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“Toward Build Back Better” 「前よりも良くなったね」と言うために

変化に対応する寛容性・柔軟性を持とう

2020.06.10

とある朝のワイドショー番組で、地方不動産の遠隔によるバーチャル内見が紹介されていた。
普段は朝のワイドショーなんて興味も無いんだけど、コロナ危機における騒動を見極めようと情報を集めまくっているタイミングだったので、たまたまだった。番組のアナウンサーは「コロナ危機をきっかけに不動産の世界も大きく変わろうとしています。」というようなコメントを残した。

それを見ながら、そうだよね便利だよねと思ったし、僕たちも導入を検討しなきゃとも思った。と、同時に僕には違和感が残った。

わざわざ物件を見に来なくても確認できることもたくさんありそうだし、内見のための移動時間や費用も掛からないので、物件の絞り込みには良いのかもしれない。仲介する僕たちにとっても効率良さそうだし。
でも、そこで紹介される物件は、何処かで見たような既視感溢れるマンションだったりするわけで、それで何か良くなるのか? 暮らしや住まい方がより良くなるのか?という疑問が違和感の正体だったかもしれない。

ちょっと大袈裟だけどR不動産の発明以前、不動産探しで感じていた「これ、別の不動産屋の情報と同じ」「あるはずの欲しい空間が、どこにもない」の違和感に近い。それは、インターネット前後では変わらなかった。不動産情報へのアクセスは便利になっても、提供される情報コンテンツは変わらない。住宅や仕事の空間のオルタナティブを提示したくて金沢R不動産を始めたし、暮らし働く地域の自由な選択肢を増やせればとreal localを立ち上げたのだと再認識した。

さて、新型コロナウィルス感染症拡大の第一波が収まりつつあるなか、全国の緊急事態宣言が解除された。状況が刻一刻と変化していくこの約2ヶ月を経て、いま考えていることを書いてみたい。ただし、神戸R不動産の小泉さんもこのコーナーで書いている通り、僕自身も個人的な考えはあまり変わっていない。変わってないけど、モチベーションは強まったと言えるかも知れない。

僕がまだ学生だった1980年代の末期、ベルリンの壁が壊れ東西ドイツが統一され、北京天安門広場では同世代の学生が国家と対峙していた。卒業後、ソビエト連邦が崩壊し東西冷戦が終焉を迎える。バブル経済が崩壊し、しばらくして銀行や保険会社が破綻していく。1995年、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が立て続けに起き、各地の震災、リーマンショックなどを経て、2011年の東日本大震災、福島原発事故へと続く。地域や国を揺るがすような破壊が約5年ごとに起こっている。

それらは、まちや建物が物理的に壊れたり、非物質的な制度や経済システムなどが自壊するなど、いずれも破壊から始まるカタストロフィだった。

しかし、今回のコロナショックは全く異なる様相だ。インフルエンザより厄介ではあるけど、それ自体が破壊的な威力を持つわけではなさそうだ。にもかかわらず、世界の人々の生活や生業の強制的な変更が求めらる事態に陥っている。その変化に対応する寛容性や柔軟性を持たないから、僕たちは苦しんでいるのではないだろうか?

今こそ本気で、地域の空間資源の活用を

ここで、自分の関わりの中から、都市やまちや建築について、今一度考えてみたい。
東京をはじめとした一極集中も、コンパクトシティなどを掲げる地方創生もインバウンド観光戦略も、都市やまちにより多くの人を集めることを前提とした都市化を目指してきた。業務、商業、居住など機能的に線引きした用途地域をつくり容積率を高め、高層ビル群を林立させてきた。全国各地の駅前では、複雑な用途を立体的に積層させる再開発プロジェクトが目白押しだ。広域から膨大な集客を促す巨大な商業施設やホテルの建設も止められない。その結果、どこの駅前、中心市街地、郊外でも、場合によっては里山里海であっても、その場所の歴史や固有性に関係の無い一様な景色をつくりだしてしまった。

住宅は、『nLDK』という表現で、リビング、ダイニング、キッチンの3点セットに個室数を加えて、部屋イコール単一機能としてカウントしながら、自動車産業の様に新築を供給し続ける。でも、そこにはテレワークできる空間的な余裕も、人それぞれの多様な利用に応える機能的な柔軟性もない。

これらは、より速く、より遠くへ、より多くという経済拡大や時間効率に絶対的な価値をおいた資本主義が求めてきた都市化の一面だといえるだろう。
その一方で、空き家、空き商店、空きビルという膨大な余剰空間を残してきた。それらは適度に疎な地方都市にあったり、隣接する里山里海に開放された環境にあったりと、選択肢はよりどりみどりだ。
いまこそ本気で、地域の空間資源の活用を考えてみてはどうだろうと思う。

なかなか考えにくい状況だけど、もし、このままコロナ危機が収束していくと、忘れやすい僕たちは、一年後には何事もなかったように元通りの日々を悶々と過ごしているかもしれない。
あるいは、『新しい生活様式』とか『ニュー・ノーマル』といったキャチコピーだけが宙を漂い、僕たちひとりひとりにとって重要なイシューをまたもや他人事にしてしまうかもしれない。
イノベーションだ、変革だと言い続けながら、5年、10年かけても変えられなかったあらゆる課題や問題。それらを本気で自分事として捉えると、半年、1年で解決できるかもしれない。まさにいま、そんな可能性を感じているはずだ。僕たちが戻るべきところは、半年前の都市や社会じゃなく、もっと良くなるかも知れないと曖昧にイメージしていた、もう一つの未来なのだと考えてみたい。

豊かな環境に囲まれ、適量につくられたモノを味わい、ゆったりと地域の文化を楽しみながら、世界の人と繋がって世界を知り、また新しい文化を育てていく。そんなローカルな身体性とグローバルな精神性を持てるような都市やまちが実現できないものだろうかと考える。

まち・都市や社会という捉えどころのない大きなものでは無く、自分が生きる家やオフィスや住宅街や商店街といった身近なスケール感のことから始めてもいい。DIYやリノベーションで暮らしを変えてみるとか、新しい拠点を持って新たなワークスタイルを目指してもいいだろう。

『Build Back Better(より良い復興)』とは、阪神淡路の震災以来、度々語られる物理的破壊からの復興の合い言葉だった。でも、僕たちは、いつもそれを忘れてきた。今度こそ、「前よりも良くなったね」と言うために、自分事として創造的復興を目指したいと思うし、僕たちはそのサポートを続けたいと思う。

 

“Toward Build Back Better” 「前よりも良くなったね」と言うために