再生産のための劇場型珈琲店「Chomsky Coffee & Library」
※移転されました。(現在の店舗住所:石川県金沢市石引2丁目7−2 オガビル 2F)
町家のイメージが強い金沢だけれど、兼六園からすこし山手に向かうと、RC造の防火帯建築が続く「石引商店街」がある。近年この商店街にインディペンデントな思想をもった店主たちが集まりつつある。(R不動産エリアガイドはこちら)
時間帯を分けて、コーヒー店とバルという業態も異なる2つの店が一つの店舗をシェアしている、「Chomsky Coffee & Library × 石引 Veeda」もその一つ。
今回は「前編」として、日中営業している自家焙煎珈琲店「Chomsky Coffee & Library」の“ゲンさん”こと、林玄太さんに話を聞いてきた。
店名に「Library 」と入っているように、ゲンさんの背後にはザッと1,000冊の本が並んでいて、コーヒーを飲みながら読んでもいいし、ただ背景として眺めていてもいい。会話の流れから「それやったらこの本はどうですか?」と選書してくれることもあるが、巷でいわれるところの“本が読めるブックカフェ”とは少し違う。
店主が背負う本の存在感を抜きにしても、Chomskyのカウンターには“圧縮された情報の密度”みたいなものがある。躓いたこと、熱狂したもの、ささやかな日常の気づきを含め、店主のこれまでの人生のひとつひとつが、カウンターでの会話と本を通して誰かの救いとして作用している感じ。
石引商店街で小さく商いを始めて3年。カウンターには大学生(ときに高校生)から近所のおじいちゃん、買い物帰りのおばさままで、いつも常連の姿が。ハンドドリップでじっくり淹れるコーヒーよろしく、少しずつ時間をかけて店もムクムクと醸されてきているようだ。
ゲンさんは大阪出身。金沢には奥さんの実家があり、第二子の出産を機に2015年に移住してきた。高校卒業後の、さらっと一筆書きでは書きにくい来歴からも、生きることに一々立ち止まって考えずにはいられない生真面目さがうかがえる。
お金はもちろん大事だけれど、それとは別のところでの連帯を。
ーーまず、店名にもある「チョムスキー(*1)」の由来を教えてください。
林玄太さん(以下林):以前働かせてもらっていた珈琲店が「チャペック(*2)」なので、頭文字の『C』をいただきつつ、チャペックより新しい時代の人で、人名がいいなぁと思って、僕が好きな言語学者であるチョムスキーにさせてもらいました。
(*1)チョムスキー…ノーム・チョムスキー。アメリカの言語学者。1928年- (*2)チャペック…カレル・チャペック。チェコの作家・ジャーナリスト(1890~1938)。「自家焙煎珈琲屋 チャペック」は1985年から金沢で営業。
ーーチョムスキーの言葉である“強い自我『a big ego』(*3)”の一節をHPで紹介されていましたが、他に好きな言葉はありますか?
(*3)「あなたが他の人々と何か違ったことを言っているという事実に負けないためには、強い自我『a big ego』が必要です」 Noam Chomsky
林:そうですねぇ。小さな、取るに足らない一人一人が連帯することが大事やで、みたいな言葉があるんですけど、それも好きです。もともと連帯していた人々が分断されて、まぁその方が資本主義的には都合がいいわけなんですけど、お金とは別のところで連帯することがこれからは大事になってくるんちゃうんかなぁって。漠然としてますけど(笑)。
“生き生き”と、生きて行くための術を探し続けた青年期。
ーー高校卒業後、お祖父さんの鍛冶屋で働き出したきっかけは。
林:大学行って就職して…ってイメージが自分の中で全然しっくりこなくて。生き生きと、これから生きて行くにはどうしたらええかなと。徳島の爺ちゃんは楽しそうに働いてはるし、とりあえず自分の身近な職業からやってみようと。楽しかったけど、当時ウェブも普及してなかったから田舎の鍛冶屋って全然儲かれへん。一年くらいして大阪戻ってきて、やりたいこと一個ずつやっていこうと。それで一年アルバイトして貯めたお金で放浪の旅に出ました。
ーーどうしてバックパッカーに?
林:中学生の時に沢木耕太郎の『深夜特急』読んで憧れて。旅先で同じように旅をする若い人と出会うことが多くて、その人たちとの会話がなんだか新鮮だったんです。もっと自分と同じ世代の人と喋ってみたいし、改めて勉強もしたいと思って日本に帰ってきてから京都精華大学という大学に入りました。
おもしろいとおもったことを、続ける努力をしないと“飲まれてしまう”。
ーー京都での大学時代はいかがでしたか?
林:むちゃくちゃ楽しかったですよ。人生で大事なことはだいたい大学で学んだといっていいくらい。でも、もう二度と戻りたくないです(笑)。
ーー中でも印象的な“大事なこと”とは?
林:自分がおもしろいと思ったことを、やり続ける努力をしないとどんどん飲まれていくよ、ってことですかね。
ーー中退してウェブの仕事に就いたいきさつは?
林:結局6年半大学にいて、もう新卒でもないし、どないしようかなと思っていたときにハローワークの職業訓練でウェブの科目を見つけて、「お金もらいながら勉強できるってええなぁ」くらいの感じで。卒業して小売系企業のウェブ部門に就職しました。
ーー好きだった本や文章を、職業にはしなかったのは?
林:文章書いてたりもしたけど、それでお金もらうってすごい大変なことやし、村上龍みたいな才能は自分にはないなと(笑)。それにライターとかは、なんか食指が動かなくて。読んだり書いたりを、嫌いになりたくなかったんです。ただ、いつか本屋をやりたいなぁとは漠然と思い続けてましたし、それは今も変わりません。
ーー金沢に戻って来たきっかけは。
林:第二子が生まれるタイミングで。大阪での暮らしは部屋も狭いし、稼ぎも一馬力(奥さんは当時専業主婦)。保育園も遠いし、何より待機児童が多すぎて入られへん。そんなタイミングで里帰り出産で金沢帰ったときに、一時保育がスルッと決まって。カミさんも「仕事したい!」と言ってたし「ほな僕も仕事やめて金沢行こうかな」って感じで。
土地勘のない街では、街の人の助言に従え。
ーーなぜ突然コーヒーの仕事をするように?
林:金沢へ移ってくるにあたって、ウェブの仕事を探してたんですが、そのときa.k.a.の女将の峯越さんに、“コーヒーが美味しいよ”って、「東出珈琲店」を教えてもらって。そんで東出珈琲店に言ったときに、修行先となるチャペックを紹介していただいたんです。
コーヒーはもともと好きやったけど、そもそも飲食店で今まで働いたこともない。でも、初めての土地で初めてのことするってなんか新鮮でええなって。それに、自分は金沢のこと全然知らないし、街のことをよく知ってる人のアドバイスはそのまま聞いておこうと思ったんです。
ーー焙煎については修行先で学んだのですか?
林:2年4ヶ月働かせてもらいましたが、焙煎を直接教えてもらったことはないので独学です。ただマスターがやってはることを毎日見てました。あと、チャペックのマスターの修行先である「カフェ・バッハ」が出してる本読んだり。そしたら、最初は意味不明やったけど、焙煎室のホワイトボードに書いてあることとか、毎日ちょっとずつわかるようになってきて。
ーーコーヒーの仕事は気に入っている?
林:“どこまでいっても正解がない”っていうのが気に入ってます。ウェブの仕事はいかに早く最適解に行き着くかの勝負でしたし。それにコーヒー豆って農作物やから基本的に毎年品物も違うし、日々の湿度とか気温とかいろんな条件で変化する。それに即して自分で工夫して“よし”って思える状態に持っていく作業もなんか自分に合っているなと。
最初はゆくゆくは古本屋やりたいし、そこにコーヒーあったらいいかなくらいに思ってましたけど、今結果的に逆転してますよね(笑)。
店に来ないと買えないものを。“劇場型珈琲店”
ーー独立するときは、当初からブックカフェをやりたいと思って?
林:というか、僕のエッセンスを前面に押し出した店が、世の中に受け入れられるかどうか、一回やってみたかったというのがあります。もし受け入れてもらえたなら、自分がその場所にいててすごく居心地がいいんちゃうかなって。
ーーChomskyの場合、本が読めるブックカフェというより、もはや本がマスターの背景化してる感が。
林:そう、僕としては“劇場型珈琲店”って言い方をしたいと思ってるんです。いい鮨屋とか天ぷら屋って、カウンターに座って大将の所作を眺めているだけで楽しいじゃないですか。小松弥助さんとかまさにそう。めっちゃ楽しそうに大将が握ってはる姿を見ながら食べる鮨が美味いわけで。あれはまさに“劇場”ですよね。
ーーつまり、店主が生き生きと仕事していることが大切だと?
林:大前提としてそれはありますし、今って結局コーヒー豆は通販で買えるし売れる時代ですよね。でも、一方でお店に来ないと買えないものや体験ってたぶんあると思ってて。そういうところも含めて“劇場”でありたいと思ってます。まぁあんまり儲からへんのですけど、結果的にそっちの方が長い目で見たときに強度があるというか。消費されない何かが、再生産の“のろし”になるというか。
店舗シェアはメリットだらけ。小さく手作りで始める。
ーー出店にあたり、石引に目をつけていたんですか?
林:最初から住むなら石引がいいなと思ってて、お店を始める前から自宅も石引です。それに「石引パブリック」ができてからこの辺も変わってきましたし。ハブになるお店ができると街は変わりますね。
ーーどうしてシェアして出店することに?
林:本当にご縁で。「niginigi」さん(当初の店舗シェアパートナー)が移転することになって場所を探してはって、家賃結構高いからどないしよ言うてるところにたまたま僕が居合わせて。石引パブリックの店主がいきなり“じゃぁ林君と2人でシェアしたらいいんじゃない”って(笑)。niginigiのチカさんもたまたまチャペックで一緒に働いてた仲だったので、一緒にやりましょかって。
当時は営業時間別じゃなく、お店の面積を半分ずつシェアするダブルカウンタースタイルでした。僕らが決めたルールは“家賃を折半する”ってことだけ。極力お金かけず、手元にある材料で、手作りで店をつくっていたので、開店時点では借り入れはしていません。その代わり、できる範囲で自分の好きなものをつくろうと。
ーー実際に店舗をシェアしてみていかがでしたか?
林:男一人でやってる店って女性は入りづらかったりすると思うんですけど、niginigiさんのおかげで入りやすくなったし、金沢でniginigiさんはすでに有名だったので、告知の面も一気にクリアできました。シェアするメリットはたくさんあるし、逆にデメリットはあんまり思いつかないですね。
再生産の場所としてのコーヒー店。
ーーコーヒーの道はこれからも深掘りされますか。
林:もちろん。ただ、僕はコーヒーはツールやとも思ってるんで。お客さんと僕をつないでくれるツール。もうちょっと言うと、ここは再生産の場所でありたいと思ってるんです。消費される場ではなくて、ここに来たら“よっしゃがんばろ”って思えたり、失くしてしまったものをもう一度取り戻せたり。そんな場所として、この店を耕して行きたい。そしたらたぶん、そんな儲からないけど潰れんと続けていけるんちゃうかなって。
ーー最後に、今後目指す理想のマスター像とは。
林:日常生活はもちろん、嬉しいときや悲しいことがあった日なんかも含めて、「うーん、とりあえずマスターのところ行ってコーヒー飲も」と、多くのお客さんに思ってもらえるような空気をまとい続けたいなと思っています。