自分のペースを大切にしながら、キャンバスを彩る/ペインター・高田幸平さん
地域の連載
山形暮らしを楽しむ #山形移住者インタビュー のシリーズ。今回のゲストはペインターの高田幸平さんです。
兵庫県神戸市出身で、京都芸術大学(旧:京都造形芸術大学)を経て、東北芸術工科大学 修士課程への進学をきっかけに山形へ。卒業後も山形に定住し、山形暮らしはもうすぐで10年になるといいます。
高田さんが描く、抽象的な世界。吸い込まれるような透明感や刹那的な哀愁など、独自の色彩バランスによってピースごとに豊かな表情が展開されています。
仕事と暮らし、制作とのバランスをとりながら、自分のペースで筆を動かし続ける高田さん。なぜ制作の地として山形を選んだのか。山形暮らしにどんな魅力を感じているのか。それが作品にどのような影響を与えているのか、お話をうかがいました。
── 大学院に進学する際、東北芸術工科大学(以下、芸工大)、そして山形を選んだ理由は?
学部時代は京都芸術大学(旧:京都造形芸術大学)に通っていて、3年生のときに姉妹校である芸工大との交換留学プログラムに参加しました。そこで初めて、約半年にわたって山形での滞在を経験したのですが、振り返るとこの期間が人生のターニングポイントだったと思います。
当時、アトピーが悪化して悩んでいたのですが、山形の自然や環境が自分に合っていたからか、その半年間で肌荒れが治り、体調がみるみる回復していきました。
体調が良くなるにつれて、少しづつ今の自分の作風が見えてきました。当時はインターネットはあるものの、自分から積極的に動かないと情報がとりづらい時代。適度にトレンドから距離を置いた静かな環境で自分の制作と向き合えたことがよかったのかもしれません。
京都や東京のほうが情報が豊富で展示をする機会もたくさんあるのですが、まずは自分が生きていく上でのコンディションを優先したいと、そして見えてきた自分の作風をもっと追求していきたいと、芸工大の大学院への進学を決めました。
── 2年間の修士課程を終え卒業したあとも、山形に残ろうと思ったのはなぜでしょうか。
自分の体調面と大学院での経験がすごく大きくて、山形を離れるという選択肢はまったくなかったですね。
2年間で山形のまちに暮らし慣れていたことも理由のひとつだと思います。僕にとってはまちがちょうどいいサイズ感で、自転車でぐるぐる回っているうちに、十日町の「SQUAT」、本町の「jamming」、小白川町の「fellow」など、行きつけの古着屋や美容室ができました。
店主さんやスタッフのみなさんに親身に相談にのってもらえたり、気軽に立ち寄って何気ない会話をしたり、もはやただの買い物やヘアカットのためだけではない存在になっています。山形はお店の選択肢は少ないかもしれないけど、ちゃんと質のいい店があり、飲食店のレベルもすごく高い。関係性が築けられる店があることが、僕にとっては重要だと思っています。
── 山形のどんなところが好きですか?
時間の流れがゆっくりしているところ。展示のために東京へ行ったりして山形に帰ってくると、毎回ホッとします。
日々の暮らしでは、農家さんから無農薬栽培の野菜を届けていただき、採れたての野菜が食べられたり、温泉が多くて、山や田んぼに囲まれた場所でゆっくりお湯につかったり。自然の恩恵を受けながら、妻と2人で暮らしています。
そして、すごくシンプルなことですが、空がきれい。人工物に遮られることがなく、夕暮れの空が一面に広がる光景に、山形に来た直後はすごく感動しました。今でも、あまりのきれいさにハッと驚くことがあります。
── 山形で日々触れている風景や暮らしが、作品に影響を与える部分もあるのでしょうか。
それはあると思います。作品を見返してみると、色彩のバランスや配色に少しずつ変化があって、最近では落ち着いた色味になっているのを感じています。
それはきっと自分の気持ちがゆったり落ち着いていることにも関係しているだろうし、日頃見ている風景や自然環境にも影響を受けているのかもしれませんね。
── 高田さんが描く抽象的な世界は、どのようにして生まれたのでしょうか。
学部時代は迷いがあってなかなか自分の表現が固まらず、いろんなものを描いてきました。そんな中、ある日ふと手元を見たとき、絵具が混ざり合うパレットがとても美しく感じたんです。そこからいまの抽象的な作風ができてきました。
例えて言うなら、景色にハッと見とれちゃうような感覚を描きたい。何もモチーフがないので難しいのですが、鑑賞者にそんな想いが伝わった瞬間に立ち会えると本当に嬉しいです。
最近では、仕事と制作とのバランスがうまくとれているように思います。
市内の特別支援学校で働いているのですが、ものづくりの授業で、ただランダムに木材を削るだけでも、それは魅力的なオブジェになる、というように、自分の抽象的な概念を応用して、生徒たちが作業を楽しめるきっかけを少しでも広げられるように話しています。
仕事と絵を描くことは、繋がっていることもある。僕にとってはそれぞれ行き来することが、生活においても大切だと感じています。
── これからの目標はありますか?
いつか市内に自分のアトリエ兼ショップをつくるのが夢です。自分の制作拠点であり、誰でも気軽に立ち寄ってもらえるような場所。他の専門のジャンルの人が出入りできて、発想を分け合ったり一緒に制作したり、それをお客さんに見てもらえるのもいいなと考えています。
これまで物件を探してきたのですが、手頃な値段のものは取り壊しが決まっていたりして、まだ自分に合う物件とは出会えていません。まちなかでこれからなにかを始めたい人、例えばアイディアはあるけど資金力がない学生や若い企業家や作家などが、低コストでアクションを起こせるようになるといいなと思いますね。
現在、芸工大 建築学科の学生の研究企画「術の街(ワザノマチ)」とコラボレーションして、十日町のアトリエで毎週末、制作しています。「技術・美術などの“術”を持つ人が集まり、これからのまちのこと、未来のこと、人との繋がりについて考える」という企画です。
この物件はまもなく取り壊しが決まっているので、期間限定にはなるのですが、自分の夢をかたちにする第一歩として、メンバーの協力のもと一緒に立ち上げました。
僕にとって、絵づくりは楽しくない時間も長いし、必ずしも気に入るものが出来るわけではありません。しかし、そんなことでも、かれこれ10年以上続いてきました。おそらく普段あまり見る機会がないであろう、制作の断片、描いている空間に触れていただけたらと思っています。
この十日町での企画を実現できて、将来思い描く理想に少し近づけた気がしています。
今後も、僕にとって安心して暮らせる場所である山形で、一歩ずつ夢に向かいながら制作を続けていきたいと思います。
※ 高田さんの作品はインスタグラム(@takata_insta)から見ることができます。