映画『島にて』のこと
映画の街に暮らす(3)
山形で撮影された映画の先行上映の宣伝業務を請け負ってみないかと声を掛けていただいた。なぜ自分なのだろうと思ったが、まずは映画を見てから。
日本海に浮かぶ飛島、山形県唯一の有人離島。平均年齢70歳というこの島に生きる様々な人たちの普段の暮らしとそれぞれの思いを映し出したドキュメンタリー映画『島にて』。大宮浩一さん(新庄市出身)と田中圭さんの共同監督作品。これまで、両監督にはそれぞれの作品でYIDFFにご参加いただいている。
この作品は、平成最後の1年間の現地撮影とその後の編集・仕上げを経て、つい先ごろ産声を上げたばかりの映画である。東京・全国に先駆けて、2020年5月8日から山形県内で先行上が決定している。
宣伝の打ち合わせで電話の向こうから自分の耳に「飛島」という言葉が最初に飛び込んで来た時、何かそれが遠い記憶の底から届いたような感覚に襲われた。
飛島にはこれまで2度行っている。最初は約30年以上前。母方の叔父がその頃、島の中学校の教師をしていた。久しぶりに叔父に会いに行った。島に渡ってみたかった。単身赴任で暮らすアパートを訪ねると何本も釣竿が立て掛けてある。休日はすることもないので釣りばかりしていると笑う少年のような叔父が居た。
次は20年ほど前、或る映画の酒田上映の翌日、慰労を兼ねて主催の人たちや監督と一緒に飛島に行ったことがある。その時、島に向かうフェリーでたまたま隣の席に乗り合わせた女性と波に揺られながら話した。その人は我々がこれからお世話になる民宿の娘で、今は仙台に嫁いでいるが、民宿に客があるときはわざわざ手伝いに帰るのだという。その人はこんなことも言った。自分は年老いたら島に帰ってくると思う。夫や家族のこともあるが、いつか、そうするだろうと。生まれ育った「島」とこの女性との繋がりの強さが不思議に響いて、自分の中に物語のようにずっと残っていた。
飛島と聞いて、すぐにそんなことが蘇って来たのだが、一方で自分は飛島について何も知らないとつくづく思った。だからこそ未知の飛島映画の誕生に強く惹かれる気持ちがあり、早速、試写用の素材を送ってもらった。
酒田港から定期船で75分、40キロ離れた孤島。周囲は約10キロ、歩いても1時間半ほどで回れてしまう。約1万5千年前の海底火山の隆起と海水による侵食の繰り返しで平らな地形になった島。かつては日本海の交通の要所であり、縄文遺跡や千年以上前に創祀された神社があり、平家落人や様々な伝説が豊富に残ってもいる。
この映画は、そんな島の今そこに生きる人たちの普段の姿や言葉をゆっくり味わい見つめようとしていた。島の人と撮る側の距離感や信頼感を育てた時間が感じられて、見ていて実に気持ち良い。
往時、漁業や農業で生計を立てる島民は1800人を超えていた。現在は過疎化と高齢化が進み、戸籍上約200人、実質、島には約140人が暮らしている。
遠洋にも出向いて各港に親しい女性がいたと長年連れ添った奥さんの前で昔語る80歳の漁師、卒業を控える島唯一の中学生の将来の夢。豊かではない暮らしの中で60年以上も毎日丘の上の畑に通い食物を得て子供たちを育てて来たお婆ちゃんの佇まい。一方、Uターン、Iターンで、あらためて飛島で生きることに向き合おうする若者たちがいる。島内に新たな雇用を生み出そうと合同会社を立ち上げて様々な取り組みを打ち出す彼らの思いと言葉と表情。
このまま島は終わるのかも知れないという諦観。此処から出来ることを試し、新たな草創期を生きてみようとする希望。そのふたつが混在する飛島の今。映画はその独自性と普遍性をも伝えて来る。
映画を2回見ながら、島と人の関わりが始まって以来続いてきたとても長い歴史の終わりと始まりの兆しを淡々と生きている人たちの存在がとても爽やかで魅力的に感じられるのは何故だろうと考えていた。
そんなことも確かめたくて、先日、3回目の飛島に渡った。酒田の知人の計らいもあって、映画に出ておられた「合同会社とびしま」の若いメンバー何人かとすぐ会うことができて、昼食をご一緒し、島の各所も案内していただきながら数時間の滞在だったが、色んな話を伺うことができた。直に話していても映画の印象と変わらなかった。何というか、地方創生とか地域起こしというイメージや言葉が纏いがちな匂いとどこか違う。ギラギラした感じがないのだ。そのことを本人たちに伝えてみると、この小さい島でギラギラしてもショウがないですという答えが返ってきて、爆笑してしまった。
海という濃厚な自然に囲まれて生きるという逃げ場のない感覚は、島の人たちの生命観の底に流れているのかも知れない。あらためて此処で生きてみようとする人たちにしても、その静かな覚悟の源は、自然にはそもそも敵わないという生き物として真っ当な感覚なのではないかと感じた。むしろだから自分たちは此処で生きることを試したいと。小さな島が備えている本来の環境や限界は自分たちの幸福にとってきっとマイナスではないし、このサイズが良い。そして此処に居るからこそ逆に外と繋がれる、そんな島暮らしの新しい可能性をも感じられる作品である。
何がしかの縁も感じつつ、この映画をより多くの人たちに届けたいと心から感じた。宣伝の仕事、喜んでお引き受けすることにした!
20年前にお世話になったあの船宿は既に無くっていて、あの女性も帰って来てはいないとのこと。でも、彼女のあの時の言葉は本当の気持ちだったと思う。そして、釣り少年のような教師だった叔父は昨年亡くなり、全国の地域上映に多くの名作を提供し、一緒に飛島に来てくれた大澤豊監督もつい先ごろ逝去された。
今年は、この飛島に何度か通うことになるだろうと思う。映画の宣伝のためだけでなく、この島の人たちと一緒にいろんな映画を共有してみたくなってしまった。
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