川に釣りに行ったり、裏山の低山「横山」へマウンテンバイクに乗りにいったり、家族でピクニックに出かけたり。アウトドアで遊ぶ道具を新調したいとときどき思うくらいで、買い物は極端に少なくなった。気候が良い時期になったら家から職場まで 8キロの道のりを自転車で出勤するのが楽しみのひとつだ。湖北の暮らし案内所「どんどん」のすぐ横も、水路のある街・長浜ならでは川が流れ、そこでは鮎が泳いでいる。

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気候が良くなったらこの道を通ってマウンテンバイクで会社に通う。*

「長浜の生活が充実しているということをもっと可視化して伝えられるようにすること。それが長浜におけるまちづくりの手法のアップデートにつながると考えています」

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姉川で投網をして魚を捕まる。日常の楽しみ方が尽きないところが長浜の本当の良さと感じている。*

 

*印の写真提供=竹村光雄

備考

長浜まちづくり株式会社 http://www.nagamachi.co.jp/

長浜まちづくり株式会社で運営している「長浜町家再生バンク」 http://kazetoshi.org/

湖北の暮らし案内所 どんどん http://dondonbashi.com/