子育てと翻訳と落語を楽しむ/字幕翻訳家・高橋佳奈子さん
山形暮らしを楽しむ #山形移住者インタビュー のシリーズ。字幕翻訳家であり、2児の母である高橋佳奈子さんにお話をうかがいました。
アメリカ・ニューヨークで生まれ、横浜、シアトル、秋田や宮城など東北各地を経て、2014年に山形へ。海外生活で培った語学をいかしてキャリアを築き、山形国際ドキュメンタリー映画祭2019のボランティアも務め、山形落語愛好協会では落語を演じる高橋さん。山形での子育てや日々の暮らしについてもうかがいました。
──どのような流れで山形にたどり着いたのでしょうか?
父親の仕事の関係でアメリカのニューヨーク州に生まれ、10歳頃まで暮らしていました。帰国後は横浜で中学、高校を過ごし、大学で1年間シアトルに留学しました。そこで夫と知り合い、結婚して秋田県へ移住。その後は夫の転勤で東北各地を転々として、福島県、宮城県、ふたたび秋田県、そして2014年に山形市に移住しました。
──山形で暮らしてみて、いかがでしたか?
東北で最初に住んだ秋田県が豪雪地帯で、朝昼晩と雪かきをして生活していたので、それに比べると山形市は雪が少なくてとっても楽だなと思いました。
親戚が近くに住んでいたこともあり心強かったのですが、やはりまったく知らない土地なので、最初の年は殻にこもっていた時期もありました。こういうときは自分から行動しようと、知り合いをつくるにはPTAに入るのが一番だと思って、学年部長をやることになり、そこから繋がりが一気に広がっていきました。
落語を始めたことも、人との繋がりが広がった大きなきっかけでした。息子の国語の宿題で、落語を暗記しなければならず、やっているうちに「これおもしろいね、本物を見てみたいね」と、息子と盛り上がってしまって。市報で調べていたら「山形落語愛好協会」というものを知りました。見に行ってみたら息子がやりたいと言い、息子の高座(寄席の舞台のこと)を見ていたら自分でもやりたくなってしまい、いまでは私のほうが夢中になっています。
──市報で情報収集されているんですね。
市報は移住者にはとっても参考になりますよ。予防接種や人間ドックなど医療の情報やゴミの捨て方とか地域のルール、生活にまつわること、知る人ぞ知るおもしろそうなイベント情報も載っていたりして、私はけっこう見て出かけたりしています。
私が行ったのは、町内会が主催する公民館で行われた新年落語会でした。山形落語愛好協会の方が高座で披露していて、素人でもこんなにおもしろいんだって感激しました。
山形落語愛好協会は年齢層が幅広くて、息子をのぞくと一番下は高1から、30〜40代が一番多くて、上は70代の方もいます。やりたい人だけでなく、聞くのが好きという人も所属していて、年に2回、夏と冬に落語まつりがあり、そこで撮影や受付け、音響などをやってくれるなど、関わり方はさまざまです。落語は楽しいですよ。人を笑わせるのは楽しい。聞く人はお年寄りが多いですが、たまに小学生がゲラゲラ笑ったりしていて、楽しい空間です。
落語は山形にいなかったら、やらなかっただろうなと思いますね。もし横浜に住んでいて、落語を見に行こうと思ったら、東京の寄席に行っていたと思うんです。圧倒的なプロの舞台を見たら「おもしろかった〜」と満足して、自分でやろうなんて思わなかったはず。
落語を始めたおかげで、鶴岡市や朝日町など町内会などの催しに呼んでもらうことがあり、市外にもつながりが生まれました。地元の人とおしゃべりする機会ができて、地元のことをたくさん教えてもらえるのが嬉しいです。
──子どもをきっかけに趣味や世界が広がっていくって、いいですね。
子どもと一緒に楽しめるのがいいですね。いまでは上の子が中学2年生で、下の子が小学2年生になりました。上の子が転校で苦労した経験があり、夫に転勤はありますが、子どもたちが巣立つまではこのまま山形にいたいなと、山形に家を建てました。
都市部の公園では禁止事項が多くて子どもが外で遊べないというニュースを見る一方で、山形の子どもたちは水鉄砲を持って町内走りまわってのびのび遊んでいます。子どもたちも楽しそうだし、やっぱりここがいいかなと思ったんですよね。
──山形での子育てはどうですか?
こども医療制度(2014年10月から、山形市では中学3年生まで医療費無料)が整っていて、子育てはやりやすいと思いますよ。しいて言うなら、雪が降ったときに子どもが遊べる場所が増えるといいなと思います。「べにっこ広場」まで行くのが遠いので、もう少し分散して施設があるといいなと。
山形は子どもに対して寛大ですよね。都会で子どもを連れてバスや電車に乗ると、あからさまに嫌な顔をされることがありますが、東北や山形に来てからは一度もそんな経験をしたことがありません。山形って三世代同居率が全国1位なんですよね。だから、おじいちゃんやおばあちゃんが小さい子の泣き声に慣れているのかも。赤ちゃんを見ると、みんな頬がゆるむ感じがします。山形での子育ては、親のストレスが溜まりにくいかもしれません。
今住んでいる家の隣に畑があって、下の子が畑の方と仲良しなんです。「あれ?いないな」と思うと、塀越しにおばさんと喋っていたり、たくさん採れたからと野菜を持ってきてくださることもあります。隣の畑でトマトを見て、息子が自分でも育てたくなり、採れたトマトをおばさんに持って行ったり、そんな交換もあるんです。ご近所とのコミュニケーションがあるのもいい環境だと思います。
──生活面で不便に感じることはありますか?
バスの本数が増えるといいですね。車の運転が好きじゃなくて、本当はバスに乗っていろいろ出かけたいのですが、1時間に1本では行動できないので、20分に1本くらいあるといいかな。だけど基本的に困ることはないですね。
──お仕事についても聞かせてください。字幕翻訳はいつ頃から始めたのですか?
秋田に住んでいた頃、出産後しばらくしてから始めました。中学生の頃から字幕翻訳をやりたかったんですけど、当時は調べたら狭き門だということがわかり、一度諦めたんです。でも最近はデジタル配信が増えて新参者が活躍できるチャンスがあり、字幕翻訳であればどこにいてもできるし、もう一度中学生の頃の夢を叶えてみたいなと、通信講座で勉強を始めました。
翻訳の中にも、出版翻訳、ビジネスや特許にまつわる実務翻訳など、いくつか種類があって求められることがそれぞれ違います。字幕翻訳にも独自のルールがいっぱいあって、例えば1秒間に4文字しか打ち出してはいけないとか、音声に合わせてどこに字幕を付けるか自分で判断し、ソフトを使って構成しなくてはいけないんです。
──要約力や編集能力も求められるんですね。
そうですね。独学だと難しいので、通信講座を受講していました。育児の合間に5年ぐらいかけて勉強しつつ、映像のセリフを書き起こしてスクリプト(放送用の原稿)をつくる仕事を並行していました。字幕翻訳を本格的にスタートしたのは、2年ほど前からです。
──いろんなタイプの翻訳がある中で、なぜ字幕翻訳の道に進んだのでしょうか?
昔から映画が大好きだったんです。中学生の頃から映画館に通って、金曜ロードショーなどを録画して自分のコレクションを作っていたり。数年前に初めて南インド映画祭で字幕をつけた作品が渋谷で上映されて、エンドロールで自分の名前を見たときは本当に嬉しかったですね。
──山形市が映像文化創造都市であることに、縁を感じますね。
初めて山形に来たときに、市報を見ていたら山形国際ドキュメンタリー映画祭のボランティア募集を見つけました。すごく興味があったけど、当時は子どもがまだ幼稚園児で手が離せず、2019年にようやく参加することができたんです。
ゲストサポーターとして監督をアテンドしたり、上映会後の質疑応答で司会をしたり、駅で案内をしたり、いろんな業務につきました。印象的だったのが、監督たちと一緒に山寺に登ったこと。目の付けどころが独特で、お弁当を食べている人を観察したり、木漏れ日に見とれていたり、登っている人たちの影をひたすら8ミリカメラで追っていたり。山寺は何度も行っているはずなのに、新しい視点をもらったというか、山寺の楽しみ方を教えてもらった気がします。
同時に、自分は山形のことを全然知らないことに気づかされるんです。神社やお寺のこと、文化のことも全部説明しなきゃいけないので必死に調べて、映画祭をきっかけに山形のことをたくさん知りました。監督以外にも、東京や全国から人が集まってきて、いろんな言語が飛び交っていて、非日常な1週間でしたね。
──仕事も子育ても、個人的な活動も、バランスよく、いつでも前向きに行動されていて、理想的だなと思いました。この先の夢や目標などありますか?
子どもの頃から、世界一周旅行に行くのが夢なんです。なにかの雑誌で、Airbnb(宿泊施設・民宿を貸し出す人向けのウェブサイト)で家を貸し出したまま、世界を旅してる老夫婦の話を読んだんです。幸いにも字幕翻訳の仕事はネットがあれば世界中どこでもできるので、子どもたちが巣立った頃に行けるんじゃない?なんて思っているんです。すごく大きな夢ですけどね(笑)
基本はどこに行っても、どこに住んでも楽しいですよ。「人生は一度きり」ですからね。それを合言葉に生きています。
撮影協力:Day & Coffee