DAY 1
ビール・ガール
まだ眠い目をこすりながら、食器棚に並ぶグラスを手に取り、階段を降りる。ガレージ奥に並ぶシルバー色のすべすべした筒型の機械たちは、朝のやさしい光に包まれている。
「おはよう、諸君」
ユウはグラスを光にかざし、
「今日は良いのだよ」
と、一つの樽に当てがう。
コックを手前にひねると、黄金色がグラスを満たしていく。頃合いをみて、コックを奥に倒し、ギリギリまで泡を注ぐ。
「っとっとっ……」
ユウはあふれそうになる泡に慌てて口を埋もれさせる。2階へと階段を上り、冷蔵庫からブラックペッパーのチーズを取り出し、一番大きな部屋…今日からブリューパブを開く場所へと入っていく。
2階には東向きに大きな腰窓が並び、向こうの方に名も知れぬ穏やかな山並みが見える。その窓を開け放ち、グラスに踊る気泡にニヤニヤしながら、ようやくグビグビと気が済むまで飲み干してみる。
「うむ、背徳感、だな」
すると、1階のガレージに小さなバンが入ってくる。タンクトップとショートパンツのままのユウは、あわてて窓から挨拶を投げる。
「ごくろうさまです!」
「おいおい、朝からいいご身分だねぇ」
配達車から乗り出した酒屋のおじさんが話しかける。
「そりゃあまぁ、飲んでいいご身分ですから!」
ユウはガレージに急いで降りていく。
「問屋に通う会社員の若いやつらの間で、かわいい姉ちゃんがビールを夜な夜な作ってるって噂になってるらしいぞ」
「あら、じゃあお客さんになってくれるかな?」
「そのかっこじゃなぁ。おじさんにはちょっと刺激が強すぎるよ」
「あはは、そういうサービスじゃないからね」
「知り合いの麦の農家やら、代行会社の連中やら、声かけといたから。俺もあとで手伝いに来てやるよ」
「いつもありがとね~。今日は飲み過ぎないようにしなきゃな」
「朝から飲んでるやつの信用なんかできんぞ」
1階に醸造所、2階に住まいとブリューパブ。大きな動力が2つあって、搬送にも便利なガレージと、大きな窓がある見晴らしのいい空間。人が仕事のために通う問屋という町で、疲れを癒しに変える黄金色を創り出す場所があったら。
ある日突然、ビール・ガールが現れてくれたら。
* * *
DAY 2
スパイス・ボーイ
「そろそろかな?」
キィと音を立てて椅子から立ち上がり、ぐーっと背伸びをして深呼吸をする。壁のスイッチを押すと、ガシャンと換気扇が回り出す。時計は15時を少しまわったところだ。
ブラックペッパー、クローブ、シナモン、クミンシード、カルダモン、コリアンダーシード。ホールのスパイスを鉄のフライパンで炒め、軽くすり鉢で砕き、ミルに移す。室内は芳しいスパイスの香りでいっぱいになり、身体全体でそれを堪能したところで、外気へ放つのだ。
「よし、今日も上出来」
白衣姿にメガネ、ピンセットに天秤ばかり。作り付けの棚にはラベルが貼られたスパイスびんがずらりと並んでいる。フラスコや試験管、小さな引き出しがたくさんついた木製のタンスもある。一見、化学の実験室のような空間だ。
すると、玄関に一人の中学生の女の子がやって来る。
「こんにちはー。だれかいますかー?」
「あ、はいはい、開いてますよ。何かご用ですか?」
「あの…すごくいい香りがしたので…何を作ってる場所なのかなって…」
今日も一人、罠にかかったようだ。できたてのスパイスを外に解き放つと、その香りに引き寄せられて、このスパイスショップの扉を叩く人が現れるのだ。
「うちは、街の魔法屋なんです。ちょっと食べていきますか?」
2階へと上がり、広々と無機質な空間には真っ白な机と、真っ白な椅子と、真っ白な皿が並べられている。
「下で魔法の素をつくって、上でその魔法を食べてもらうんです」
「魔法…」
皿の横に添えられた銀食器が鈍く光る。メニューには、「辛いもの」「甘いもの」「苦いもの」に分けられ、呪文のような文字が書かれているから、一体どんな味がするものなのかがわからないが、女の子はちょっと考えてから「甘いもの」の中の一つを指差した。
「かしこまりました」
白衣の彼は厨房へと消え、しばらくするとまたもや芳しい香りが漂ってくる。
先ほど外に放ったものとは異なるやさしい香りだ。女の子の元へ戻ってきた彼の手には、白い皿の上に小さな焼き菓子が乗せられていた。
「さあ、どうぞ」
口に入れると、芳醇なバニラの香りに包まれ、その後、一瞬だけ痛みのある辛さを感じた。
「ふ、不思議な味ですね…」
「お気に召しましたか?」
「……はい」
1階にはガレージを改装したスパイスを育てる栽培所、奥にはスパイスの調合室。2階はその魔法のようなスパイスを取り入れたメニューを食せるレストラン。元々、薬品を取り扱っていた事業所の建物である。
だからこそ、無機質ながらも研究所のような、それでいて心がくすぐられるような場所。ドラクエの街に魔法屋があるなら、この問屋の街にだってあっていいじゃないか。
その香りにそそられて、また一人、魔法のダンジョンへと迷い込める場所があっても。
(テキスト/佐藤実紀代、写真/野田恭平)
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