シアターサイドカフェ「SLOW JAM」神保雅人さん
映画を観る前、ワクワクしながらコーヒーを飲んだり、鑑賞後に食事をしながら友達や恋人と感想を語り合ったり。
映画館とカフェは、とてもロマンチックな関係だと思う。
2018年春、映画館「フォーラム山形」の隣にシアターサイドカフェ「SLOW JAM(スロージャム)」がオープンした。
山形の旬を味わえるフードやデザート、ドリンクメニューが揃い、オープン以来、映画やカルチャー好きの人を中心に賑わいをみせている。
コンクリートの壁と木の床の空間には、風合いある花瓶や置物など個性的なアイテムがランダムに並ぶ。
店内はどこかヨーロッパの蚤の市を彷彿とさせ、クラッシックでありながらどこか雑多な心地よさもある。
SLOW JAMに立ち寄ると、店主の神保雅人さんがいつも紳士な装いで穏やかに迎えてくれる。
今回改めて、お店をオープンさせるまでの道のり、そして映画文化が盛んなこの街とお店に込める思いを神保さんからうかがった。
映画館の横にあるこのお店では、日々人が行き交い、さまざまな出会いが生まれている。そんなSLOW JAMそのものが、ひとつの短編映画なのかもしれない。そんなことを思った。
山形市で生まれ育った神保さんは、ファッション雑誌が大好きなカルチャー少年だった。「山形から早く出たい」と気持ちが空回りして家出を企てるほど、東京への憧れが強かったという。高校を卒業した後、すぐに上京してアパレル企業に就職し、販売員や営業として、ファッション業界の最先端で働いた。
数年後にはワーキングホリデーでヨーロッパへ渡り、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、トルコなどを回った。その中で一番長く、一年半滞在したのがロンドンだった。
ロンドンは多民族の人が暮らすモザイクシティ。神保さんはロンドンのバングラデシュ街に住み、そこから15分ほど歩けばベトナム街があった。イタリア街、ポルトガル街、中華街、どのエリアも、移民が本場の料理店を経営している。意外なことに、イギリスで世界中の食文化と触れ合うことになったのだ。
それがのちのSLOW JAMの構想に、大きな影響を与えていくことになる。
2011年、ロンドンから東京へ帰国。その年は神保さんにとって困難な一年となった。
世界有数のハイブランドに転職を決めるも、まもなく白血病が見つかった。同時に地元の東北では震災が起こり、日本中が不安に包まれる中、半年ほど東京で入院生活を送った。
闘病中、定期的な外泊期間を利用して地元に帰ることが多くなった。高校生までは決して好きではなかった山形。早く出たくてしょうがない、もどかしさしか感じなかった。ところが、闘病中の帰省で見えた山形の景色は、当時とはまったく違ったものだった。
「朝採れの野菜のおいしさや、きれいな空気、真っ赤な夕日や、大きな山の連なり。僕が弱っていたからなのか、旬の力や自然の偉大さがカラダに染み込んできました。病気になってから、東京では下を向いて歩いていた。だけど、山形ではどんどん視界が広がっていくのを感じました」
少しづつ自分と山形との距離感が縮まっていくのを感じた神保さん。
山形で過ごす時間が増えれば増えるほど、東京やヨーロッパで見てきたものとはまったく違う、新しい世界が見えてきた。
山形の日常にある食文化や自然、暮らしの知恵。地元の人の“当たり前”が、実はすごいことなのではないか。それなら、山形の魅力を自分なりの方法で伝えることができないだろうか。思いは日に日につのり、31歳でUターンを決めた。
Uターン後は、幼馴染の数人の友人以外、この街に知り合いはほぼいなかったという。接する人も行く店も、高校生までとは全く違う、山形暮らし第二章が始まった。
山形ではアートやカルチャーが盛んなことに驚きを感じた。その年はちょうど一回目の「山形ビエンナーレ」が始まる時期で、ワークショップに参加したり音楽ライブを見たり、まちづくりを学ぶ「リノベーションスクール」のイベントにも参加したという。
隔年に開催される「山形国際ドキュメンタリー映画祭」など、映画が身近であることも、神保さんにとって大きな要素だった。もともとミニシアター系の映画が好きで、Uターンしてからはフォーラムに通いたくさん映画を見て過ごしていたという。
そうした日々の中、とある物件との出会いによって、神保さんの人生が新しく動き始める。
フォーラムに通っていた当時、いまのカフェとなったこの物件はフランス料理店だった。しばらくするとシャッターが閉まったままになり、お店が閉店したことを知る。
「映画を観る前や後に、気軽に入ってゆっくりと語らえるカフェがあったらいいのに…」
「誰もが個性を生かして、自分を表現できる。そんなイベントができる場所がつくれたら…」
映画が好きな自分自身の理想と、ロンドンで触れた自由な価値観、いくつもの要素が混ざり合い、お店の構想がどんどん膨らんでいった。
山形駅から近いながらも、大通りから一本外れた裏路地のようなロケーションも気に入った。
「この場所だったらできるかもしれない」
そう確信した神保さんはすぐにオーナーさんを訪ね、何度も足を運んで口説き、無事に物件を借りられることになった。
いまだにここ以上の理想の物件には出会っていないという。映画好きの神保さんが引き寄せた運命の物件だったのかもしれない。
フードメニューの軸には、「山形の旬」を置こうと決めた。病気の自分を支えてくれたのは、山形の旬のチカラだったからだ。
山形の新鮮な食材を使って、丁寧な手作りのおいしい食事を提供したい。それを自分なりの経験を生かしてやれないだろうか。ロンドンで自ら体験した、ひとつの場所で世界のいろんな食文化が体験できる楽しさ。それを食材が豊富な山形で実現できたらと考えた。
こうして完成したSLOW JAMのフードメニュー。看板メニューのカレーは、ロンドンのバングラデシュ街でカレーの香りに包まれて暮らしたあの頃からインスピレーションを受けている。
もうひとつの看板メニュー「サバサンド」は、トルコのイスタンブールで食べて感激した味だという。
「これまで煮付けや塩焼きとして食べてきたので、初めてサバサンドを食べたときは、サバってパンに挟んでもおいしいんだ!という発見がありました。身近な食材でも、少し視点を変えれば、まったく新しい一品になる。新しい食の楽しみを味わってもらえたら嬉しいです」
SLOW JAMでは、月に2〜3回ほどイベントが行われている。農家さんが食材を披露したり、ワインや日本酒をテーマにしたもの、DJイベント、写真や絵画のアート展など、イベントの種類は多岐にわたる。
神保さんがロンドンで触れてきた価値観。LGBTや多民族の文化が混ざり合い、ロンドンの人々は「こうあるべき」という固定概念を持たずにのびのびと生きている。
そんな個性を大切にする社会や生き方に触れ、山形でも誰もが主役になれる場をつくりたいと思うようになった。イベント企画はいつでもオープンに受け付けているという。
ここ数年、カフェやレストラン、写真スタジオなど、出店ラッシュが続いている山形市の中心街。市内のいたるところで、若手の人が思い思いに場づくりを始めている。最近ではすずらん通り周辺にも新しい動きが出てきて、山形市は今後さらにおもしろくなっていきそうだと神保さんは感じている。
「すずらん通りにオープンした『Day & Coffee』でコーヒーを飲んだお客さんがここに食事に寄ってくれたり、うちが22時で閉店なので、もう一軒飲みたいというお客さんにナチュラルワインがおいしい『プルピエ』を紹介したり、逆に『プルピエ』からお客さんが来てくれたり。近所のお店でお客さんが行き来してエリアが盛り上がっていくのが嬉しいです。この通りにも、いろんなお店がオープンしたらいいなと思いますね」
フードメニューからインテリア、イベント企画まで、SLOW JAMを構成するすべての要素は、神保さんがこれまで観て、触れて、感じてきた、人生のピースの集まりだ。オープン後も日々、様々なかたちで情報を発信している。
なにかを探している、繋がりたい、知りたい意欲ある人にとって、SLOW JAMは、きっとなにか刺激的な出会いがある場所になるだろう。
2017年、山形市は国内初「ユネスコ創造都市ネットワーク」に映画部門で認定され、今年には16回目を迎える「山形国際ドキュメンタリー映画祭2019」が開催される。
SLOW JAMは映画祭の公式会場のひとつとして、監督やスタッフが集い、関連イベントが開催される予定だ。
「2年に1度、ドキュメンタリー映画祭では世界中から映画ファンや関係者が集まってきます。シアターサイドカフェとして、SLOW JAMが地元の人と世界の人とが交流する場になれたら、こんなに嬉しいことはありません。僕自身も映画祭での新たな出会いを楽しみにしています」
撮影:根岸功