隣り合う辺境を探して。/金沢アートグミ・上田陽子さん。
インタビュー
アーティストは蛍のような一面もあるのでは、と思ったりする。アーティストがふらりやってきて住みつける街かどうかというのは、その街の多様性や寛容性のひとつの指標になったりしないだろうか。(決して蛍のように「清らか」である必要はなく、むしろ混沌としてい方が良いのかもしれないけれど)
そんなアーティスト達に寄り添い、よろずサポートをする人たちがいる。今回はアートスペース「金沢アートグミ」スタッフであり理事の上田陽子さんに、ご自身のことや金沢のアーティスト事情などお話をうかがってきた。
(≫「金沢アートグミ」 のreallocal紹介記事はこちら)
上田さんは1985年生まれの金沢出身。AB型。声優として活躍する姉と二人姉妹(ちなみにお祖母様は銀幕系の女優さんだったそう)。早稲田大学商学部在学中に「金沢アートグミ」の立ち上げに参加し、そのまま理事常駐スタッフに。アートグミ では、展覧会・イベントの企画コーディネート、デザイン制作、ツアーガイド、作家の悩み相談などにものる。本人曰く「なんでも屋です。作家のパフォーマンスのために、ドンキにTバックを買いに行ったり、水道屋さんと屋上に水を引く検討をしたりもします」とのこと。現在はアーティスト達と3人で町家をシェアしながら暮らしている。
どことなく佇まいが猫っぽく、上田さんの後をついて小路をいくと、金沢という小さな街で「こんなところが…」という世界が広がっていることがままある。
横同士をつなぐことが、足りてなさそう。
−–アートグミの立ち上げから関わっていたのはどんな経緯で?
「大学の夏休みの帰省中に、小学校からの友人の小森さん(後の初代アートグミスタッフ)と『アートっておもしろいね、なんかやりたいね』って話になって。まずはリサーチしようと、金沢市内のいくつかのお店やギャラリーを訪ねて意見を聞いてまわりました。すると、どうやら“横同士をつなぐ”ということが足りてなさそうだぞと。ウェブを立ち上げたらいいんじゃないか…など検討していたら、『金沢まちづくり市民研究機構』の報告書を目にして、うちらと近いことを考えている人たちがいるぞということで合流させてもらいました」
−–大学卒業はスタッフとしてアートグミに就職されました。
「ちょうど北國銀行武蔵ヶ辻支店の3階に『金沢アートグミ 』として拠点ができることになったので。でも当時“就職した”という認識はなかったですね。グミは環境全て手探りで整えていくという感じで…雇用についても全部自分達で収支バランスを考えて決めていました。フリーランスの感覚の方が近いかもしれないです」
東京は広すぎるし、誰かがやるかなと。
−–そもそもどうしてアートに興味があったんですか?
「大学のとき造形美術研究会のサークルに入っていて。“マルチ文化部”みたいな感じで、作品や服を作る人、写真を撮っている人、DJもいて、今も写真家や作家、コーディネーターとして活動している人もいます。そういう愉快な人達と関わりつつ、時間がある時は映画や展覧会をみて新しい価値観に触れる面白さを知った、というところでしょうか」
−–東京ではなく、金沢でアートにまつわる活動をしようと思われたのは?
「当時、東京は広すぎるなぁと。人もたくさんいて…誰かがやるかなと。自分が主体的に動く理由は特になし、って感じでした。そんなに深く考えていたわけではないんですけど。。」
“ジメッとした部分”がオープンだった頃。
−–上田さんが上京するまでの金沢は、北陸新幹線も金沢21世紀美術館もありませんでしたが、どんな印象でした?
「ひがし茶屋街も、全然今ほどの観光地とかではなかったですし。今はきれいになりましたけど、近江町市場とかも、もっと暗くて、お気に入りの靴では行きたくないなぁという感じで。新天地もなんだか明るくなりましたよね。その頃は、街の“ジメッとした部分”がわりとオープンだった気がします。あとは『金沢は不倫旅行に向いている』と、大人が言っていたのを聞いたような憶えが…(笑)。渋めで人目もそんなになくて、お忍びに良い街だったんだと思います」
−–金沢の好きなところはどんなとこですか。
「古い道が残っていて、空気がきれいで、温泉が多いところです」
−–コミュニティ感はいかがでしょう。
「友達の友達はみんな友達…というか。コミュニティは狭いですけど、レイヤーが複数層あって、それぞれ住み分けされている印象はあります。インディーズ系、アート系、クラフト系…とか、それぞれが交差することももちろんありますけど」
制作に必要な“栄養”。
−–金沢でアーティストとして生きるリアルとは。
「世界中どこでもそうですけど、美術活動だけで生計を立てるのはここでも難しいです。ただ、その街に制作やアートの話ができる人がゼロじゃない、というのは大事かなと。制作自体は孤独な作業ですけど、その制作に必要な“栄養”を得る場所や、つながりはあった方が作品にも良い。そう言う意味では地方都市としてはギリギリまだ良い方なのかなとは思います」
−–発表の場には恵まれていますか?
「今の時代、ギャラリーや美術館じゃなくても、SNSで告知したりして、発表しようと思えばどこでもできるわけで。なので発表の場があるかというより、何をしたいか次第。ただ、小さい街でこれだけアートスペースに幅があるのは珍しいのかなとは思います。現代美術の場は少ないですけど…。アーティストは、制作は金沢でして、発表は東京や海外で、という人も多いです」
−–金沢出身ではないアーティストは、どんな理由で金沢に移住されるのでしょうか。
「何かしら所縁があって、というケースが多いように思います。展示会で来たことがあって気に入ったとか。その気に入ったというポイントも『金沢の把握しやすい地形が好きで』とか、『あ、そこなんだ』って意外なとこだったりします。
あとは、金沢だとアトリエもわりと広くつかえるので、都会から来たアーティストにはにうらやましがられることはあります」
知らない景色を見せてもらいに。
−–アートグミの企画はどんな風にディレクションされるのですか?
「ディレクター色全開のディレクションは、していないかもしれないですね。グミミーティングで決め、かつ個人的にも好きでテンションのあがる作家にアプローチをし、限られた条件の中で作家とベスト以上を出すにはどうしたらいいか、ということを一緒に考える感じです。作品とアーティストを信じて」
−–上田さん自身は作品をつくられてはいませんが、アーティストを支援し続けるモチベーションを教えてください。
「つなげたい…という想いもあるんですけど、ちょっと大義名分的ですかね。私個人としては、アーティストは面白い人が多いので、そういう人達に会い続けたいなぁと。彼らと同じ時間を過ごして、喋って、何か一緒に取り組みをするのというのは楽しいです。
知らない景色を見せてもらいに一緒に行く、という感じでしょうか。普通に考えたら、意味がよくわからないような企画やアイデアを、みんなで着地点まで一緒に歩いていくのは、辺境の地にいくような楽しみがある。時に、着地しないこともありますけど。私が旅行好きなのも、そういう理由があると思っています」
社会は違うけど、人間は変わらない。
−–海外旅行、定期的に行かれてますよね。それも、かなり現地の生活に近いローカルな旅を。
「とくに計画的にってわけではないのですが、友人が住む地に行くことが多いです。インド、ラオス、韓国、ジョージア、ウガンダ、チリなど、全部そのとき友人が住んでいたので行きました。野生の勘みたいなものを忘れないように、というのはひとつあります。ずっと同じところにいると、やはり鈍るので」
−–特に好きな地域はありますか?
「そもそも説明しづらいような、小国だったり多民族国家だったり、混ざり合っている地域は好きですね。ジョージアとか、、中央アジアは好きです」
−–金沢と世界のローカルを行き来して感じることはありますか?
「人間は変わらないなぁってことでしょうか。暮らしがあって、コミュニティがあって、そのコミュニティの中でそれぞれのキャラクターがあって、文化があって。社会は違うけど、人間は変わらないなぁと」
複雑さを、否定せずに知ろうとする気持ち。
−–食にまつわる企画もされています。
「基本的に食べることが好きなので。いわゆる“グルメ”としてではない食の楽しみ方をしたいというのもあります。高級料理もいいけど、チェーン店もいいし、日常の家庭料理も良いよ、とか。あらゆるものから情報をキャッチアップしたら愉しいんじゃないかという提案のようなことをしたり」
–−金沢では茶の湯も嗜まれていますね。
「お茶は、お湯が沸くのを感じるのが好きで。あと、お茶室で飲むお茶が本当に美味しいんです。なんでみんなやらないのかな、と思うくらい。作法も“ルールを知った者達による演劇”という感じもあっておもしろいです。同じことをしていても、人によって全く雰囲気が変わるので。
根がパーティ人間なので、もてなしたり・もてなされたり、みんなで何かするのが好きなんです。お茶もその延長線なのかもしれません」
−–最後に、上田さんにとってのアートの定義をうかがってもよいですか。
「いや、アートとはなんぞや、というのはとても一言では言えないですけど…人間の心のためのものである、と思います。中東問題じゃないですけど、世界は本当に複雑で、そんな中いろんな考え方や表現があって、それらをまず否定せずに知ろうとすること・共存する気持ち、みたいなのは、人間楽しく生きて行く上で大切なのかなと、個人的には思っています」
(取材:2020年2月)