【鹿児島県霧島市:売買】平成のペリー求む/900万円
物件情報
町に入ると広がる海と壺畑。霧島市福山町は『黒酢』の生産が盛んでズラリと並ぶ壺を至るところで目にすることができます。なんでも福山町は昔、商人の町だったとか。
福山町で黒酢が造られ始めたのは、約200年前。湧き水も豊富で、冬は暖かく、夏は涼しい気候は黒酢作りにとても適していたそうです。
当時の薩摩藩は多額の借金を抱えていましたが、日本独自の食品であった寒天に目を付けます。その寒天を固める材料として使われたのが”黒酢”。原料のテングサは、甑島を中心に、薩摩西海岸から運ばれ、福山港・大阪・長崎を経由して、中国・ロシア等に密輸していたと言います。当時の福山は密貿易港として大変な賑わいを見せ、南方から届けられる黒砂糖や舶来品、各地の特産物などが集散する重要港であったとされています。
なんてネットから拾ったウンチクは置いておいて。
今回はそんな福山町にある売地のご紹介です。
売地での取引となりますが、上物が付いています。それを有効活用していただけるのであればと個人的には思うので建物の紹介を(注:あくまで土地の売買契約となります)
外観だけでは一見、特別珍しい家とは言えませんが、中に入ると驚くべき“アレ”が今でも残されていました。
鉄骨セメント瓦葺2階建、といっても2階には躊躇して登ってはいません。
玄関を入ると続く土間。土間スペースから左側は割と程度のよい住居スペースが広がります。
広めの部屋から小ぶりな部屋までトータル6室。家族で暮らしても十分な居室空間は確保されています。
お風呂はありません。キッチンは、あると言えばありますが、ほとんど無いに等しい”アル”です。
とても簡易的なものであるのと、相当年季が入ってますので作り直す覚悟でお願いします。
土間を隔てて右半分が今回の“売り”と言えるのかそうでないのか…現在の所有者の話だと、なんと嘉永6年に建築されたという『内蔵』がドッシリと構えていました。
その話が本当だとしたら、ペリーが黒船でやってきたのと同じ時代に建てられら蔵ということになります。程度は決して良いとは言えません。壁面には味のある瓦が綺麗に貼られていますが床は抜けてボロボロです。とは言え、その堂々たる佇まいには正直圧感!
手と費用を掛ければ、相当雰囲気のある内蔵を手にすることができます。福山町は決して立地が良いとは言えませんが、やり方次第ではこの蔵を使って面白いチャレンジができるかも。
道路を隔てた目の前は海。取材に訪れた日もたくさんの人たちが釣り糸を垂らしていました。
昔々のその昔、商人の町として栄えた福山町を、もう一度あなたの手で活気ある町にしてはもらえませんか?